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 それは無機質な音だった。

 火と鉄、火薬の爆ぜる音。

 まさしく戦の音だった。


「人間だ」


 林が焦った声を出した。


「溝口。最悪だ。磯矢殿が人間と交戦中だ」


「どういう……」


 ハルトが言い終わる前に、ちょうどハルトの後方、ダンジョンを形作る壁が弾け飛んだ。

 壊れた壁から出てきたのは巨体。

 3メートルはあろうかという二足歩行の生き物だった。


「ぐるるるる」


 その生き物がうなり声を上げる。

 人型。

 だがその頭部は牛だった。

 三メートルはあろうかという筋肉質の胴体に牛の頭。

 斧を持ったファンタジー生物。

 ミノタウルス。

 どちらかというとハイファンタジー寄りの生き物がそこにいた。


「逃げろ!」


 林の声が聞こえた。

 だがその声はかき消された。

 林の声と同時にミノタウルスは問答無用でハルトの体を拳で打ち付けた。


「がッ!」


 ハルトの体は宙に浮きダンジョンの壁にぶち当たった。

 体が四散しそうなほどの、生まれてから味わったことの無いような衝撃。

 実際ハルトの体はそのまま壁を突き破った。

 それどころかハルトは隣の部屋の壁に激突した。

 それほどまでにミノタウルスの拳の衝撃は大きかった。

 ハルトはそのままぐちゃりと湿った音をさせて床に落ちた。


「み、溝口!」


 瓦礫と舞い上がる塵の先に林の声が聞こえた。

 ハルトは咳き込んだ。

 ビチャリという音がし、なにか液体と思われる粘性のものが吐き出される。

 ハルトの口の中から生臭く不愉快な鉄のニオイと塩の味がした。

 それが自分の血だったことをハルトはすぐに覚った。

 胸の中、骨と筋肉が酷く痛んだ。


 クソッ。

 肋骨が折れた。

 折れた骨が内臓に刺さったに違いない。

 バイクで突撃されたときでもこんなにはならなかった。

 今の状態は相当マズイ。


 ハルトは生き残る手を考えた。

 三十六計逃げるに()かず。

 ハルトの脳裏にその言葉が浮かんだ。


 ヤバいときはさっさと逃げろ……

 確か古代中国の三十六の必殺技の一つだ。

 と、残念な学力のハルトは思った。

 そしてそのまま……


 あれ?

 誰の言葉だっけ?

 スティーブ・ジョ●ズだっけ?


 と、頭の悪そうなことを考えていたのだ。

 ハルトは逃げる気はなかったのだ。

 なぜなら、論理的には傷ついた体ではあの牛から逃げることは不可能なことを理解し、感情的にはハルトは人生というものに絶望していたからだ。

 家族はすでに故人、

 友人と言えるほど親しい人間もおらず、

 道場でも鼻つまみ者。

 頭も悪く義理も縁もない生き方をしてきた。

 ハルトはそんな生活にうんざりしていたのだ。

 心残りは喧嘩に負けて死ぬというのに多少違和感を感じる程度だろう。


 ところが、運命とはまさに奇妙なもの。

 すでに縁は生まれていたのだ。


「おい、溝口生きてるか!」


 林がハルトの側にまでやって来た。


「今ヒーリングをかけてやる」


 なぜか林は焦った声だった。

 つい十分前に会ったばかりだというのに。

 ハルトはぼんやりとした意識の中で震える手でポケットを弄った。


 お前ヒーリングまで使えるのかよ。

 器用なスライムだぜ。

 ……どうやら俺はここまでのようだな。

 仕方がない報酬を渡してやろう。

 俺は約束を守る男だからな……


 ハルトの指に四角いものが当たる。


 ……あった。


「林、悪いな。約束の品だ」


 ハルトは力を振り絞ってビスケットを林へ投げる。


「お、おい。溝口!」


「……それを持って逃げろ。俺といるとこ見られたらまずいだろ」


 ハルトがそう言ってムリヤリ笑うと林はプーッとふくれた。


「ヒールかけるぞ!」


 そしてハルトに向かい何かを唱えはじめた。


「我が祖、水の精霊よ……力を貸したまえ……」


 俺を光が包む。

 光の中でハルトの傷口が塞がっていく。


「……おい。逃げろって」


「うるさい!」



 徐々にハルトの体が楽になっていく。

 これが回復魔法ってヤツか。

 ハルトは思った。

 林はやっぱりいいヤツだ。

 こんないいヤツがいるんだ。

 あの牛も見逃してくれるかもな……


 だが、脅威は去っていなかった。

 その間にも銃声が聞こえる。

 銃声と怒号。

 それが悲鳴に変わると銃声が止んだ。

 何があったかまでは考える余裕はハルトにはなかった。

 地響きがした。

 それは地の底から感じるような振動。

 それはミノタウルスの歩く音だった。

 ミノタウロスの足音はハルトたちの方へ近づいてきていたのだ。

 そして足音の主がハルトたちの前へ現れる。


「林ぃ……なにをやっておる……」


 ダンジョン全体が震えるような深く威圧的な声。


「磯矢殿……」


 あれが林の言ってた磯矢(いそや)頼母たのも

 スライムもそうだけど、どこが侍だよ!

 ハルトはツッコミが止まらない。

 ミノタウルスはハルトたちを見ながら地の底から震えるような声を出した。


「林ぃ……なぜ人間にヒールをかけている?」


「ほ、捕虜でゴザル! それがしが捕獲した。こやつは我々の言葉を解するのだ!」


「だからどうした!」


 部屋が震えた。

 ミノタウルスの目が血走る。

 あの目……怒り狂ってやがる。


「お前から人間の臭いがするぞ! 林ぃッ!」


「そ、そんなことはござらん! それがしは……」


「貴様は知らぬのだろうが……その男は忌々しいサマナーじゃ」


 俺がサマナー?

 何を言っている?


「貴様はその人間と契約をしたのだ! 貴様はあろう事か人間と主従の契りを結んだのだ!!!」


 そう喚くと磯矢が林を殴りつけた。


「ッが!」


 悲鳴。

 そして林は壁にぶつかりずるりと下に落ちた。


 おい……冗談だろ?

 そんな……仲間なんだろ?

 ハルトは必死になって体を動かそうとするが、その肢体はピクリとも動かない。


「林ぃ……。俺は筆頭同心として貴様を斬らねばならぬ……」


 目を赤くさせながら磯矢が林に迫った。

 その手には巨大な斧が握られていた。

 磯矢が何をしようとしているのか、それは一目瞭然であった。


「い、磯矢殿……」


 林が弱々しくつぶやいた。


「やめろ馬鹿野郎!」


 ハルトは力を振り絞り怒鳴ると手足を動かそうとした。

 ……クソッ! 動かない。

 いや違う!

 動くとか動かないとかそんなことはどうでもいい。

 肉体の限界を超えさせすればいい。

 ハルトは気合を入れた。

 あちこちの筋肉が断裂しているのか体が酷く痛んだ。

 だがそれでもハルトは関係なかった。

 ハルトは林を救う事しか考えていなかった。

 縁というものが出来てしまったのだ。

 相手は人間ですらない。

 だがそれでもここで死んでしまっていいようなヤツではないのだ。

 全身の軋む音がする。

 だがそれでも力を振り絞ってハルトは立ち上がった。

次回覚醒

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