三十五
大基のアパートに大またで乗り込む。
部屋のドアに鍵を差し込み回そうとしたが、鍵は開いていた。そっと、ドアノブを引っぱる。玄関には確かに大基のスニーカーが脱ぎ散らかしてある。
音がしないように玄関にそっと入り、そっとドアを閉める。
部屋の奥、大基のベッドルーム兼、居間でテレビがついているようだ。
人が心配して来てやってるのに、のんきにテレビなんか見て……。ふ
つふつと怒りがこみ上げた。足音を忍ばせて近寄る。
いきなり大声で怒鳴りつけてやるんだから!
トイレの前まで来ると、足元で床がギシっと大きな音で鳴った。テレビを見ていた背中が振り返る。
さゆみは声にならない悲鳴をあげた。
振り向いた背中には、顔がなかった。
胸も腹も肩もなかった。
ただ、背中だけ。
それなのに、振り返ったのだとわかる。
振り向いた背中は、じっと、さゆみを見ている。
「誰だ、あんた?」
口のない背中からそう問われた気がして、さゆみは逃げ出した。
確かに、あの背中は大基だった。大基の背中だった。あたしがいつも見ていた背中。なのに、振り返ったら、背中は、さゆみを知らなかった!
不可解な出来事より、大基の部屋で大基から誰何されたことのほうにショックを受けた。
大基ならきっと、ヤク中になっても、亡霊になっても、自分のことをわかってくれると思っていたのに。
アパートを駆け出し、闇雲に走る。息がきれても走り続ける。
嘘だ。
あれは、大基じゃない。
大基の、はずがない。
そうだ、大基は、まだ、あの女の部屋に、いるんだ。きっと、そうだ。
そうに決まってる!
さゆみはきびすを返すと、大学に向かって走った。