地獄の守門犬 第一話
無断転載、パクリ禁止で読んで下さい。
この作品に出てくる登場人物や出来事は全てフィクションです。
更新は凄く遅いので、のんびり気長に待ってください。すいません。
其処は無限に広がる闇の世界。
ゆらりと揺れ舞う青紫の炎。
そして奥深く、聞こえる鋭い鎖の音。
深く深く......
待っているのは、鎖と言う呪縛に縛られ、時の見えない苦痛。
ーー終わる事の無い暗い地獄の中に......
なぜ、なぜ私が落とされる。
ーー憎い、憎い......
なぜ全てが私を否定する。
ーー壊してやろう、この世を。そしてーー
私が完全なる世を造り王に成ってやろう。
だからーー
最初にここを破壊せねば。
闇の中、風も無いのに不気味な青紫の炎が揺らめく。
唯一その光に照らされているのは、多くの鎖で拘束されている人らしき者。
静かだ。
けれど、この静寂さは一団の霧に破られた。
霧は徐々に影へと変わり、暗い闇の中を歩く。
「番犬か…」
縛られし者は冷酷に言い放った。
此処地獄には滅多に相手から此方に来る事は無い。来たとしたら、地獄の番犬が巡回中なのだ。でも気配は感じ取れないので、具体的に誰かは分からない。
「地獄の番犬様は随分と暇そうだな。」
笑馴染みの声が暗い闇の中に響く。
地獄の番犬、番犬とは随分と心地の悪い呼び方だ。彼らは地獄の守門犬と言う立派な名称を持っている。
守門犬は微動もせずただ対面で全てが鎖で覆われている白い髪の人物を見下す。
「丁度良い、地獄の番犬とも話がしたかった。相手に成ってもらおう。」
守門犬は黙りこんだまま思考する。
そして彼は口を開いた。
『良いだろう』
地獄の者とは話をした事が無い。囚人が自ら話しかけて来るのは珍しいと言えるだろう。そして何より話して来る内容が楽しみなのだ。
『何の話だ?詰まらん要求だけは辞めてくれ。』
楽しそうに飄々と言い話す守門犬に対し、囚人の言葉は鋭く冷静に語る。
「お前はこの地獄の新しい番犬か?」
『あぁ、今日からな。』
だから一人ずつ見回っている。今の囚人の記録を知って行くのが重要だ。
「なら良い事を教えてやろう。」囚人は平然に言い続ける。
『良い事......?』
怪訝そうに眉を寄せる守門犬である。
その問い掛けに囚人は口を歪める、怖ろしい笑みだ。
「忠告だ、赤い月の夜、扉は開き、全ての者が解き放つ。そして、この世に新たな王が誕生する。所詮地獄は奴らにとっては薄い壁だ、ほんの少し力を使えば跡形もなく消えるだろう。」
『なっ...』
思わず絶句する。
狂ってる、後も見えない暗い闇の世界で此奴は夢にも似た言葉を吐き出した。
意味は不明だ、でも何故か胸騒ぎがして落ちつかない。
ーー地獄が跡形もなく消える。
その言葉ははっきりと脳裏に刻まれた。
『どう言う意味だ......』
言葉の意味を追加し出さなきゃならない。
でも奴は狂言綺語を語った後、何を言っても笑続けた。
狂っている。
記録から見ると、奴の名前からなぜ堕獄した理由まで全部書かれて無い。唯一記録に残ってるのが10年前此処に堕ちた事とーー落とされた時はまだ5歳の子供だと......
ただ一向笑う目の前の少年に対し、守門犬は苦虫を噛み潰したように悔しい表情だ。
どうしてだ、どうして記録が無い。
そして、一つの疑問が頭を過った。
地獄に堕ちた彼はなぜまだ成長しているのか、まるで本人はまだ何処かで生きているかの様に。
思考を切り替えて、此処で留まっても仕事は進まない。先を進み後で考える事にし、守門犬は霧の様に掻き消えた。
取り残された彼は笑うのを止め、また口元を吊り上げた。
そっと呟く......
「さぁ...いよいよお伽噺の始まりだ。」
巡回が終わった守門犬の黒炎は地獄の門に腰を下ろし、疲れの混ざった溜息を一つ吐いた。
今さっき巡回中に出会った少年の事を思い出す。
縁の無い話をし、記録に残らない身分、そして今だにも成長し続けている体。
ーー赤い月の夜、扉は開き、全ての者が解き放つ。
赤い月の夜、今日の事か......
可笑しい、何故こんなに不安なのだ。
その時、揺れた。
ーー地獄が揺れた。
地震?!違う、地獄に地震なんて......
大きく揺れると同時に遠い闇の奥からいろいろな咆哮が聞こえる。
来る。地獄の門に向かって。
ーー囚人達は鎖を断ち切り脱走しようとしている、それもかなりの数だ。
「奴の言っていた戯言はこう言う意味か。」
そう感心混れな思いをし、青紫の炎が彼の身から燃え上がる。
そしてーー赤月の夜に攻守戦が始まる。
桜の花弁が一枚ゆらりと舞落ちる。
薄く透き通った月は壮大な桜の木を照らしている。
白く輝く満月の夜に、少年は其処に立っていた。
ーーまただ、またこの夢だ。何度見ても落ち着く。
自分は桜の木の側に立ち、この景色を見ている。
花弁は静かに足元の水面に降り立つ。
そして、冷たく凍える闇が目の前に降り注ぐ。
ーー俺は...俺はこの場所を知っている。
ーー怖い、思い出すのが怖い。
怖い、怖い、怖い、怖い...
瞼が開く、冷え汗が単を濡らす。
荒い息を何度も繰り返し、やっと落ち着いた。
「まただ、またこの夢だ。」
怖ろしく冷たい、自分は誰かを待つ様にずっと其処に立っていた。
ふと、外を見ると、血に染められた赤月がぼんやりと京の都を照らしていた。
地獄の門前、黒炎は必死に暴れ出る囚人達を鎖で止める。
「ック......切りが無い」
何百、何千もの囚人が一気に押し寄って来る。
その時、目の前に一つの影が降り去った。
「また会ったな......」
彼は冷酷にーー笑った。
一瞬の光が黒炎を包み込み、やがて意識が段々遠退いて行く。
ーー地獄の門が開かれた。妖怪達が逃げて行く。
ぼやけた視界に、最後に見たのは白い炎を纏った奴の姿だった。
京の夏は暑い。
とにかく蒸し暑い、湿気が高く座っているだけで狩袴は汗で滲んでいる。
こんな日でも陰陽生達は相変わらず勉強熱心だ。
そう途轍もない暑さで暗い顔をしている一人の少年を除き......
「暑い。」
陰陽生は陰陽博士に従い様々な陰陽の術や占星術、時々修行の依頼を受け妖怪や化け物退治、その他色々。
少年は隣に置いている書類を見て軽くため息を吐く。
この少年、名は安倍桜蓮、二年前に元服し、今はこう陰陽生として陰陽師を目指しているのだが......
「帰りたい。」
暑いはともかく、昨晩またあの夢を見て、一晩中寝れなかった。今は最早体力の限界に近い。
そんな凹んでいる桜蓮に一人の陰陽生が声を掛けた。
「桜蓮殿、何やら元気がなさそうだな、何かあったのか?」
「嫌......」
元気一杯の微笑みをしている彼の言葉に対し桜蓮は不機嫌な顔で短く返す。
彼の名は藤本光義。人はともかく、何時も自分に引っ付いて口うるさく喋るのだ。
正直、うるさい奴は嫌いだ。
「そうだ、桜蓮殿」
彼は顔を此方の耳に近寄い、続けた。
「昨晩陰陽師殿達が占星をしていると、とても不穏な結果が出たと。そして、幾つかの星が前触れも無く逆に回っているとの噂」
「其れって......」
桜蓮は興味深そうに瞠目した。
星が逆移動。其れは天地をひっくり返しても起きてはならない事。
と言うよりも絶対に起こらない事。
けれど、其れが昨晩ーー
「最も詳しい状況は晴明殿に聞くといい、何せあんたの父上は立派な陰陽師だからな。こんな事は絶対に予想してただろう」
晴明と聞くと、桜蓮はピクッと考え事を辞め肩を震わせた。
「安倍晴明か......」
声を震わせながら暗い顔に戻り、今さっきとは違い、怒りを堪えてる様な。
そんな彼を見て、光義は何気なく冷気を感じた。
こんな暑い日に寒さを感じるなんて、恐ろしい。
怒りを堪えたまま桜蓮は自分の書類を抱えた。
「今日は体調が悪いのでここまでにする。帰る。さようなら。」
そして、書類を慎重に抱え込み、駆けて行った。
「やれやれ......」と光義は苦笑混じれにその後ろ姿を見送った。
一体晴明殿とどんな怨が......
「誰が、誰があんな奴に......」
桜蓮は独り言を言いながら、帰り道をとほとほと歩いている。
彼は小さい頃母も父も無く、記憶も失われた。
そんな彼を晴明は拾って家族にしてここまで育ててくれた。
その恩は一生忘れ無いが......
「やっぱあの態度がムカつく!!」
深刻に考える旅に、桜蓮の表情は段々暗くなる。
「そーんな顔すんな、人生はまだまだ長いぞーー。ほれ、何を悩んでおるのか、俺に話してみろ」
何処かで声が慰めて来る。
でも其れはこれとは関係無い。
誰かは知らないが、無視。
「おいっ!人を無視するな!」
誰かが騒いでいる。
無視。
「おーい!お前聞いてるのか!若い歳なのに、耳が遠くなったのか......」
うんうんと納得して頷く声が聞こえる。
うるさい。
「それとも、礼儀が......」
「うるさい!!!」
最後の糸が切れた。
桜蓮は思いっきり後ろに振り向け怒鳴り返した。
あれ......誰もいない。
目の前には誰もいないのだ。
まさか逃げ足がちょー早い奴かもしれない。
その考えはやはり甘かった。
「おい!目まで可笑しくなったのか!此処だ!ほら、すぐ下にいるだろ!」
声に釣られて足下に視線を落とす桜蓮である。
「......」
そこにはなんて、可愛げの無い犬がしつこく此方を見上げている。
よく見ると、変わった犬だな、と思い込む桜蓮。
子犬は全体白く癖の無い毛並みで覆われている、その上、耳先と尻尾の先には紫の毛並。
そして何より喋れるのだ。
妖怪なのかな、其れともそこら中で出歩いている雑鬼達だろうか、物の怪にも一応分類されるのかもしれない。
「何だお前、俺にでも用が有るのか?」
変な子犬は瞬きをし、一言呟く。
「顔をもっと細かく見せてくれ」
はっ!?いきなり何なんだ!と心の中で怒鳴り返す。
子犬は真剣そのものだ。
雑鬼か妖怪か知らないが、大胆な態度で一応将来の陰陽師になる人に向かって失言はあまり良く無いと思う。
「おい、顔ぐらいいいじゃねーか」
でも弱そうなこの子犬に何ができるか、万が一に襲ってきたり、悪戯でもしたら、知っている限りの知識で此奴をその場で祓ったらいいだけの話し。
そう考えれば、顔ぐらいちょっとだけ見せてあげてもいいと思う。
「じゃぁ、今回限りな」
桜蓮は面倒臭そうにしゃがみ込み、なるべく見やすくしてあげる様に子犬の視線とほぼ同じ高さに合わせた。
「......うーん......」
何か似てる様な似てない様な、と眉尾を寄せる。
京の都では本人以外似てる人なら一人か二人ぐらいはいる。
子犬は少し悩んだところ、やっぱり人違いだよ、と残念そうに答える。
でも、と続く。
「お前見たいな見鬼は相当いないな。陰陽師目指すのはいいと思うぜ。」
「あぁ...そう。それはどーも」
桜蓮は半呆れな顔だ。
もともと自分は陰陽師なんて興味が無かった、だが、親も無い幼い子供をここまで育ててくれた義理の父の為に後を継ぐと言ったのは他にも無い、この自分自身だ。
でも其れはやはり実行するのが難しい。ーー自分は甘かったのだ。
毎日修行や陰陽の知識の勉強を取り組み、一年中暑い日も寒い日も努力をする旅に、段々やる気が失せて来る。
陰陽生になった今、自分はか弱い妖怪一匹も退治した事が無い、それであの狐の後を継ぐとはまだまだ前が見えない。
「お前まさか陰陽生で、か弱い妖怪や悪霊とか一度も祓った事無いの?」
その言葉は直接桜蓮に釘さした。
当たった見たいだ。本当に素直な奴だ、何考えてるか表情ですぐ分かる。
「まっ、素直な人は嫌いじゃない。」
「......っ」
「手伝ってあげてもいいぜ、陰陽師になるんだろ?じゃぁ、まずは夜回りからだな、有名な奴は皆それからやってるぞ。」
「余計な事を...」
「まっ、やるかやらないかはお前が決める事だ、今夜この場所で待ってるぞ。じゃぁな。」
子犬は飄々と言い終わるとその場から立ち去った。
あんな小さい奴に何の役に立つのだろ。
でも、もしかしたら強い奴かもしれない。
桜蓮は立ちすくみ、子犬が去った道をじっと眺めて呟いた。
「今夜この場所でか......」
夜は暗い。
その暗さに隠れている得体の知らない物はただ人の目には映らないだけで、実はすぐ隣にいるのだ。ーー沢山いるのだ。
闇が蠢く。
『感じる...感じるぞ...』
『......食ってやる......』
古い屋敷の中、桜蓮は山になった書類を書き終わり、仰向けになっていた。
ーー今夜この場所で待ってるぞ。
あの感高い声がはっきりと脳裏に残り、消えない。
「どうしようか...」
行くべきか、行かないべきか。
そうやって桜蓮は少し考え込み
立ち上がった。
「自分で決める、か......」
フッと笑い桜蓮は屋敷の外へと飛び降りた。
子犬は四条大路と鳥丸小路の交差する角で待っていた。
あの昼間の子供はとても興味深い。
自分が気に入ったのはあの子の見鬼の強さじゃなく、自身に秘められた力。
でも、やはりあの子は彼奴に似ている。だから詳しく情報をつかめないと。
子犬は北の空を睨んだ。
何かがいる...
「北か...確か......」
はっと何かを思い出した様に子犬は土を蹴った。
万里小路の北を歩いていた桜蓮はふと足を止めた。
京の夜は暗い、唯一の灯りと言えば月の光だけ、其れだけではやはり暗さは変わらない。
桜蓮は後ろに振り返り、何も無い闇へ鋭い視線を滑らせた。
何か変な予感がする。
どう形容したらいいか、何だか鳥肌が立つ様な寒気がする。
じっと闇を見ていたおかげか、段々暗闇が失せ、街の輪郭がはっきりとして来た。
影が蠢く。
予感は当たった様だ。
『......ってやる』
『...くっ......やる』
桜蓮はできるだけ後ろを振り向かず、走り出した。
影はその場で走り去った子供を見て、その後を追った。
『...食ってやる......』
桜蓮は全力で走った、術も使った事の無い彼に、あんな化け物を倒せる訳が無い。
ここは逃げるのが得策だろう。
でもどこへ逃げる?自分の家には晴明が結界を貼っているけど、巻き戻すには遠すぎる。
背後を一回横目で確認する。
化け物は猛スピードで追って来る。
このままだと追いつかれてしまう。
その時。
「うわぁぁ!!!」
桜蓮は体の均衡を崩し、そのまま地面へと突っ込んで行った。
「......っ!」
後ろから化け物が襲いかかって来る。
こんな時に何の術を使ったらいいのか思いつかない、修行の為に来たのに、こんなにあっさりとやられてはこっちが困る。
でも、やはりもう駄目なのか。
化け物の爪が桜蓮の体に触れる寸前
ーー青紫の炎が藍色の空へと燃え上がった。
闇に囚われし者は罪として永遠に閉ざされる。
誰でも光を求めて這い上がって来る。
でも、皆地獄の炎に呑まれ堕ちる。
闇の者は自分の居場所にいなければならない。
闇こそ奴らの現実なのだ……
闇に包まれた凄絶な京の都の夜に、紫炎が燃え上がる。 桜蓮は地面に転んだまま目を伏せていた。
自分が食われるかと思ったが、化け物の絶叫が耳元で響いた。
のろのろと恐れながら目を開き何事かの様に周りの様子を探る。
「今のは一体…」
桜蓮の目に映ったのは苦痛で喚いている化け物だった。
青紫の炎が化け物の体を包み込み燃え上がっている。
なんだこれはと思い込むと同時に後ろから懐かしい声が聞こえてきた。
「おいっ、大丈夫か!」
声につれ桜蓮は後ろを振り返った。
子犬は二条大路を疾走していた。
あの事件からそんなに時間は経ってないのに、この嫌な気配は何事か久々に感じる。
全身の血が騒ぐ。
「やっと一匹目が出たか」
そしてあの子供もあそこにいる。
子犬は一つの角を曲がりさらに速度を上げた。
その時だった、青紫の炎が燃え上がり、火花が京の空を舞う。
「あれは…」
子犬は走るのを止めじっと目的地の炎を見た。
そして気を取り直し、炎が舞う方へと土を蹴った。
子犬が着いた時、炎はまだ勢いを増していた。
その道端に倒れている子供がいる。
「おいっ、大丈夫か!」
安全確認のため一度呼びかける。
子供はその声に応え振り返ってくる。
どうやら怪我は無いようだ。
子犬は子供の傍に駆け寄り「立てるか」と問う。
子供——桜蓮はその問いに「あぁ…」と答える。
桜蓮は何が何だか分からない様子で立ち上がり、姿勢を立て直した。
一体何がどうなってるのだろう。
チラッと隣で化け物を睨んでいる子犬を見た。
まさか此奴がやったのか、と思った。
桜蓮の視線に気づいたのか、子犬は横目で彼を見る。
「何だ?」
「いや、何も」
桜蓮は顔を背けた。
やはりこんな子犬にあんな力が有るわけ無い。
「行くぞ、奴はまだ完全に焼かれてない、炎が消えればすぐに襲いかかって来る」
子犬は自分が辿って来た道を走って行く。
桜蓮はその後を追う。
どうなっているなのかはまだ理解できて無いが、何もできない自分がこの危機を逃れようとしたら、目の前のこの小さな犬を信じる他何も無い。
悲痛を上げる化け物を纏う炎は徐々に消え失せていた。
『お...のれ...食ってやる!』
何れぐらい走ったのか、そして何処まで走ったのかのも分からない。
桜蓮は足を止めた。
「少し...やす...ませて...くれ」
荒い息を何度も繰り返し、途切れ途切れの言葉を吐き出す。
子犬も走るのをやめた。
「所詮は人間だから体力にも限界が有るんだろう」
そして、走って来た道を眺めて続けた。
「こんなに走ったし、一時は追ってこれないだろう、良し、少しだけ休もうか!」
子犬はちょこんと地面に座りこみ、続けて桜蓮が地面に倒れこむ。
倒れこんだ桜蓮は仰向けでいつもの平和な京の夜空を眺めていた。
凄く綺麗で始めて見たかの様に感動だ。
あの時あの炎が無かったら、今頃の自分はーー
「......」
呼吸は静まり、全体的に落ち着いてきた。
「お前、違和感なとこは無いか?」
「何の事だ...」
「いや、何でも無い」
会話が途切れた。
沈黙が訪れ、呼吸の音しか聞こえない。
「地獄って知らないか?」
子犬が問う。
「地獄...聞いた事があるだけだ」
地獄と言えば罪を犯した人や生き物の魂を暗闇の中に閉じ込め、罪の代価として一生苦痛を味わう所だ。
「でも、それが如何した」
「そう言えばお前、名は何だ」
桜蓮は言葉を無視されいきなり話題を変えた子犬にちょっとムカつく。
自分で言い出した話題だ、ちゃんと人の話も聞け!と心の中で叫ぶ。
でも、知り合った時間は一日も経っては無いけど、桜蓮は何だかとても懐かしく感じる。
「......」
何でだろう、とても懐かしい、前に何処かで会った気がする。
名前ぐらい良いか...
「俺は...」
ドカン!!
突然の爆発音で桜蓮の言葉は掻き消された。
桜蓮と子犬は突風に吹き飛ばされそうだったけれど何とか耐えた。
「何だ!?」
今の爆発はこの近くからのものだ。あり得るものを考えれば、今さっきの化け物に違いない。
子犬は舌打ちをし、前方を睨みつけた。
「結構足が早い奴だ」
くねくねしていて気持ち悪い奴だったが足は意外に早いものだ。
「おい!」
子犬は自分と同じ方向を見ている桜蓮に叫んだ。
桜蓮は「何だ」と短く応える。
「今の俺たちには体力が消耗し過ぎてる、特にお前だ、逃げたとしてもすぐに追いつかれる」
「其れは、そうだな...じゃぁ如何するんだよ」
「だから、俺の仕事を手伝ってくれないか?」
今さっきの炎は自分が出したものでは無い、そう、この目の前にいる子供が。多分自分の力に意識は無いが、確実にあれは地獄の力だ、間違える訳が無い。
「仕事...?」
桜蓮は眉を寄せる。
「そう、仕事だ」
子犬の周囲から青紫の風が吹き始め徐々に桜蓮を取り囲んだ。
「...っ!」
桜蓮はこれは如何いう事だと口を開こうとしたが、また子犬に先を取られてしまう。
「いいか、よく聞け。今の状況じゃきっと追いつかれて二人とも彼奴の餌になってしまう」
「あぁ...其れは確かに」
「そしてお前は何故だか俺と、いや、俺以上地獄の力を持っている」
「地獄の力?」
今の桜蓮は疑問で頭がいっぱいだった。
「話せば長い、簡単に言うと俺の仕事に必要不可解な力だ、手伝わなきゃ、俺ら二人はあの化け物の晩飯と言う事だ」
桜蓮はようやく子犬の言葉を理解した、大体だけど、自分が手伝わなければ二人とも化け物の晩飯に成る。
そんな会話が交差する間に化け物はもうすぐ目の前に来ている。
「そう言う力が出せないお前に俺が代わりに仕事を手伝うって訳か」
「分かったならさっさと契約し、化け物を倒す事だ」
「契約...?」
桜蓮と子犬を囲む周囲の風がもっと強まった。
「光無き闇に纏う紫炎、獄の源を現す漆黒の扉、我、地獄の守門犬四代目黒炎に代わり、五代目を承認する」
青紫の風の中から、何処から出てきたのかも知らない鎖が数本這い上っている。
「お前、名は何だ」
「名前は...」
化け物はあと数歩の距離だ。
風は強くて目を開けるのも精一杯だ。
「俺の名は桜蓮だ!!」
次の瞬間溜まっていた風が一気に拡散する。
今さっきまで、吹いてた強風が止み、さらに自分の右手には紫色の炎に全てを包まれた鎌が握られていた。
「これは...」
そう呟く間に化け物は飛びかかって来た。
桜蓮は反射的に鎌を上に振り上げ自分を守る様に後退った。
『ぐぁぁぁーー!!』
鎌は化け物に直撃し、桜如くな炎が舞い散る。
「そのまま切れ!!」
子犬が叫ぶ。
桜蓮は鎌を抱え直し、化け物目掛けて振り下ろした。
そして、化け物は絶叫の響きを京の夜に残し、消えた。
「何だったんだ...今の」
「今日はここまでだ、詳しくは家につ着いてから話す」
桜蓮はちょっと考えてから、苦い顔へと変化する。
「家って...お前も行くつもりか!やめておけ、家には晴明の結界があって、妖魔とかは入れないんだ」
と、桜蓮は説明する。
「俺がこんなにも妖怪や化け物に見えるって事か」
子犬はあきれた顔で続ける。
「今さっき契約時にも言ったけど、俺は四代目守門犬の黒炎、其処ら中もろもろいる妖怪達と一緒にするな」
黒炎はもうそれ以上話したくない顔付きで先に道を進んだ。
「だから、守門犬って何だ!」
桜蓮もそれ以上は話さず黒炎の後に続き帰り道を進んだ。
二人とも喋らず家に帰った為、帰り道はとても静かだった。
桜蓮は裏庭の壁から跳び越えて中に入る、夜回りに出る時は家の人に内緒なので、当然の事だ。
続いて後ろにいた黒炎も軽々と自分より数倍高い壁を跳び越え、庭の草原に着地した。
その顔には満足そうな笑みを浮かんだ。
「ほーら言っただろ、俺は妖怪とか化け物じゃないって」
その口調には嬉しそうな中、挑発が混ざっている気がした。
そんな可愛げのない子犬の黒炎を見て、桜蓮はため息を吐いた。
「そんな事気にしてたんだ」
そんな言葉を言う間に、黒炎はもうすでに桜蓮の部屋に入っていた。
「かってに人の部屋に入るな」
桜蓮はブスッとした顔で怒鳴りつけた。
桜蓮の部屋はとても普通で、飾り物などほとんど無く、部屋全体は山になった書類に埋め尽くされている。
黒炎は部屋に入ると、その場にちょこんと座り込み、周りの書類を一つ拾いあげた。
「陰陽の術...ね」
「だから、かってに人の物を触るな」
桜蓮は黒炎の手元から書類を奪い取った。
桜蓮は幼い頃からよその者を家に連れて来るのは嫌いだった。
どうせ、こちら側に迷惑をかけるだけだからだ。
「で、家に到着したら説明してくれるんじゃ無かったのか」
黒炎は何かを思い出した様に「あっ」と声を漏らす。
「忘れてた」
笑ながら謝る黒炎に対し、桜蓮はもう限界が近い。
黒炎はそんな彼を見て仕方なく一時真剣な表情になった。
「お前、何が聞きたい」
「何って、決まってるだろ、最初にお前は何者だ」
桜蓮はきっぱりと質問を言う。
「そう来ると思った」
黒炎は半目で桜蓮を見上げて呟いた。
そして、自分の来歴を語り始める。
「俺の名は黒炎、こう見えても地獄の守門犬四代目だ。」
黒炎は立ち上がり、小さい部屋を歩き回りながら続けた。
「まぁ、そこは知ってるか。それじゃ、守門犬という仕事について話す前に、俺達の地獄から説明しよう」
黒炎はもっと真剣になった。そして、薄暗い部屋で映し出された姿はやや不気味だった。
「お前達人間が知ってる“地獄”ってのは、人の魂を闇の底へ堕とす事だが、俺達の“地獄”はそれとは別空間で、全く違う。妖怪の魂を納めるのが俺らの地獄だ」
「妖怪ねぇー」
桜蓮は自分の狩衣を綺麗にたたみ、単衣一枚の姿で寝る準備をしていた。
無理も無い、陰陽生として明日は授業もあるし、今日はいろいろあって、疲れているのだろう。
「その、悪ーい妖怪を捕まえるのが俺らの仕事ってこと」
「その守門犬って代々受け継いて行くのか、ほら、四代目何とか言ってたな」
「あぁ、地獄の炎がその人にあればな。だが、初代守門犬の血を継いでる者だけだがな、お前は例外っていうか、謎だ」
黒炎は不思議な眼差しで桜蓮を見て、書物の中に寝転がった。
「今日説明できるとこはもうこれで全部だ、さっさと寝ようぜ」
桜蓮は周りに散らばった書物を拾い上げ、整いた。
説明すると言ったが、それは極僅かだと思う、事実がこんなに簡単過ぎる訳が無い。絶対何か隠している。
なぜこいつはその守門犬なのに仕事しないで、その上こんな子犬の姿とってるのがまだまだ謎だ。
だが、今日は遅いので、また今度少しづつ聞くことにし、床で横になり瞼を閉じた。
まだ、聞く機会は沢山ある、桜蓮はなぜかそう思った。
翌朝、まだ夜が明けてない頃、桜蓮はとっくに起きていた。
安倍屋敷から陰陽寮までの距離は余程遠くはないが、早い方が人も少ないし、静かだ。
「今日も気楽でいけそうだ...」
と、呟いた。
「よぅ~桜蓮!おっはよー!」
頭上から声が聞こえ、顔を上げた瞬間。
上から何かが降って来た。
桜蓮は床に潰された。
「ゔ...ううっ...まだこいつがいたか」
昨日の深夜、共に化け物退治をした子犬だ。名は確か黒炎と言っていた。
這い上がった桜蓮は黒炎に向き直り睨みついた。
「お前、朝から何なんだ...相当むかつく奴だな」
「どーも」
冗談で笑い流す。
「大体、犬のくせに随分生意気だな」
桜蓮は黒炎に向かって怒鳴りつけた。朝から本当に迷惑だ。
「俺だって好きでこんな姿になったんじゃないんだ!元の姿はそれはもう立派で!」
黒炎も桜蓮に負けないぐらい怒鳴り返した。
桜蓮は少し子犬姿の黒炎を見て考えこんだ。
そしてしばらく沈黙し、ようやく桜蓮が口を開いた。
「お前、確か名前は黒炎だったな」
「それが」
黒炎は呆れて半目で桜蓮を見上げる。
「ただ、子犬姿でその名前は呼びにくいかなって思って。だからさ、名前を考えてたんだ」
「呼びにくいって...どう言う意味だよ!こ、く、え、ん、って簡単だろ!」
必死に反論する黒炎である。
「いや、ただ似合わないかなって」
「...」
ズバリ言われた黒炎は黙りこんだ。
一理ある、今の自分はこんなにも弱々しい子犬の姿。その名を呼ぶにもちょっとは合わないかもしれない。
「だからお前は今日から“黒”だ」
「こく!?何だそのてきとーな名前は!やっぱり俺は黒炎だ!」
その適当な名前に黒炎は納得がいかない様だ。
「よし、行くぞ黒」
桜蓮は気分良さそうに歩いて行った。
「ま、待てよ」
黒炎、いや、黒もその後を追った。