バトルジャンキー覚醒
その時だった。
ハルトが肉体の限界を超えたとき頭の中に声が響いた。
異世界の僕。
早く力を使うんだ!
その途端、ハルトの頭の中に図が流れこんだ。
同時にその図の意味と使い方の情報も頭へ流れ込んでくる。
そうか!
ハルトは情報の意味を理解し叫んだ。
「林! 俺と本契約しろ! そのビスケットを食え!」
林はなぜか素直にハルトに従った。
弱々しい動きでビスケットを口の中に入れる。
次の瞬間、磯谷の怒声がダンジョンに響いた。
「この薄汚い裏切り者が! 死ねい!」
巨斧が振り下ろされる。
だが磯谷の斧は空を切り、床に突き刺さる。
「な、なにい!」
磯谷の驚愕の声と同時にハルトが蒼い光に包まれる。
「ふ……ふははははは!」
蒼い光に包まれたハルトが笑う。
ハルトの声は先ほどとは違い生気に満ちていた。
林が途中で中断させられたヒール。
その何倍もの治癒の術がハルトの傷を癒やしていたのだ。
「何がおかしい!」
「見ろよ」
ハルトは指をさす。
磯矢が指の先を見たのと同時に磯矢の体に裂帛の勢いの水がぶつかる。
磯矢はたまらず転倒する。
巨体の転倒により部屋が揺れる。
「な、なにいい!」
そこにいたのは透き通るような白い肌を持つ女性。
ハルトはその正体を知っていた。
それは水の精霊。
ウィンデーネ。
そして、もちろんそのウィンデーネの正体は……
「き、貴様! 林なのか!?」
磯矢が驚愕の声を出した。
ハルトは理解していた。
このダンジョンの全てのモンスター。
それは邪悪な魔法で邪に堕とされた精霊のなれの果て。
ハルトは精霊と契約することができるサモナーだということに。
だからこそ精霊から堕とされたモンスターと言葉による意思疎通が出来たのである。
「磯矢殿。それがしも真の姿に戻れ申した。溝口も決して悪いやつでは……」
「うるさい!!! この裏切り者が!」
問答無用とばかりに起き上がった磯矢は目を真っ赤に血走らせ林に斧で斬りかかる。
その瞬間、壁を突き破りハルトが現れた。
斧が林を真っ二つにしようと迫る。
ハルトはまるで拳をガードするように斧を受け止めた。
金属がたわむ音がし斧が腕の直前、腕の前に現れた青い光の前で止まる。
「な、なにい! 物理障壁だと!」
驚きと怒りで目を見開く磯矢。
同時にハルトは息を吸う。
呼吸法だ。
このときハルトはあの声の意味を理解していた。
自分が何者なのかを。
ハルトは召喚士。
精霊と契約してその力を自分のものとする能力者なのだ。
ハルトは林、ウィンデーネの水の力を丹田に溜める。
一般的なイメージの気功というものに近いだろう。
そしてハルトは一瞬体の無駄な力を全て抜く。
脱力から一転、全身の筋肉を起動。
拳へウィンデーネの力を喚起する。
力みの存在しない正拳。
そしてそこにプラスされたウィンデーネの力。
二つの力が合わさった拳を磯矢の腹にねじ込む。
精霊格斗術『狂おしいほど蒼く荒れる海』!
磯矢の巨体がくの字に曲がり吹き飛んだ。
筋肉質の巨体が壁を突き破る。
お返しだ!
ハルトは磯矢を二部屋ぶち抜くように殴った。
倍返しである。
ハルトは悠然と磯矢を追って歩いて行く。
ハルトが磯矢を追って部屋から出ると灰色の服を着た人間が倒れているのが目に入った。
都市迷彩というやつなのだろう
兵士なのだろうかとハルトが考えていると兵士が苦しげな声を出した。
「き、君は何者だ?」
「さあな。それより早く逃げな」
ハルトは格好つけながら適当なことを言った。
本音は「自分でもわけがわかりません。誰か説明してください!」なのだが、幸運なことにそれは兵士には悟られなかった。
ハルトは王のように堂々と壊れた壁から磯矢がいる部屋に侵入する。
ハルトの耳に兵士がハンディタイプの無線機で「あれはどこの所属だ?」と言っているのが後方から聞こえた。
部屋の中には磯矢が膝をついていた。
苦しげだったが、まだ余裕があるようにハルトには思えた。
「ぐ、ぐはははは! ま、まさかこの拙者がたった一発の拳でここまで追い込まれるとはな」
磯矢が心の底から楽しそうに笑った。
先ほどの血走った目はそこにはなかった。
その顔は憑き物が落ちたかのようだった。
「起きろよ。続きをはじめようぜ」
「ああ。よかろう!」
ハルトがそう言うと磯矢は笑いながら立ち上がる。
「これは要らぬな」
そう言うと磯矢は斧を放り捨てた。
斧は原形を留めないほどひしゃげていた。
それほどまでにハルトの打撃は凄まじかった。
「お返しだ!」
磯矢は拳を振りかぶる。
ハルトはよける気はなかった。
そして磯矢も本気でハルトの頭の後ろを貫くかのようにハルトの顔目がけて拳を振り抜いた。
磯矢の拳は物理障壁を打ち破り、ハルトの顔面を打ち付けた。
ズドンという砲撃のような音がする。
普通の人間なら西瓜のように頭が破裂していただろう。
だがハルトは立っていた。
何事もなかったかのように。
「やはりか! 肉体まで強化されたのか! だがそれがしよりは脆いぞ!」
磯矢が笑う。
磯谷の言葉は正しかった。
単純な重量と筋力の差、その差は大きかった。
だがハルトには磯谷に勝っている面もあった。
「だが俺のほうは自動回復だ。どうだ、打ち合うか?」
ハルトが磯谷を凌駕しているのは回復力。
ウィンデーネの力が流れ込むことで致命傷以外は瞬時に回復するのだ。
「くくく。そうだな!」
ハルトも拳を握る。
磯矢の腹目がけて拳を繰り出すのを皮切りにラッシュを開始する。
磯矢も同時に拳を連打する。
まるで至近距離で重火器をぶっ放したかのような音が響いた。
崩れた壁。
巻き散る粉塵。
迷宮は二人の闘争で破壊されていく。
体が壁を突き破り、それでも双方攻撃をやめない。
人と魔物のタイマンがそこにはあった。
「ふははは! 楽しいな人間!」
「ああ、楽しいな! 磯矢ぁッ!」
ハルトはあちこち骨折しながらもウィンデーネの癒やしの力で瞬時に回復する。
磯矢もミノタウロスのタフネスでハルトの打撃に耐える。
ハルトの回復力を磯矢が上回れば磯矢の勝ち。
ハルトの打撃が磯矢の肉体の限界を超えれば磯矢の勝ち。
表面的にはそういう勝負だ。
だが実際には痛みに集中力を途切れさせた方が負け。
それは単純なタイマンだった。
ハルトは満足していた。
頭空っぽにしての殴り合い。
久しぶりだぜ。
こんなに楽しいのはよ!
ハルトはにやりと笑う。
林も笑った。
双方、拳を振りかぶった。
その時だった。
「撃てー!」
兵士たちが磯矢へ銃撃をした。
ハルトを援護してるつもりらしい。
邪魔するんじゃねえ!
ふざけんな!!!
キレたハルトは床を殴る。
「精霊格斗術『全てを拒む深き水面』!」
次の瞬間、高水圧の壁がライフルの弾を受け止める。
だが磯矢の手は止まらない。
磯矢の拳がハルトを打ち抜いた。
ハルトは自分の水の壁にぶち当たる。
「な、なんと!」
磯矢は驚いた表情をしていた。
「な、なぜだ! なぜ貴様助けた!」
「くっくっく。勝負の邪魔をされたくなかっただけさあ」
磯矢は驚いた顔をしていた。
「……それがしの負けだ」
磯矢は負けを認めた。
だがハルトはそんな磯矢を笑う。
「ちげえだろ! 次のラウンドだ。最後の一撃で勝負をつけようぜ! 兵士のおっさんたちもそれでいいよな!」
弾丸を弾かれたせいか兵士たちは驚愕のあまり無言になっていた。
ハルトはそれを承諾の意とみなした。
「……貴公、名前は?」
「溝口大翔。高校中退。無職だ」
「ふふふ。磯矢頼母だ。地下三階の筆頭同心だ」
名乗りを上げ二人は拳を交わす。
拳と拳がぶつかる。
そして弾かれたのは磯矢の拳だった。
すでに磯谷の中ではハルトは憎むべき敵ではなく尊敬する対象となっていた。
対するハルトは純粋に戦闘を楽しんでいた。
その気持ちの差が拳にも現れていたのだ。
磯矢の体は壁を突き破りながら吹き飛んだ。
ハルトは磯矢の方へ歩いて行く。
磯矢の方もハルトの存在に気づき笑った。
「くっくっくっくっく。完敗だ。溝口殿。さあ好きにするが良い……」
磯谷は満足だった。
尊敬できる相手に引導を渡される。
それはそれで素晴らしいとすら思った。
だがそんな磯谷にハルトは手を差し出した。
「俺の友達になれ」
そうか。
仕えるべき主君を見つけたのだと磯谷は思った。
「わかった。溝口殿……」
二人は手を握り合う。
人と魔物の心が通じ合った瞬間だった。
だがその時、怒鳴り声が響いた。
「て、手を上げろ! き、貴様、所属と姓名を言え!」
それは銃を構える兵士の集団だった。
なぜかその声は恐怖に震えていた。