物事には理由がある⇔恋に理由はいらない
ため息を吐くと幸せが逃げる、だったっけ?
学校からの帰り道でそんなことを考えながら、もう何度目かわからないため息を吐いた。
「卒業までもう少しかぁ」
高校生活も残すところ僅かとなり、受験に向けたラストスパートが加速している。
私も当然、その一人ではあるのだが全く身が入らない状態が続いている。
この時期に身が入らないとか言っている時点で大ピンチなのではあるがこっちとしてはそんなことよりも恋煩いのほうが最重要案件である。
「あの子、全然私の話を聞いてくれないしなぁ」
後輩の男の子が気になりだして、最近になって好きなんだと自覚して。
それから後悔したくないと積極的に話しかけに言っているのに……
「なんでいつも教室にいないのよ!」
休み時間も昼休みも放課後も! 行けば誰かが一言『チャイムと同時に出ていきました』ですって!?
本当に……嫌なら直接言ってくれれば諦めがつくのに……。
そしてまたため息を吐いてしまう。
「嫌いじゃないです。むしろ、好きですよ先輩」
「そうそう、そうやって素直に……?」
振り返ればそこには後輩君が立っていた。
頭が混乱して上手く考えられない。
「先輩が……その、自分でいうのは恥ずかしいんですけど、俺を、その……気にしているせいで全然成績が上がっていないらしいじゃないですか」
「誰の情報だ! 確かに貴方のことが好きよ! だが、受験勉強がどうのこうのは私のクラスのやつしかわからないはずだ! 誰だー!」
「そこは良い友人がいるということにしておきましょうよ」
「っぐ……。なんかものすごく恥ずかしい……」
「俺は今それ以上に恥ずかしいですけどね。若干キレ気味とはいえ人生で初めて告白されましたから」
「は?」
「先輩はしっかりしているように見えて、意外と勢いで行動しますよね」
「え? ちょっと待って」
告白? おいおいちょっと待ってよ。私はなんて言った? 確か『誰だ!』 と問いただした後は……。
「キャーーー!!」
「やめて。先輩、マジの悲鳴はやめて。俺悪くなくても周りからは完全に悪者になるから」
「だって! だって!」
「わかりましたから。とりあえず落ち着いて話をしましょう。前に会った喫茶店に行きませんか?」
そこからはお互いに無言。後輩君は少し前を歩いていたから表情はわからなかった。でも、耳が赤かったことでちょっと落ち着いた私がいた。さりげなく道路側を歩いてくれているところも改めていい子だなぁと思う。
やっぱり好きだなぁ。
「おや、いらっしゃい。ほう……珍しいじゃないか」
「いよいよ逃げていられなくなりました」
「そうか。いつものカモミールでいいかい?」
「先輩、カモミールティーでいいですか?」
「あ、うん」
「二つお願いします」
「かしこまりました。奥の席を使うといいよ」
「ありがとうございますマスター」
静かな笑みを残すとマスターは奥に消えていった。
「先輩、まずは今までずっと避けていてすみませんでした」
「あ、うん」
「先輩、いい加減帰ってきてくださいよ」
今まで避けられていて、突然こんな状況を作られて普段通りにしろって言われても出来るわけないでしょ!?
むしろなんで貴方は普段通りなのよ!
「俺は……まぁ、いろいろと覚悟をしてきましたし、俺のせいで先輩が受験に失敗するのも嫌ですから」
「まだ失敗すると決まったわけでは……」
「でも、この調子だと?」
「まずいかもしれない……」
「ですよねー」
お待たせしました。と、マスターがカモミールティーを持ってきてくれた。
話の切れ間、いいタイミングである。
「いい香りね」
「はい。先輩もカモミール好きなんですよね?」
「貴方も、よね」
「はい。そして、その理由も先輩と同じです」
「父親の影響?」
「はい」
一呼吸置くと彼はカモミールティーで唇を湿らせた。
なんだろう。他愛のない会話なのにすごく空気が重い。さっきまでのちょっと甘酸っぱい空気はどこへいってしまったのだろう。
あれ? 告白に対する返事ではないの?
「結構重たい話かもしれないですけどいいですか」
表情が読み取れない。もう色恋の話ではなくなったようだ。
「あ、その前に俺は先輩のことが好きですよ。先輩としてではなく、一人の女の子として好きです」
「不意打ち!」
不意打ちもいいところだ! 真面目な顔で真面目な話をすると思ったのに、いきなり告白!?
嬉しいけど、恥ずかしいけど!
「もっとムードってあるでしょ!?」
「えっと、個人経営で隠れ家的な喫茶店で面と向かっての告白はやはりムードがないですかね?」
五月蠅いわね! ありよ! ただ、こう……なんていうか違うのよ!
待ち望んでいた答えが来たというのにこの……ロマンがないのはなんなのよ。
「はぁ……いいわ、もう。で、重たい話って何なの?」
「先輩の父親についてです」
どういうことだろう? 重たい話というから何か付き合えないような重大な理由があるのかと思えば、お父さんのこと?
話が見えない。
「初めに言っておきますが、これは先輩のご家庭に不協和音が出る可能性があります。ここが引き返せる最終点です。どうしますか?」
「ポイント・オブ・ノーリターンってやつ?」
「おっ? 先輩、結構ライトノベルとか好きですか?」
「大好物ね」
「最近は一般の文庫もライトというか、読みやすい物が増えてきましたよね」
「でも、たまにはハードカバーというか、分厚いやつが読みたくならない?」
「わかります。読んだーって気になりますよね」
「そう! その感覚いいのよねー」
ん? こんな話をしていたんだっけ?
……ああ、決断する権利をくれたのね。
このまま他愛のない雑談に興じれば今日は楽しくおしまい。また明日。
でも、逃げていた理由、付き合えない理由を知りたければ話を戻せ、か。
そして話を戻せば知りたくないことも知ることになるぞということなのね。
正直なところ、このまま他愛のない会話をしていたい。やっと彼に(ちょっと暴発気味ではあったが)好きだと言えて、彼も好きだと言ってくれた。この幸せな時間を味わっていたいという気持ちは強い。
でも、きっとそれは今日だけ。彼は今日だけはその幸せな幻想に付き合ってくれるのだろう。
ずっと見てきたから知っている。
彼は優しいから。
私はどうしたいのだろう。このままもいいし、真実も知りたい。でも、彼の言う不協和音というものも気になってしまう。
お父さんは優しいし、お母さんも友達みたいに仲がいい。家族関係は良好だと思う。そこに亀裂は入れたくない。もっとも、彼の言うことがうちの家族関係に本当に亀裂を生じさせるようなものなのかはわからないが。
でも、本当にとてつもない爆弾だったとしたら?
悔いは後から重くのしかかることになる。
後悔。
「じゃあ、本題に入りましょう?」
自然と言葉にしていた。
後悔という単語が浮かんだ瞬間、気が付いたのだ。
どっちに転んでも彼との未来がないことに。
同じ後悔をするならばまだ希望があるほうを選んでやる。
受け入れてそれでも貴方を好きと言ってみせる!
「わかりました。では、まず先輩を避けていた理由ですが……それは先輩の家庭に関わりたくないからです」
「家庭?」
「正確にはお父さんと、ですね」
「何かあったの? うちのお父さんと」
「何もないから余計に会いたくないんです」
よくわからない。何か核心が見え隠れしているような気はするのだけれど。
「先輩、俺は今近くの親戚の家から通っています。知ってました?」
「そうなの?」
「はい。母が中学の時に死んでからはずっとそこでお世話になっています」
「そうなんだ……。母子家庭だったのね」
「ええ。中学の時に引き取ってもらうまでは静岡にいました」
「通りで見覚えがないわけだわ。あの高校、結構地元の子が多いのに貴方を見た記憶がなかったもの」
「まぁ学年も違いますからね」
そうか。転校生だったのか。母子家庭に育ってきたせいか、父親に免疫がないってことかしら? そんな先のことまで考えていたのかしら。そうならちょっと嬉しいかな。
私のことを意識していてくれたってことだしね。
「そんなわけでして、まぁ近かったこともありこの高校を受けたわけですが、そこで驚きましたよ。先輩がいるんですからね。入学式で生徒会メンバーが並んで挨拶したじゃないですか? あの時は本当に貧血で倒れそうでしたよ」
「え? 待って。どういうこと? 確かに私は生徒会として壇上にいたけど、その時私は貴方を知らないわよ?」
「そうでしょうね。でも、俺は知っていたんです。あなたの名前も、顔も」
ちょっと待って。なにこれ。甘酸っぱい恋の話がホラーになってきてるじゃないの。もしかしてストーカーだったの?
「あ、ストーカーとかじゃないですからね。そうなら先輩からわざわざ逃げませんよ」
「あ、そっか」
「ストーカーだと思ったんですか……」
「いやだって、ねぇ」
「まぁいいっす。それで慌てて確認をしたら先輩は、俺の知っている先輩で間違いなかった。初めて運命というものを信じてしまいそうになりましたよ。まさか静岡から越してきて入った学校にドンピシャでいるんですからね」
「ねぇ、本当に話が見えないのだけれど?」
「でしょうね」
「あなたねぇ……」
では、と前置きした彼が言った一言は確かに不協和音を生じさせるに足るものだった。
「俺の父親は先輩のお父さんですよ」
「え? なにを」
彼はさらに続けた。
「俺と先輩は異母兄弟です。それが、俺が先輩を愛せない理由です」
そこで彼はカモミールティーを一口含んだ。つられて口にしたカモミールティーは人肌よりは冷めていた。
「いろいろありまして、何度か親父には会っているんです。最後は母の葬儀でしたが、その時にうちに来るかと言ったんですよ。娘がいるが、仲良くしてほしいとね。その時、写真で先輩を知りました。同時に、親父だけは幸せな家庭があったことも知りました。もちろん、俺は幸せでしたけどね。母は本当に優しくていい人でした」
私はもう何も言えなかった。
彼の独白は続く。
「真実を知ったのは母が亡くなる数週間前でした。入院することになり俺はどうしようかということに。親戚がみんなこっちにいたので入院先もこちらにしたらと言われていましたが、母が断ったそうです。あの人との思い出の地で死にたいと。すでに余命宣告されていたみたいで、親戚も強く言えなかったそうです」
「結果、母は静岡で俺はこっちへとなり、そのまま母は亡くなりました。養子として来ないかと親父に言われましたが、一発ぶん殴ってやりました。あと、『母は』幸せそうでしたと伝えてやりました」
「親戚の伯父さん家に居候させてもらい、さて心機一転、高校生活と思ったらこうなったというわけです。先輩、大丈夫ですか?」
大丈夫なわけがない。超弩級の話だった。
なんて言っていいのかわからない。何を言ってもそれは彼を傷付けてしまうような気がした。
しかし、彼はあっけらかんと言う。
「先輩がどうとかそういった話じゃないのでいつも通りでお願いします。さっきも言いましたけど、俺、先輩のことが好きですから」
ハッと顔を上げると紅潮した彼の笑顔が飛び込んできた。ぼそりと『何度も言うの、恥ずかしいんすよ』と言っていたのが
「可愛い」
「やめて先輩。マジやめて」
ぐわぁぁぁと言いながらソファに突っ伏してしまった彼が可笑しくて笑ってしまう。濡れた頬はまだ温かい。
彼は起き上がると優しく微笑んだ。何も言わず、ハンカチを貸してくれた。
「落ち着いたら帰って下さい。ここは俺が出しておきます。今日は本当にすみませんでした」
彼はそういって伝票を持ち、レジへ行く。
引き止めたくても言葉が出ない。
明日からどう接すればいいのだろう。
そんな私の葛藤をあっさりと崩したのも愛しい彼の声だった。
「先輩、そのハンカチ、俺のお気に入りなんですよ」
彼はニコニコと私を見ている。お気に入りなら……!
「あ、洗って返すから! 明日……どう?」
途中で自信が無くなり声がしぼんでしまったが、彼は笑顔で答えてくれた。
「わかりました。では、また明日ここでお茶しましょうね」
爽やかに去っていった彼を思いながらハンカチを握る。
そして心に決めた。
時間はまだまだ沢山ある。諦めばかりよくなったってしょうがないじゃない。
彼といっぱい話そう。もっと彼を知ろう。
後悔だけはしたくない。
「まずは洗濯しますか!」
涙を拭って喫茶店を後にする。
待ってろよ。私の明るい未来。
私の恋はここからだ!