民子のハンバーグ
まるで真夏のような日差しが大地をじりじりと焦がしている。
昼過ぎまで惰眠を貪っていた民子は、歯ブラシをくわえたまま寝惚け眼で窓を開け、初夏の日差しを浴びた。
今日の温度は、初夏と言うより真夏だ。部屋の中にいても分かるほど、跳ねた日差しが皮膚にまとわりつく。夏の、湿度だ。
初の猛暑日となる地域もあるでしょう。と、どこかから聞こえてくる。隣の住人が窓を開けて大音量で流すラジオである。その声に民子は再び外を見た。
日向に止まっている黒い車、太陽に晒されて見るからに熱そう。触れるとジュッと音を立てそうだ。フライパンみたいだ。と民子は思う。だからふと、本当に唐突に、
「今晩はハンバーグにしよう」
と、そう思った。
ハンバーグを食べることはあっても、作るのは久しぶりのことだった。
土曜の午後を贅沢にも無駄に過ごしたあと、民子はようやくソファーから身を起こす。そういえば、起きてからまだ何も食べていない。
それを思い出すと同時に、お腹が鳴った。
「タマネギ、ミンチ、食パンとミルクと」
机の上に材料を並べて民子はひとつひとつ確認する。考えてみればハンバーグはなんて単純明快な食べ物なのだろう。
タマネギを大きめに刻むのは、みじん切りが苦手な民子のいつもの癖。大きめの方が食感が出て美味しいからいいのだ。と、上島にはいつも苦し紛れの言い訳をした。
しかし大きなタマネギがごろりと出てくる方が、断然美味しい。
「食パンはミルクに浸してちぎって」
パン粉代わりに食パンの牛乳漬けを使うことは、ハイカラな祖母から学んだ。パン粉よりも、ずっと柔らかくてふかふかのハンバーグになるの。と、細い指でパンをちぎる祖母は誰よりも淑女だった。
炒めたタマネギにミンチ肉、塩に胡椒に食パン。
単純に見えるハンバーグも、色々な歴史を繋いで今の形になる。
「大きく……大きく」
ハンバーグは大きければ大きい方が、いい。掌の上いっぱいになって、支えきれないくらい大きな小判型。 十分に暖めたフライパンの上にそっとそれを乗せると、じゅ。と音を立てる。想像通りだ。
焦がさないように、でも生焼けにならないように。慎重にフライパンを見つめると額に汗が浮かんでいた。
気がつけば西日が窓を茜色に染めている。
ご飯は炊けた。ハンバーグはそろそろ焼き上がる。ハンバーグの隣を少し空けてそこに卵を一つ。ふちが香ばしく焼き上がるまで、少し耐える。
「完成」
白い皿に崩れないようハンバーグを移し、表面にケチャップを軽く塗る。そしてその上に半熟の目玉焼き。茶色と赤と黄色。これが民子のハンバーグだった。
さらに炊きたてのご飯を用意して、慎重にテーブルに運ぶ。
お皿いっぱいに広がる巨大なハンバーグは緩めで、突くと挽き肉がほろりと崩れる。上島にはじめてハンバーグを振る舞った日、彼は「子供の時にこんなハンバーグが出て来たら絶対、感動した」と目を輝かせた。
その言葉は、今でも民子の中に響いている。
箸の先でそっとハンバーグを割ると、ゆるりと肉汁が広がる。大きなタマネギの欠片がコロコロと転がり出る。口に入れるとほろりと崩れて肉の味が広がった。
「……美味しい」
肉の味をじっくりと味わったあとは、まだ柔らかい卵の黄身をそっと押す。単調だった皿の上に黄色が広がる。肉に黄身を絡めると、ぐっと濃厚さが増した。
それをご飯の上に乗せて、口いっぱいに頬張れば、美味しさに思わず顔がほころぶ。柔らかい肉の奥に、ミルクの香りがある。それは、遠い遠い昔に祖母の家で食べたハンバーグの味によく似ている。
幼い頃、美味しいと思った祖母のハンバーグ。もう食べられなくなった祖母のハンバーグ。しかしその味は受け継がれて、確かにここにあった。
かつての子供の頃と同じ顔をして、民子はにこにこハンバーグを頬張る。
「……これに残ったカレーをかけてもいいなあ」
そして彼女は先日作ったカレーに思いを馳せる。ハンバーグのタネはまだ十分あった。カレーも残りが冷蔵庫の中。残り物と残り物の組み合せだが、それが両方好物なら途端に至福となる。
ごろごろとしたタマネギの食感と挽き肉の脂身を噛みしめながら、民子は明日の夕ご飯を夢想した。