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十二

 画家と百合子と大介。三人で囲む奇妙な食卓は、まるでいびつな家族のようだった。

 楽しそうにはしゃぐ画家と、微笑み、相槌をうつ百合子は夫婦のようにも父娘のようにも見えた。ただ黙々と箸を口へ運ぶ大基は二人の息子か、あるいは弟のようであったかもしれない。


 食後の片づけを手伝おうとすると、百合子はやんわり断った。


「炊事も私のお仕事なの。これから作り置きの食事も作るから、ちょっと時間がかかるけど、大ちゃんはゆっくりしていて」


 大基は手持ち無沙汰に、画家を探した。最初に入った入り口の部屋のソファに寝転び、ぼうっとしている画家を見つけ、大基は声をかけた。


「お会いできて光栄です。ずっとファンでした」


 画家は大基を手招くと、天井を指差す。高い天井に、大きな蜘蛛が一匹、じっとしている。黄色と黒の縞模様の蜘蛛はコンクリートの灰色の上に接着されているかのようだ。


「ここは密閉されているのになあ。どこから入りこむのか、蜘蛛がいる。もしや、私の脳みそから湧いて出ているのかもしれんなあ」


 ひゃっひゃっひゃ、と猿のような声をあげて笑う。大基は何と言っていいかわからず黙っていた。画家はぼんやりと独り言のように問う。


「蜘蛛は何を食らって生きていると思う」


「……虫、でしょうか」


 画家は寝そべったまま、ちらりと大基のほうに視線をよこした。


「私のハラワタだよ」


 そう言って、また、ひゃっひゃっひゃっと笑う。


「あの……。アトリエを見学させていただいてもよろしいでしょうか?」


 大基がたずねると、画家は黙ったまま、アトリエの方を指差した。

 行けということだろう。大基はアトリエに入り、照明をつけた。

 ボタンやツマミを色々と触ってみる。光源を部屋中好きなところに設定できるようだ。すべての照明をつけてみた。アトリエの中は白い光であふれ、押し出されそうになる。慌てて光量を絞る。

 自分で自分に目くらましをかけてしまい、大基はしばらくフラフラと歩いた。


 歩きながら床に散らばる紙を拾う。どの紙にも、何が描いてあるかわからない、ただの無機質な線が踊っていた。次々と拾い集める。 意味不明の線は飛び跳ね、うねり、流れ落ち、渦を巻き、だが、静かにまとまっていた。


 何かはわからないが、これを知っている。見たことがあるのか聞いたことがあるのか嗅いだことがあるのか。何かよく知っている感覚を呼び覚まそうとする絵だった。

 思い出しそうで、思い出せない。もどかしさに、大基は部屋中の紙を拾い続けた。もう少し、あと少しで思い出せそうなのだが……。

 もっと何か手がかりはないかと、立てかけてあるキャンバスに手を伸ばした時、


「大ちゃん?」


 背中に声をかけられた。


 そうだ。これだ。

 大基は、振り返ることができない。


 百合子の視線だ。

 出会った時から感じていた、背中を這う感触。


 この絵はこの感触そのものだ。

 では画家も、この視線で、百合子から見つめられたことが、あるのだろうか?

 知っているのだろうか? この感触を。


「お待たせしました。終わったから、おいとましましょう」


 百合子が微笑む。大基は逆らえない。きっと、画家も同じだ。なぜか、そう感じる。

 大基はアトリエの照明を落とし、百合子の後へついて行った。


 「では、先生。来週また参ります」


 画家はソファから飛び起き、しかし、その場からは動かず、目をぎょろぎょろとせわしなく動かしている。


「あ、ああ。来週、ね。そうだ、来週ね。うん、来週、うん……」


 百合子は鍵を取り出し、鍵穴に差し込み、回す。鍵をノブの代わりにしてドアを引いて開ける。外はすっかり暗くなっていた。


 ドアを出て大基は振り返る。画家は何か言いたげな顔で大基を見つめていたが、百合子はさっさとドアを閉め、鍵をかけた。

 分厚いコンクリートの向こうに生命を持ったものがいるとは思えないほど、あたりはしんと静まっていた。

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