十四
駅で百合子と別れてから、どこをどう歩いたのか判然としない。いつのまにか部屋にもどり、真っ暗な中でぼーっと立っていた。
あまりにも色々なことがありすぎて、脳が飽和状態だった。部屋に散乱する画材の乱雑さが、そのまま自分の脳の中身のように思える。散乱する脳みそを眺めたまま、ただ、立っていた。
ふと気付くと、テレビがついている。
つけっぱなしで出かけてしまったのか、帰ってから無意識につけたのか。画面は黒く静まり返り、ざーざーと聞こえない機械音だけが鳴っている。何も映さないのに、色々なデータが飛び交っている。
ただ、ぼんやりと眺め続けた。
翌朝、チャイムの音で目が覚めた。ドアを開けると、さゆみが立っていた。
「なんだ、さゆみか。鍵開けて入ってくれば良いのに」
大基が言っても、さゆみは何か思いつめたような顔をして、うつむいている。
「どうした、何かあったのか?」
「……ねえ、部屋、大丈夫?」
「え? 何が?」
「ヘンなこと、ない?」
「何だよヘンなことって」
さゆみは、おそるおそる大基の顔を見ると、すぐに顔を反らした。
「何だよ。お前こそヘンなんですけど。何なんだよ」
大基の陰から、何かが飛び出してくるのじゃないかと恐れているように、さゆみはちらちらと部屋の中をうかがいながら、話し出した。
「昨日、出かけるって言ってたから、その間に掃除とかしてあげようかなって、来てみたのよ。台所の片づけしてたら、玄関が開く音がして。あなたが帰ってきたのかと思って、のぞいてみたら誰もいなくて、鍵も閉まってて。聞き間違いかな、って台所にもどったの。そしたら、廊下を歩く足音がして。ほら、トイレの前、ギシ! ってすごい音するじゃない? あれが聞こえたから、え? って思って見てみたら……」
黙りこむさゆみを、大基はなかば呆れて見つめる。こいつは、朝っぱらから怪談を聞かせに来たのか?
「で、何がいたんだって?」
ため息まじりに聞く大基を、さゆみはキッと睨む。
「男の子! 中学生くらいの! こっち向いて立ってるの! 目があった途端、居なくなってたんだけど……。目があったはずなのに、見てもいないはずなのに、その子の背中しか覚えてないの!」
ぐらり、と眩暈がした。
男の子だ。
廊下に立っている。
部屋に向かって歩いて行く。
テレビのリモコンをとる。
ボタンを押す。
何も映らないチャンネル。
ざーざー。
ざーざーざー。
ざーざー。
ざーざー。ざーざー。
カーテンが引かれた部屋は薄暗い。
その中に、少年の背中が立っている。
なぜか、その背中を知っている。
知っている。
振り返っても、顔は見えない。
なぜか、その背中を知っている。
知っている。
見えないのだろうか?
なかったのではないか?
もともと、背中しか、
なかったのでは、
ないか?
「ちょっと! 大丈夫?」
さゆみが、大基の腕をつかんでゆする。
「大基! どうしたの? 大丈夫?」
血が通っていないようなゆるゆるとした動きで、さゆみの手をどける。
「ああ、大丈夫。すこし、眩暈がしただけ」
さゆみは払われた右手を胸に抱き、上目遣いで聞く。
「ほんとうに、大丈夫?」
「ああ。大丈夫だって。何もないよ。ヘンな事は、何も」
ぼんやりした脳みそを生き返らせるように、大基は頭を振って幻想をふるい落とした。