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柏餅

 実は柏餅を食べたことがない。

 そう言うと、まずたいていの人に驚かれる。

 だから民子は、そのことをあまり言わないようにしている。


「食べたことない? ほんとに!?」

 そんな意思があっさりと挫けたのは、折も折。5月5日の節句のこと。

 たまたま買い出しにでかけた八百屋。世間話気分で口にすると、店主にびっくりするくらい大仰に驚かれた。

 いつも足繁く通う民子のことを、孫とでも思っていそうな年配の店主である。品が良いのと安いので、通ううち、世間話などをするようになっていた。

「ちょっと待ってて民子ちゃん」

 そして彼は慌てたように店の奥に駆け出して、何やらビニール袋を手に、戻って来る。

「食べてみなって、ここのなら大丈夫。美味しいから!」

 押しつけられた袋の中には、緑の葉っぱに覆われた可愛らしい餅がころりと2つばかり入っていた。

 だから民子は少しだけ、困ってしまう。


「ただいまあ」

 両手に食材の詰まった袋を提げて、民子は玄関を開ける。そして上島にご挨拶。

「上島さん、柏餅を貰っちゃったよ」

 時刻はまだ15時前。夕飯にはまだちょっと早い。そのくせ、ちょっとばかり小腹は空いている。

 だから民子は思いきって、柏餅を食べてみることにした。

 薬缶にお湯を沸かし、袋から慎重に柏餅を二つ取り出す。皿に盛って、民子はそれをじっと見つめる。

(べつに餡が嫌いってわけじゃないし、何が嫌ってわけじゃないんだけど)

 真っ白い餅に、餡をくるんで、それをまるごと葉っぱで包んだ柏餅。見た目はとても可愛らしいし、季節感のある食べ物は、民子だって大好きだ。

 幼い頃、食べてみたい。と両親に我が侭を言ったことがある。

 しかし両親は不思議とそれを許さなかった。柏餅は男の子が食べるものだ。と叱られた。思えば、彼らは餡が苦手だったのだ。餡の入った和菓子を民子が口にしたのは、一人暮らしを初めてからだ。

 それも、上島が和菓子を愛していたからだ。彼は甘い物なら全般、好んで食べた。

 しかし民子は、去年のちょうど今頃、上島と一世一代の大喧嘩をした。多分どうでもいい、つまらないことだ。もう内容も思い出せない。

 そのせいでゴールデンウイークの間、二人は口もきかなかった。

 もし喧嘩をしなければ、その時に上島は柏餅を食べたがっただろう。そうすれば民子の柏餅デビューは一年早まったはずだ。

(親に反対されて上島さんと喧嘩して、いつも柏餅と縁が無い)

 民子は苦笑して、目の前の柏餅をつつく。

 民子の人間関係の延長で柏餅が嫌われたのは、なんとも哀れなことである。

 そして、それを食べたことのない民子もまた、なんとも哀れなことである。

 湧いたお湯で温かいほうじ茶を入れて、それを机の上に丁寧に並べる。

 暖かい日差しが差し込めばちょうどいいが、今日は雨の祝日。窓から見える、隣家の鯉のぼりは雨を受けてしぼんでいる。元々水にいる生き物なのに、雨を受けて萎むのは不思議と面白かった。

「……いただきます」

 覚悟を決めて民子は目の前の柏餅と対峙する。葉っぱがあるので、手が汚れないのは合理的だな。なんて考える。

 葉っぱを少しめくって、鼻を近づけると青い香りがした。青いとしか、いえない。たまらなく爽やかな初夏の香りだ。

 えい。と勇気を出して白いもち肌に噛みつけば、思ったよりも固い。歯を推し進めると、ぷちりと切れた。塩の味と餅の甘味と、そして何よりも鼻に駆け上がってくる夏の香り。

 餡は漉し餡。甘さは上品で、舌の上で滑らかな甘さがとろりと溶けた。

 外は小雨で肌寒いほどなのに、一口食べれば夏を感じる。

「葉っぱってすごい」

 無心で食べて、気がつけばふたつの柏餅が民子の胃の中へ。

 まだ暑いほうじ茶で、舌に残った青さと甘さを喉の奥へと滑り込ませる。

 甘さも苦さも全てかき消えて、最後に残ったのはやはり青い香りだけだった。

 

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