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梅雨のハンバーガー

 最近は雨続きだった。梅雨らしい、しとしと雨の続く毎日だった。

 民子は雨が嫌いではない。休日、部屋の中から見る雨だれの硝子は、なんとなく情緒があっていいものだし、湿気を帯びた布団の中でいつまでもゴロゴロするのも嫌いではなかった。

 でもそれもこれも、雨は外に降るものだからである。

「家の中の雨は困るなあ」

 と、民子ははじめて実感した。

 土曜の朝一番、台所の天井から滴がぽとりと一滴。降り落ちて民子の頭に落ちたのである。

 それは雨漏りではなく、上の階からの水漏れだった。


「とりあえず明日の工事までは、キッチンの使用を控えて下さい。漏電などもあり得ますので」

 雨の中駆けつけてきた電気工事の男性は、四角い顔に四角い声の持ち主だ。彼は手慣れた様子で電気回線を確認すると、素早く玄関に駆け戻り頭を深々下げた。

 まるでロボットのようだな。と民子はぼんやりと思う。

「どうしようね、上島さん」

 壁紙が浮かび上がった台所の壁を見上げて、呆然と民子は呟いた。つい、名を呼んでしまうのは癖だった。

 何か困った時、その名を呼ぶだけでどうにかなる気がした。

 民子は電源を落とされた冷蔵庫を空けて、締める。ちょうど昨日、食材を食べ尽くしたところで運が良かった。などと自分で自分を慰める。

 それでも、真っ暗で生ぬるい冷蔵庫は少しだけ寂しいものだった。

「お腹も空いたし、キッチンも使えないし」

 外は雨。家の中も雨。

「晩ご飯何も考えてないし」

 振り返った民子の目に、レンタルDVDの袋が飛び込んだ。何となく気紛れに借りたまま、見ていなかったサスペンス映画。

「あ、DVD、明日までだった」

 だから今日は、久しぶりに一人映画館をしよう。と民子は決意した。


 去年のちょうど今頃のことである。

 真夜中にふと、映画館に行きたい。と思ったことがある。

 見たい映画があったわけではない。ただ、ひんやりと肌寒く大音量の響く暗闇の中に埋もれたい。そう思っただけなのだ。

 それを聞いた上島は「良い事を思いついた」と飛び起きて、家を飛び出していった。数十分後に戻って来た彼の手に掴まれていたのはハンバーガーとポテトと、そしてコーラ。

 油の香りがぷんと香って、真夜中だというのに民子のお腹が鳴った。

「民子、こっちきて。頭からタオルケットかぶって、電気を消して、スピーカーをタオルケットの中にいれて」

 上島は何かいいことを思いつけば、すぐに動く。民子の手を引いてテレビの前に座らせると頭からすっぽりタオルケットをかけた。目の前にハンバーガーと萎れたポテトとコーラを並べてテレビを付ける。

 暗闇に慣れた目に、光がぱっと輝いた。

 ちょうど映画が始まったところである。中東の、不思議な町並みが広がっている。殺人が起きるわけでも、恋愛が始まるわけでもない。ただ、少年が馬を引いて旅をしている。気怠いロードムービーだった。

 聞いた事もない言葉で喋る異国の少年。ざらざらとした画面の向こうに赤い砂漠が広がる。

「映画館みたいだろ」

 上島はそう言って、にっと笑った。狭いタオルケットの中に二人、くっつけば蒸し暑い。だというのに、彼は楽しげに笑って民子の口にポテトを押し込む。

「映画館だとこんなの食べにくいけどさ。家なら食べられるし」

 上島はそんな遊びを思いつく天才だった、民子よりもずっと。

 だから民子にとってはポップコーンなんかよりも、ハンバーガーとコーラと萎れたポテトが、一番映画館を感じさせるのである。


 梅雨の夜は、早く更ける。電気を消してタオルケットを深く被って、民子はテレビの前に鎮座した。

 外の雨はまた激しくなったようだ。窓を雨が叩いている。

「いただきまーす」

 ハンバーガーの包み紙を剥がして勢いよくかぶりつく。やや湿って皺が寄ったパンズに、薄い肉。噛みしめると懐かしい味が口に広がる。ハンバーガーを食べたのは久々だ。それは何故か懐かしい。味も、食感も、香りも、紙をめくるその音さえも。

 ピクルスとケチャップの酸味が、意外に梅雨時の胃に合うのだな。なんて民子は考える。

 萎れたポテトは塩の味。口の中でくたりと溶けるのが不思議と美味しかった。 

 カリカリと揚がったポテトも美味しいけれど、これはこれで格別なのだ。中身のないような、くしゅっとした柔らかいポテト。ざらっと舌に乗って、それはいつか見た映画の砂漠を思い出させる。

 たった一人、タオルケットを被ってDVDを再生すると、ごくごく平凡なサスペンスが始まる。銃撃戦と、唐突な恋愛ドラマ。犯人は分かっているのに、民子は膝を抱えたまま、それを真剣に見つめる。

 食べ終わってもまだ映画は続いていた。

「上島さん」

 癖のように名を呼ぶ。返ってきたのは雨の音。

「映画館みたいだねえ」

 タオルケットを深く被って、民子は微笑む。

 もう上島との思い出は全て思い出し尽くした、と思っていたのだ。それなのに、食べ物にリンクして様々な思い出が蘇る。

 それは寂しさよりも、ひどく幸福なことに思えるのである。

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