背中 ろく
オーナーが店に出てくるのは本当に珍しい。月に一度は会計に関する用で出てくるが、それ以外はほぼやって来ない。月に五度もやって来たら、天変地異の前触れかと恐ろしくなるだろう。
この画廊は儲け度外視で、無料の美術館のように絵を飾っている。
それもそのはず。
オーナーの兄は世界的に有名な画家で、何点もの作品が世界中の美術館に高値で買い取られている。
その権利の半分は弟であるオーナーが持っていて、その資産は軽く億を超えるらしい、というゴシップ記事を読んだことがある。その記事によると、オーナーの兄は変死、その弟子が殺したのではないかと疑われたが、彼女には不可能だったと証明された。
その弟子、高坂百合子にはしっかりとしたアリバイがあり、また、亡くなった画家の関係者が全員、彼女を擁護したのだ。
彼女は亡くなった画家の財産をすべて受け継いだのだが、オーナーが相続権を主張して彼女の権利の半分を譲り受けたらしい。
……全部、雑誌で読んだことだけど。
そもそも、私は画廊に掛けてある『背中』の絵の作者に会ったことがない。彼女が他の絵を描いているのかどうかも聞いたことがない。
ただ、その姿はよく知っている。この画廊にある亡くなった画家の絵はすべて彼女の、高坂百合子の似姿だからだ。
とても美しい女性だ。美しく、どこか生気のない絵。彼女の視線がすべてどこか虚空を見ているように見えるせいかもしれない。
ふと、先日やってきた女性客のことを思い出した。どこか憑かれたような、目の前にあるものを見ていないような視線。どこかこの世でないものを見ているような視線。その視線が絵の中の高坂百合子の視線と似ていたような気がした。