三十二
急いで部屋に取って返す。携帯を取り上げると、電源が切れていた。
コードをつないで充電し、電源を入れてメールをチェックする。
ほとんどがさゆみからだったが、教務課からの連絡メールも入っていた。
単位を落としそうになっていたら、連絡をくれるものらしい。
理由のある長期欠席なら執行猶予がある、と書いてある。
執行猶予とは!
大基は犯罪者になった気分になった。メールの日付は九月二十四日。
いったい、今日は何月何日だ?
テレビをつける。ワイドショーで今日のニュースとやらの話をしている。
日付は十一月十八日。
……うそだ。
大基はリモコンを忙しなく動かし、他の番組をチェックするが、これと言って日付のわかる番組はなかった。
そうだ携帯、携帯に日付が出るはず。
目を落とした携帯の待ち受け画像は「ツキクルウ」だった。
あれ? いつ撮ったんだろう?
いつ……。
そうだ、金庫に入っているんだ……。
なんで忘れていたんだろう。
大事なものは金庫にしまうものじゃないか。
失くしてなんかいなかったんだ……。
ギシ。
廊下で、人の足音がする。
振り返る。そこに、女が立っていた。
……誰だ?
しばらく見つめ合うと、女は真っ青になって、部屋から駆け出して行った。
なんだ? 部屋を間違えたのか? いやそれどころじゃない、それどころ……。なんだっけ、何をしていたんだっけ。なにが、それどころ……?
ぼうっと、何も映っていないテレビをながめる。テレビは何も映さない。映らない画面に無数のデータが飛び交っている。ざーざーと聞こえない音がする。
そうだ、いかなくちゃ。
かのじょがまっている。
立ち上がると、そのまま出て行った。
「おかえりなさい、どこに行っていたの?」
百合子がにこにこと聞く。
たいしたことないんだ。
なんでもないんだ。
「そう? じゃあ、またモデルをお願いできるかしら?」
うん。
そのためにもどってきたんだ。
百合子に背を向けて座る。背中が生暖かい安堵感に包まれる。背後にぐうっと引っぱられるような感じがする。
包まれている。視線に。すべてあずけてカラッポになる。
ただ背中だけを感じる。
百合子の視線に包まれた背中だけ感じる。
ここに存在している。
この背中だけがすべてだ。
ここにいれば大丈夫。すべてここにあるから。身をまかせて座っていればいい。
包み込まれて暖かいはずなのに。
なぜだろう? 体がふるえる。
なぜだろう? 汗が流れる。
ガタガタガタと汗を流しながら震え続けていた。いつもなら震えだすとすぐに描くのを中断してくれる百合子が、今日はどれだけ震えても手を止めてはくれなかった。
震えはますますひどくなる。もう、暖かいのか寒いのか暑いのかもわからない。ただ、座っていた。ただ、背中を感じていた。
ふと視界がぼやけたように感じた。
あるいは白くなったように。
世界が消えて何も見えない。
見えているはずなのに何も感じない。
ただ視線だけを感じる。
背中に。
ふるえが とまった
「出来たわ。さあ見てちょうだい」
呼ばれて、絵を眺める。男の背中が描いてある。いくつくらいだろうか。いやに細い肩だ。誰だろう?
キャンバスの裏をのぞきこむと「大基 二十歳」と描いてある。
だいき……。
なんだろうききおぼえがあるような……。
「どうしたの、大ちゃん?」
なんでもないんだ。
なんだかしってるようなきがしただけ。
このせなか。
「ヘンな大ちゃん。疲れたんでしょう? 少し休む?」
そうだね。
なんだかつかれたみたいだよ……。
和室に入り、横になる。生暖かい空気に全身を浸す。ゆるりと包み込まれるように感じる。
「ゆっくり、おやすみなさい」
そう言うと、百合子は毛布をかけた。