終話 最初で最後の格闘
最初で最後の葛藤……
────────────あぁぁ、まさか。そう言う事もある、なんてな……思わなかったよ。
てっきり俺は、跡形も無く消えるとばかり思っていたのに、な…………
・・・・・・
鳴神 優翔。彼は今、人生最大の葛藤をしていた。
彼自身と、内なる存在との葛藤。その壮絶なる葛藤を仮にも名付けるなら……忘却と記憶。怨念と雑念。希望と絶望。そんな誇大的な、おこがましいまでの言われが何故か当て嵌まってしまう彼と彼の格闘。
今、火蓋が切って落とされた────────
「ゔごッッッ!!?」
呻き声は優翔〈記憶・雑念・絶望〉のもの。勇気を振り絞り右拳を振り被った彼だが、駆け出した直後に優翔〈忘却・怨念・希望〉が瞬きの間に肉薄し、"記憶"の胸部を真っ直ぐに打ち抜いた。
肺から空気が抜け出る感覚と同時、堅牢な何かがボキボキと音を立てて弾けた。
"雑念"の彼は吹き飛び、転がりながら鮮血を吐き散らす。回転が落ち着いた頃には、その空間の地面らしき辺り部分に"怨念"から"雑念"まで続く血のカーペットが出来上がっていた。これが今まで自身の『暴力』を担当していた者、『膂力』に相当していた者、『威力』で正当していた者……何もかもが敵わない要素、何もかもが勝てない要素。
相手が"力"なら、自分には何がある? 答えは簡単だ、『何もない』。ある筈も無い。何故なら、自分には元々無かったモノだからだ。
だったらどう足掻いても負け、敗北、死。だのに、だと言うのに、何故、何で…………
「────うるせぇよ……」
!!!!!
「負けても、敗北しても、死んだとしても、俺は……返すって決めたんだ。この恩を、暖かさをくれたみんなに、何より良くしてくれた紫さんに、今の俺がある感謝として、あいつを倒すまで俺は、倒れないって、決めたんだ……決めたんだッ!!!」
…………なるほど。合点がいった。ならば最後まで見届けよう……鳴神 優翔の勇姿、しかと語ろう。
血を口から溢しながら"絶望"の少年はゆっくりと力強く立ち上がる。その足には不思議と揺らぎも緩みも無く、骨と筋肉が確かに彼を立ち上がらせた。それは彼の決意か覚悟か、いずれにせよ、吐いた血の量を天秤に掛けられない程彼は剛健だった。
「どうした? か弱い女性は砕けても無力で無能なバカ砕けないか? とんだ別人格だなおい!」
挑発の言葉と共に血の飛沫を吹きながら、彼は更に内側で滾らせる。何を? 彼は一体何を滾らせている?
「俺には何にも無い。頭は良くないし、生き方だって上手くないし、要領も全くだ。ただな、何にも無いって事は、何にでもなれるって事だ。お前と同じように、力を手にする事だって!」
〔ナ────何ダト?〕
"希望"は眉を傾げて"絶望"の言葉を哀れな宣いと一蹴しようとした時、突如訪れた違和感に発する言葉を急遽変えた。自身の力が僅かだが減っている……直感か? 否、では凶兆? 否、否。それは事実だ。紛れもなく"怨念"の力は削り取られていた。
では何に? 言うまでも無い。"雑念"の優翔だ。力を削り取られたのは全て彼の仕業だ。
〔オ前、俺ニ何ヲシタ!!?〕
「不思議だな。俺は強く思っただけだ。実感する程強く願っただけだ。俺とお前は俺自身でありお前自身。つまり、俺とお前は同等だ────そう思ったんだよ。頭の中にしっかり刷り込んで記憶するようにな」
それは奇跡か偶然か、"記憶"の彼には記憶ならではの『記憶する程度の能力』が残っていた。意図せず発動されたその能力は彼の自己暗示にも近い記憶の刷り込みで強固な効果を発揮し、"忘却"から力を奪った……いや、奪い返したのだ。
〔フザケルナッ!!!〕
その時、"忘却"の怒声で『忘却する程度の能力』が発動し、能力の効果が拮抗して打ち消し合う。だが、"記憶"の彼には力が手元にまだある。それはつまり、力の移行は自分自身同士の内では共有の内にある為、一度実行されれば力の行き場は再び奪われるまでその場に留まると言う事だ!
「難しい事はわからないけど、要はこれで殴れるって事だなぁ!!!」
駆け出す"絶望"は今一度右拳を振り被って"希望"に向かって殴り掛かった。力の移行で身体能力も上昇したのか、脚力も上がり、"希望"の反応も遅く、今度は右拳の殴打が直撃した。
顔の中心に拳を受けた"希望"は吹き飛び、空間の地面らしき辺りを何度か跳ねつつ、"絶望"の彼と同じように転がって口では無く鼻から夥しい量の血を吹いた。血のカーペットでは無く血の水溜りだが、そのダメージは今まで"希望"が見せる事が無かった苦痛に歪んだ表情が物語っていた。
〔グッ……オェ……!?〕
「はっ! これでやっと対等だな、俺!」
"雑念"の言葉に睥睨で返す"怨念"は少しのダメージも感じさせない足取りで即座に立ち上がって駆け出し、"雑念"を殴ろうと右拳を振り被る。"忘却"の一挙一動を見ていた"記憶"の彼は一瞬溜めた右足で蹴り出し、その加速で"忘却"の右拳に左拳を合わせて突き出した。
交差する拳と拳の軌道は互いの顔面を捉え、一分もズレずに直撃した。互いの力と力、それのみならず思考、技術、経験も掠め取ったのか、この時の"記憶"の彼の左拳はカウンターとして"忘却"の顔面に減り込んだ。
当然カウンターの理論を通すならこの拳の打撃威力は2〜3倍に増す。因ってこのやり取りでダメージを受け吹き飛ぶのは"希望"だ。
〔ゴァ! ゥォォォォ……!!!〕
再び地面を転がる"怨念"は悔しさと恨めしさを込めた唸り声を上げながら転がりから体勢を制御し、"雑念"を殺す一手を打って出た。それは"怨念"そのものを象徴する殺戮の乱舞……
〔心殺『殺戮血祭』……!〕
移動は一瞬、容赦は皆無、気配も殺した撲殺の極意。相手を殴り殺す事を厭わず当たり前の必然とした状態技だ。
「なっぐぉッッ……!!?」
一瞬で迫り一瞬で突き出された拳を鳩尾にくらった"絶望"は体をくの字に曲げて痛みに悶える。透かさず"希望"は続けて腹の同箇所に寸分違わぬ正確な打突を何度も何度も何度も何度も高速で連続で行った。
拳が重なる毎に体力が奪われ、肉が潰れ、戦意が失われていく。思えばそうだ、"怨念"の攻撃は相手の肉体のみならず精神をも破壊する代物だ。それを100も1000もくらえば心が耐え切れずに『絶望』するのも無理は無い。
だが"雑念"は消えゆく戦意を再燃させて取り戻す。何故なら彼は"絶望"だから。"絶望"そのものだから、"絶望"からその先は存在しないからだ。
"絶望"の彼は腹に集中する拳の一つを両手で掴んで止め、攻撃を一瞬中断させる。しかし"希望"は残った拳で彼の顎を打ち上げ、体が浮いたところを左に体を捻り込んで回転、左足を回転中に振り上げ、踵落としを"絶望"の頭部を叩き込んで地面にも叩き付ける。
振り下ろされた左足が続け様に"記憶"の彼を同じ左足で蹴り上げようとした瞬間、自身に振られる"忘却"の左足を無意識の感覚で右手で掴んだ彼は、顔を上げながら体を俯せの状態から時計回りに振り、勢いの付いた左足で"忘却"の右足を払った。
足払いをくらった"怨念"は掴まれた左足に釣られて空中で体の自由を失い、そのまま"雑念"の彼に寝そべった状態から上半身の踏ん張りのみを使った投げを見舞われ、彼と同じように顔面を強く地面に打ち付けた。
痛みを感じる暇無く"怨念"は右足を倒れた状態から突き出し、左足を掴む"雑念"の彼を蹴り飛ばして引き剥がそうとする。が、逆に彼に突き出した足を読まれて躱され、挙句回避の際に空いた右手で右足も掴まれた。
そこから膝で立ち、"雑念"の彼はは渾身の後ろ反りで"怨念"を地面から地面へ振り下ろす。しかし"怨念"は両手を地面に突いて激突を防ぎ、更にその場で回転を始め、両足を掴む彼を振り回す。
カポエラを彷彿とさせる動作に毎秒1200回転もの猛回転を行い、"記憶"の彼はそれに晒されて堪らず振り落とされた瞬間、振り落とされて吹き飛ぶ彼は体勢を制御して受け身を執り、顔を上げた直後に目馴染みのある拳が目の前に迫っていた。比喩では無く、文字通り目の前に。"記憶"が咄嗟に顔と体を反って拳を躱すと、拳の軌道に沿って途轍もない烈風が吹き荒れ、同時に一瞬"記憶"と"忘却"の時間が止まった。
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
「くぅッ!!!」
〔フッッッッンンンッッッ!!!〕
動き出した時と同時に、止まった時間の中で目の前の己を既に見据えていた"絶望"と"希望"は、拳を硬く握り、足に力を溜め、其々が今の姿勢で最適な攻撃を繰り出していく。
"希望"が右拳を全体重を乗せて"絶望"の彼に打ち下ろす。彼は"希望"の攻撃をしっかり見てから体を左に捻り、低空に浮いた状態で遠心力の掛かった左足の踵を"希望"の側頭部に叩き込んだ。後ろ回し蹴りを頭に受けて飛ばされた"希望"は自力で宙返りを何度も行い、吹き飛ぶスピードを緩めながら着地する為の制御に徹した。"絶望"はそれを見て追撃の好機を逃すまいと駆け出す。
"忘却"は体勢制御に成功し、地面に足を付けて何十mも下がった後、勢い余って後ろに体ごと頭を振る。それからタイミングを見計らい、頭ごと体を右に捻り込み、低い姿勢へ変化しながら低空へ浮き、体を横にして回転を活かした左膝蹴りを突進する"記憶"の額に突き当てた。
自身のスピードと額に直撃した膝の一点の威力の強さから、流血……及び、頭蓋が縫合に合わせて縦に割れた。強固な膝蹴りをくらった"記憶"は痛みと衝撃で白目を剥く程の脳震盪を起こし、両耳の鼓膜が破れ、耳と目と鼻から血が流れてきた。
突然視界から消えて膝だけが目の前に押し寄せたのだ、相手の動きを見るどころでは無い。これは"忘却"の技アリ以外に言いようが無い。しかし"記憶"は直ぐに意識を取り戻し、刹那に空中に居る"忘却"の顔面に左手を伸ばし、右耳をこれでもかと握り掴む。
人差し指と親指のみの握りだが、その二本指の指力が凄まじいのか、はたまた耳を千切れんばかりに摘まれてる所為か、"忘却"は耳の掴みから脱せず、それどころか為すがままに引き寄せられ、"記憶"の拳打に似た渾身の右肘打ちが先ほど蹴られた側頭部に再度直撃した。
肘は見事同箇所の側頭部に炸裂し、骨と骨が激突した事で"怨念"の側頭部は出血、頭蓋が縫合を無視して亀裂を走らせ、左側が粉砕した。凄絶な肘打ちをくらった"怨念"は痛みと衝撃で左耳の鼓膜は破れ、左目、鼻、左耳から血が流れてきた。しかも掴まれていた右耳が肘打ちで吹き飛んだ直後に千切れ、またしても出血。
肘打ちで殴られた"怨念"はそのダメージから地面に力無く倒れ、"雑念"の彼も咄嗟に切り返したものの、頭部を破壊されたダメージで膝から崩れて仰向けに倒れてしまった。
お互い既に満身創痍、最速で始まった戦闘も、最速で幕を閉じようとしていた。必然。それはお互いが同じ力量、技量、知量……共に破壊に特化していたから。そんな爆弾同士の激突が生んだのは、両者瀕死の始末だった。
「────────」
〔────────〕
だが終わらない。決着はついてない。この闘いは、お互いのどちらかが死ぬまで終わらない。だからこそ二人は無音で立ち上がる。己の生死では無く、人格を賭けて、未来の幻想郷を懸けて、そして────
己の運命をかけて…………
"希望"は思った。
力ヲ奪ッタトハ言エ、ヤツガココマデ俺ヲ追イ詰メテクルトハ予想外ダッタ。ダガ、ソレモモウ終ワリダ。次ノ攻撃デ、消ス……
"絶望"は思った。
やっぱ俺の暴力を担当しただけあって強いわ。正直ここまで食らいつけたのもあいつの力のおかげだ。でも俺には、あいつには無い技がある。次はそいつで仕留める……
────────────"必ず"。
荒い息を漏らしながら立ち上がった両者は、必殺の構えに入る。"希望"は両腕を引き、両拳に力を溜め始める。対して"絶望"の彼は右手を腰まで引き、目蓋も閉じて低く構えて長い長い溜めに入った。
彼の構えを不自然に感じながらも、"希望"は溜めが終わり、両拳を同時に正面に突き出して巨大な光弾を二つ放ち、二つ共"絶望"に直撃した。エネルギーの炸裂で発生する煙で状況が見て取れないが、"希望"は確かな手応えを感じて堪らず笑みを溢した。
……ところが、煙が晴れた時、衣服も体もボロボロの"絶望"が、何事も無かったかのように構えた姿のまま佇んでいるではないか。驚きと同時に彼を凝視した"希望"は、彼の右掌に黒い瘴気のような流体が集まっているのに気付いた。
〔……チッ、忘力『忘却傷心撃』!!!〕
計り知れない嫌な予感を察知した"忘却"は、右手にエネルギーを集束させ、極大エネルギー波を彼に対して放つ。またも攻撃が"記憶"に直撃するが、更にボロボロになっただけで構えが解かれる様子が一片たりとも無い。
視線の先の彼が事切れる事が無いように、絶えず嫌な予感が増長していく。耐え切れなくなった"怨念"は嫌な予感の元凶、"雑念"を直接断ちに高速で接近し、超高速のラッシュを彼に浴びせ始めた。居ても立ってもいられない"怨念"はひたすら彼を殴打、殴打、殴打する。それでも彼は動じない。寧ろ段々と彼の内から力が増してきている。
血を吐こうが、骨を砕かれようが、臓器を潰されようが、力は増し、底知れぬ生気を身に宿していく。
何故ダ、何故倒レナイ!? 何故構エヲ解カナイ!!?
次第に右掌に集まる瘴気が"記憶"の手全体を覆い、閉じていた目蓋も開き、長い溜めが終えた事を全身で告げた。
「待たせたな……今、終わらせてやるよ。お前の"絶望"は、直ぐそこだぜ!」
彼が、"絶望"が言葉を言い終えた瞬間、"希望"は顔面を恐怖一色に染めて"絶望"から逃走を始めた。何故逃げるのかは解らない、何故こんなにも恐れてるのかは解らない……だが逃げないと、今逃げないと、自分が消える────"希望"は、もはや足掻く事しか出来ない。
そして、"絶望"が右掌を構えたまま走り出す。高速で逃げる"希望"を上回る超高速で駆け抜け、自身の無限に広い心象内で疾走する。逃げる"希望"はとにかくどうにかなればと二つの光弾を両拳から何度も放ち、両手からエネルギー波を放ちもした。しかしどの攻撃も焦燥で精密さを欠いて当たりはしない。その間にも"絶望"は迫る。確実なる死を持って、以て"希望"に迫る。
〔フゥ……! ヒ、ヒッ! 来ルナ!! 来ルナァッ!!! 死ニタクナイ……死ニタクナイッ……死ニタクナイィィッ!!!〕
俺、俺よ。お前は、もう一人の俺だ。俺だって死にたくない、そんな気持ちは一緒なんだ。でも、俺は生きてるワケにはいかないんだ。生きてちゃダメなんだ。俺はもう、誰も傷付けたくないし、誰も傷付けさせたくない。お前の事だって傷付けさせたくないし、傷付けたくない。
だから、俺が幕を閉じる。俺が責任を取る。全部全部背負って逝ってやる。記憶の中で、声の大きかったあの女の子の苦しそうな声が、今でも聞こえるんだ。無かった事になってても、犯した罪は消えはしない。だから償うんだ。俺とお前で、一緒に!
〔ヤメ、ヤ────〕
あぁ、消えちまうのは嫌だ。でもみんなに忘れられたとしても、俺は構わないよ。たった一人、憶えてくれてる人が、居るから……だから────────
〔ヤメロ! 嫌ダ! 嫌────〕
終わりだ、俺。
「滅殺『神鬼妖人破滅掌』……!!!」
繰り出された技……それは、全身全霊の掌打を相手の弱点……即ち心臓を狙って打つ必殺の一撃。人、妖怪、鬼、神……区別無く、等しく殺す破滅の掌。比喩では無く、文字通り、必殺する。
左胸を打たれた"希望"は微動だにせず口から夥しい量の血を溢し続け、数秒後、爆発するように背中から血漿と臓器が弾け飛び、仰向けに倒れた後、ゆっくりと消失していった。
「────────おわっ……た」
残った"記憶"・"雑念"・"絶望"の優翔も疲弊とダメージで膝から崩れ落ち、仰向けに倒れた。そして、間もなく自身が"忘却"・"怨念"・"希望"の優翔同様、消えようとしてるのを理解した。ふと右手を見ると、徐々にだが透けていってるのが見て取れる。
「あぁぁ……嫌だな。やっぱ消えんのは、嫌だな……俺も、生きたかったよ
霊夢……魔理沙……妖夢……早苗さん……咲夜さん……美鈴さん……パチュリーさん……レミリア……フラン……幽々子さん……霖之助さん……紫さん……俺は、俺は……死にたくない。出来るなら、またみんなと話をして、何でもない事で笑いたかった。あは……ダメだ、未練たらたらでしょうがねぇな…………だったら、来世だ。俺は来世に懸ける。来世で、この幻想郷で、新しい人生を送ってやる。死ぬのは、消えるのは一瞬だ。でも生きるは一生……だったら、消えるのなんて、怖かねぇな……
そうさ、心配すんな俺。何より、俺は忘れられない。紫さんに憶えていてもらえるんだから……それだけでも、俺は────────」
「────幸せだ……!」
続く…………
次回、葬話……
最期の刻……




