01 邂逅
笑っていたルピナスの表情が引き締まる。自分が訊いたにも関わらず、その表情の変化に今すぐにでも質問を取り下げたい衝動に駆られる。
少しの間を置いて、ルピナスはきっぱりと答えた。
「理由がなくちゃダメなの?」
短い言葉だった。しかし、アスレイの疑問、反発を抑えるには十分な迫力があった。その証拠にアスレイは黙り込んでしまう。そしてどうやらアスレイの質問の追撃は許されないらしい。ルピナスの目がアスレイに釘を刺している。猛獣が小動物を威嚇するような鋭い目で。
「いや、まあ……」
アスレイ本人もこんな生返事を絞り出すのが精一杯であった。その生返事をするのにさえ時間が少しかかった。そして自分がいかに弱いか思い知らされる。肉体的にではない、精神的にである。
いまだに鋭い眼でアスレイを見ている。それに対してアスレイは眼を泳がせるしかなかった。
(これだから……この人には逆らえないんだよな)
すっかり小さくなったアスレイに、またルピナスは笑う。そしてようやく放していたハンドルを手に戻す。
「まあたいした理由はないわ。あなたも十五歳になったし、学校に行くのは当然だと思うけど。むしろ初等、中等学校に行かなかったのがおかしいくらいね」
からかうようにルピナスが言う。
あまりにも正論すぎてアスレイは反論できない。確かに十五歳という年齢は高等学校に進学する年齢である。アスレイは初等も中等も通学していない。これは非常に問題なことだが、ルピナスの権力で握りつぶした。その代わりに優秀な家庭教師をつけられみっちりと、もしかしたら学校よりも厳しい勉強をさせられたかもしれない。今でも思い出すだけで頭が痛くなる。
しかしアスレイは心の中で呟く。
(あなたも行ってないじゃないか)
こちらも正論であるが、言ったらおそらく面倒なので言わないでおいた。
「それともなに? 王都に心残りでもあるの?」
「そういうわけじゃないんですが」
「じゃあなに?」
早く言いなさいよ、と言わんばかりにルピナスが圧迫してくる。
何かを期待するような目でアスレイを見るので、アスレイは口ごもってしまう。別にやましいことがあるわけではないのだが。
それでも何とか返事をする。
「僕が王都を出るということを陛下はどうも思わないのですか?」
アスレイは真っ直ぐな目でルピナス、陛下を見る。そう、ルピナスは王都スヴェンパースの女王なのである。とても女王とは思えないフランクさであるが。ということでアスレイが初等、中等学校に通わなくても良かったのは彼女の権力のおかげである。
そのルピナスは『陛下』という言葉にムッとする。自由を好む彼女にとって縛られるような呼び方は苦手なのだ。
「アスレイ、陛下は禁止って言ったはずだけど」
視線はフロントガラスの先にあるが、言葉は面と向かって言われるよりも重い。少し怒っているかのようだった。
アスレイも気付いたのだろう。瞬時に口を右手で抑える。
「すみません」
「まあいいわ。話を戻すと、あなたが出ることについてよね? 全然問題ないって言ったら嘘ね。現状で六帝のうち一人を欠くのはかなり厳しい。」
会話からするとアスレイはかなりの実力者で、『六帝』の一人らしい。『六帝』とは省略形で、正式名称を『王都守護六帝』という。戦闘能力に長け、幻影の出現率、レベルの高い王都を守護する者たちのことだ。アスレイは歴代六帝の中でも最年少の守護者であり、王都スヴェンパースでは『歴代最強守護』と専らの噂である。
「だから何故僕を外に出すのか訊いているんです」
「強いて言うならあなた自身のため、かしら」
思いもしない答えだったのか、アスレイは怪訝そうな顔をする。
そして同じことを尋ね返す。
「僕自身のため?」
「そう、あなたのため」
「理解ができません。何故今この忙しいときに僕を王都から出すのか。そして、それが何故僕のためになるのか」
言葉は平静を装っていたが、内心はかなり錯乱していた。アスレイには心当たりがないのだ。
ルピナスはその様子に大きなため息をつく。
「……それを理解させるためにあなたを外へ出すのよ」
今のままじゃおそらく理解できないだろうけど、と付け足す。
アスレイはもう理解ができなかった。正確には理解したくなかった。考えるだけで頭が痛くなりそうだった。
ルピナスはそれを横目に続ける。
「このまま王都にいてもあなたのためにならない。だから外へ出す。女王命令だからね」
「ヒント、とかはないんですか?」
答えを見つける気などさらさらないが、見つけれなければおそらく王都へは戻れない。そんな気がした。というより彼女が「女王命令」というときは絶対服従なのだ。今までその命令が下ったのは数少ないが、覆ったことは一度たりともない。だからヒントを請う。いっそのこと答えを言ってくれればいいのに。アスレイは心底そう思った。
しかし、ルピナスから帰ってきた答えは、アスレイの甘い願望を見事に蹴り飛ばした。
「ヒントはもう得ているはずだけど」
思いっきり頭を殴られた気分だった。やはりアスレイには理解できない。もう既に自分がヒントを得ている、と言われても心当たりはない。だからもう会話を続けるを止めた。
言葉を紡ぐのを止めてもルピナスは何とも言わなかった。彼女自身もう話すことはないと思っているのだろう。
車はどこまでも続きそうな煉瓦造りの住宅街を走っていく。
何とも居心地の悪い沈黙になったので、アスレイは窓を開けて車内の空気を入れ替えた。
春の少し冷たい夜風がアスレイの肌を撫でる。少し火照っていた体から熱が逃げていく。それが何とも気持ちよく、今まで混乱していた心を少しだけ落ち着かせてくれた。
アスレイはふと視線を月に向ける。今日は見事な満月だった。月はアスレイの気持ちなど理解するはずもなく、ただ煌煌と輝いている。しかし、アスレイは月を見てふと思い出した。鮮明な映像が頭の中を流れる。夢で見たあの光景と似ている。
「そういえばあの日も満月だったな」
小さな呟きが風と共に夜に溶けていく。運転席のルピナスにはおそらく聞こえていない。