終戦と新たなる脅威
空間移動を完了したオデュ、カジョウ、セラフィム、レイ、ユイ、リヴラ、イライ、フェリル、クロス、ベルンハルト、ニティブス、レミエル、マスカルム、エクス、ロリアン、アクト、カタリス、ルカヴィ、ティラの19名の周囲には暗黒の空間が広がっていた。地面の存在が視認できなかった為、一瞬落下してしまう錯覚に陥ったが、各人の足は不可視の床を踏み締めていた。
「ここは……、宇宙……?」
ベルンハルトは眉根を寄せて、思わず呟いていた。
一方、アクトはデジャヴュで周囲を見回していた。フィートが管理している〈時空の彼方〉に、迷い込んでしまったかと思った。
カジョウが周囲の反応を見て、諭すように喋り出した。
「〈ニューアース〉の宇宙でも、〈時空の彼方〉でも無いよ。ということは、明白だね。ラメド・アンデルによって構築された、プライベートフィールドだ」
カジョウが歩き出したので、皆が後に続いた。ほどなくして、前方に白い輪郭が見え始め、次第に大きくなっていく。カジョウが足を止めると、背を向けたまま空間の主が話しかけてきた。
「やれやれ、もう少しというところで邪魔が入る。エノキアン、もしくは黒リヴラの足止めは不十分だったか。荒ぶる獣がやってきたら、それどころではない。先に相手をしてやろう」
白いスーツ姿のラメド・アンデルが振り返り、にやりと笑った。隣には、黒いローブ姿のベアトリーチェが、背景に溶け込むようにして佇んでいた。ラメド・アンデルは右足を前に出して交差し、両手を広げて敵対者を見据えた。
「さあ、前回のお浚いだ。わかっているだろうが、〝にげる〟は選択できないぞ。不意をつかれたのは、確かだから、お前達のターンからだ。後悔しないよう、初っ端から、全身全霊を発揮するといい」
カタリスが白い異邦人を睨みつけた。
「ノン・アグレッション・デカ」
口内に灰角が出現し、対象のあらゆる能力が無効化された。違和感を覚えたラメド・アンデルが眉根を寄せた瞬間、示し合わせていた連撃が開始した。
イライとフェリルが〈想いの力〉を発動させた。
「ラスト・ストラグル」
ラメド・アンデルの立つ空間セルが轟音と共に爆発された。
「水夢伝」
フェリルが爆煙の中の黒い輪郭目掛けて、水鷲剣を振り払った。水を纏った剣は灰色の煙を撒き散らし、ラメド・アンデルの脇腹を切り裂いた。
セラフィムがアダム・カドモンの力を解放させると、白銀のオーラが全身を包み込み、捻れた角が生え、硬質な体毛に覆われて、鋭い牙と爪が生えてきた。
レイが灰色のオーラを全身に纏って体長3メートルにまで巨大化すると、ユイがコピーしてレイと同様の姿に変貌した。
セラフィムが凄まじい速さでラメド・アンデルの正面に移動し、顔面を殴りつけ、続けて腹部を蹴り上げた。
レイとユイは空中に先回りし、飛ばされてくるラメド・アンデルの背中を同時に二人で殴りつけた。
落下地点で待ち構えていたエクスとロリアンが原形界アツィルトの力を解放させると、二人の全身が灰色のオーラに包まれた。エクスとロリアンは灰色の剣を構えて、落ちてきたラメド・アンデル目掛けて振り払った。ラメド・アンデルの腹部が十字に切り裂かれた。
膝をついているラメド・アンデルの左右に移動したニティブスとマスカルムが灰色の剣を振り被った。ラメド・アンデルの両肩部がそれぞれ切り裂かれた。正面に移動したルカヴィは、尾を思い切り振るって、ラメド・アンデルの腹部を打ち据えた。
後方に吹っ飛ばされたラメド・アンデルの先に移動していたリヴラが、拳に重層の衝撃シュヴァルツを纏い、振りかぶった。ラメド・アンデルの右前腕部の一部が削り取られた。
アクトが〈想いの力〉を発動させた。
「パスト・テンス」
白銀剣ツァダイ・カフ・ラメドの力を解放させると、アクトの全身が白銀のオーラに包まれて、髪が白銀色に染まった。
仰向けに横たわったラメド・アンデルの頭上で、白銀の光が煌めいた。アクトが白銀剣を振り下ろすと、ラメド・アンデルの左腕が切断された。
クロスが漆黒剣ツァダイ・テト・アレフを抜き払うと、長身に合わせるように刀身が伸びた。クロスの顔に漆黒の刻印が浮かび上がり、全身が漆黒のオーラに覆われた。
ラメド・アンデルの頭上で漆黒の光が瞬いた。クロスが漆黒剣を振り下ろして、ラメド・アンデルの右腿部分を切断した。
そこでカタリスの能力が解除された。カタリスがベルンハルトを見て頷くと、ベルンハルトが頷き返した。
ベルンハルトはオデュとレミエルの肩をそれぞれ掴んで、〈想いの力〉を発動させた。
「絶対なる領域」
時が停止し、その場の全てが動かなくなった。
ベルンハルトとレミエルが、滑らかな象牙柄を手にし、白銀に煌めく刀を抜き払った。
レミエルがラメド・アンデル目掛けて翼を広げて空中疾走し、因果の刀を振り払った。刀がラメド・アンデルの頭上の空間をすり抜けた瞬間、灰色のラインで描画された空中魔法陣が出現した。
ベルンハルトは、ラメド・アンデルの背後に浮かび上がったセフィロト・サインを睨みつけ、凄まじい速さで空中に飛び上がった。
「クラスチェンジ・大魔導師」
オデュが色彩豊かなローブ姿に変貌し、セフィロト・サインの近くに灰色のオーラで形成された足場を展開した。
ベルンハルトは空中の足場に立って、破滅の刀を振り払い、生贄が埋め込まれた円形のオーラムを繋いでいる灰色のラインを次々と切断していった。
「クラスチェンジ・魔剣士」
オデュの姿が色彩豊かな鎧姿に変貌した。オデュは色彩魔法の火のエネルギーで剣を形成し、レミエルの攻撃のタイミングを見計らった。
レミエルは因果の刀を構えて、ラメド・アンデルの周辺空間に組み込まれたマクロプログラムを切り裂いた。
ラメド・アンデルの正面まで駆けてきたオデュが、炎獅子剣を横薙ぎにした。ラメド・アンデルの鎖骨部が切り裂かれ、同時に時の停止が解除された。
ラメド・アンデルは空間支配能力を展開し、視界に引かれた黒いラインのセルにプログラムを打ち込んだ。勇者達の攻撃前に状態回復させるという内容はすぐに効果を果たし、傷が癒され、切断された腕と足も元通りとなった。ラメド・アンデルは立ち上がり、笑みを浮かべようとしたところで、思わず咳き込んでしまった。口から流れ出たものを腕で拭うと、黒い血で袖が汚れた。
(プログラムは正常に機能したが、プログラムの実行に相当な精神力を消耗してしまったらしい。こんな事は初めてだ。空間支配能力に覚醒してから、これほどのダメージを受けた事はついぞない)
視界の端で確認すると、セフィロト・サインに埋め込んだ者達が倒れ込んでいた。エネルギー供給は、これで途絶えてしまった。
「見事だよ。かつての戦闘とは比較にならないダメージ量だ。仲間を集め、経験値を稼いだんだな。では、今度はこちらのターンだ」
ラメド・アンデルがそう言った瞬間、銅像のように動かなくなってしまった。
ティラはオーダー通りに時を止め、ラメド・アンデルに近づいていった。
「最後の一撃、というやつだね」
振り返ると、カジョウが近づいてきていた。
(どういう絡繰かは不明だが、このふざけた男を時の凍結で縛り付けることは出来ないらしい)
「………」
カジョウを無視して、ティラは白い異邦人を見据えた。両手に力を込めると、手の甲の刻印から漆黒と白銀のエネルギーで形成された爪が三本ずつ伸びてきた。ティラが漆黒の爪を振り下ろした。ラメド・アンデルの肩部が切り裂かれ、時の停止が解除された。ティラは違和感を覚えて、眉を顰めた。ラメド・アンデルの攻撃発動を感じられたが、その結果が自分を含めた周囲で見つけられなかった。
ラメド・アンデルは俯けに倒れ込んでいた。倒れた床のすぐ近くに、折れた矢が落ちていた。突然出現した半分に折れた矢は今も白銀に光り輝いていて、微かなオーラに包まれていた。
「星域ヴォイドナッシング」
ニティブスがラメド・アンデルを対象に能力を発動させた。灰色の十字架形のオーラに全身を包まれて、ラメド・アンデルの封印が施された。
「終わったな、ニティブス」
オデュがニティブスの肩をぽんっと叩くと、ニティブスが控え目な笑みを浮かべた。
「ありがとう、オデュ」
「長居は無用だ。倒れている者達を連れてきてくれ」
オデュの号令で、セフィロト・サインの生贄達の元へ各々が集まっていった。
アテピス、クロト、ラケシスの三人には、エクスとロリアン、アクトとイライとフェリルが向かった。
リヴラは、デウスを拾い上げて、白い翼を優しく撫でた。
天使ラティエルの元へは、レミエルが向かった。本物かどうか確かめるように恐る恐る顔を覗き込み、堕天前の姿に間違いないことが分かると、涙がこみ上げてきた。
天使アメルスにはセラフィムが向かい、レイとユイが龍族の女性を担ぎ上げた。
マスカルムは鬼神ゼファルを迎えにいった。悪魔ブネとの一体化は解除されていた。
「ごめん……遅くなってしまった……」
マスカルムは啜り泣きながら、ゼファルを抱き上げた。
カタリスとニティブスは倒れ込む者達の中から灰色のローブ姿のコロパティロンを見つけ出した時、一瞬我が目を疑ってしまった。コロパティロンがそこにいることが信じられなかった。
「全て抱え込みやがって」
カタリスが呟くと、ニティブスが応じた。
「結局、何も言ってくれなかったのよね」
とにかくコロパティロンが戻ってきてくれたのが嬉しくて、二人は笑みを浮かべて意識を失った彼女の腕を持ち上げた。
ルカヴィが見つけた悪魔ボティスは、ニティブスの封印が解けていて、人型の姿に戻っていた。
(こいつは、万魔殿に置いていっていいだろう)
ベルンハルトがベアトリーチェに駆け寄り、彼女の腕を自分の首に回して、頽れる体を支えてあげた。突然、ベアトリーチェの全身が灰色のオーラに覆われて、ぎょっとしたベルンハルトは思わず彼女を落としてしまいそうになった。黒色だった髪の色が灰色になり、着ていた黒いローブも灰色に変貌していた。
(おそらくラメド・アンデルの束縛から解放されたんだろうが、自分にはよくわからない。とりあえず、あとで誰かに状態を診てもらうしかないな)
「クラスチェンジ・大魔導師」
オデュの姿が変貌したのに合わせて、三神もエネルギーを集中させた。空間移動が展開し、ボティスを除いたその場の全員の姿が不鮮明になり消失した。
天獄の万神殿に設けられた有翼亀族リメド・エイデンの広間に、多くの者達が空間移動によって姿を現した。旧時代からの腐れ縁である長耳兎族ラメド・アンデルの姿を認め、作戦が完了した事を察し、リメド・エイデンは皺まみれの顔でゆっくりと縦に頷いてみせた。
「おかえり」
オデュが背後に向けて腕を広げ、連れてきた者達を指し示した。
「見た所、眠っているだけで、特に異常は見られなかった。全員、無事だよ」
ベルンハルトが意識を失ったベアトリーチェを抱えて、オデュとリメド・エイデンの間まで歩み出た。
「ベアトリーチェは大丈夫なのか? 髪の毛が灰色に変色してしまって、格好も灰色のローブ姿で元通りになっていない。これもラメド・アンデルの術の一つなのか?」
オデュはそこで初めて、変貌したベアトリーチェの姿をまじまじと眺めることになった。見覚えのある姿に眉を顰めて、オデュは呟いた。
「プーペ……」
「なんだって?」
「そうだったのか。これで合点が行く」
納得するオデュにベルンハルトが舌打ちした。
「オデュ、説明してくれ」
「ベアトリーチェは、プーペと呼称される人形の一個体だ」
「人形……だと?」
「帝国シアルルで開発された自動人形。それがプーペ。エクスもロリアンも見覚えがあるだろう」
オデュがエクスとロリアンの方を向いた。ロリアンがベアトリーチェに近づいていき、小さく息を飲んだ。
「プーペに間違いないわ。帝国崩壊時に全て失われてしまったとばかり思っていたけど……。おかしいとは思っていたのよ。彼女がラメド・アンデルに選ばれた理由。空間把握能力を容易に展開していたこと。あらかじめ彼女は、ラメド・アンデルのパブリックドメイン・インターフェースとして、操られていたのね。彼女は自分がプーペであるということすら忘れさせられ、何も知らされずに潜伏させられていた」
エクスが眉根を寄せてベアトリーチェを見つめた。
「酷いことをする。彼女がプーペだと誰も気づけなかったのは、ラメド・アンデルの教徒の欠片フラグメント・オブ・ペインの力によってだろう」
結局何なのかがよくわからなくて、ベルンハルトは苛々とロリアンに質問した。
「そのプーペとかいう人形だとどうなるんだ? ベアトリーチェは人間じゃないのか?」
「人間かと言われたら、そうではないと答えることになるわね。プーペは人間によって造られた人形で、オートマトンと言われても仕方がないわ。どのような存在か知りたがっているみたいだから、かいつまんで話すわね。プーペの各個体には有限個の内部状態が設定され、内部状態が外部入力によって変化し、どのような入力でどんな状態に変化するかは全て設定され、内蔵されているの。自動機械として製造されたのよ。このシステムは人間の脳のシステムを模倣して作られていて、そういった意味では人間の脳もオートマトンと大差は無いことになる」
「つまり、プーペも人間と大差ないということか?」
「そうね。人間の状態は外部からの影響で変化する。これはオートマトンのシステムである、内部状態設定、外部入力による状態変化、設定された状態変化の条件というものの組み合わせと同様なの。何を比較対象にするかという点だけで、動力か、それとも血と筋肉かの違いをどう受け取るか次第ね」
「機械か血肉か、だって? ふざけるな。十分すぎるほどの違いだろ」
ベルンハルトが眉根を寄せて、腕の中のベアトリーチェを見下ろしているのに、オデュはため息をついた。
「レミエル、ちょっと来てくれないか」
レミエルが怪訝な顔をして、前に出てきた。
「因果の刀で、ベアトリーチェを斬ってくれ」
オデュの言葉に、ベルンハルトがばっと顔を上げた。
「何を言ってるんだ、オデュ」
「オデュ、何故、彼女を斬らなければならない」
「落ち着け、ベルンハルト、レミエル。因果の刀で斬る事は、ベアトリーチェの解放に繋がる」
ベルンハルトもレミエルも眉を顰めて疑っていた。沈黙するベアトリーチェを見てからオデュに視線を移すと、オデュが頷くので、とりあえず害は無いと思い、言う通りにすることにした。
レミエルが因果の刀を抜き払い、ベアトリーチェの腹部に突き刺した。レミエルは首を傾げながら刀を納めて、後ずさった。
ベアトリーチェの髪が見る見ると白くなっていき、ローブの色も同様に白くなっていった。
「一体、今度は何なんだ?」
「これで、ベアトリーチェはプーペの呪縛から解放された。もはや彼女は、新たなる一個体として誕生し、何に対しても自由を得たんだよ」
ベルンハルトはまだ全てに納得できなかったが、それでも白髪に変化したベアトリーチェを床に優しく寝かした。
アクトが封印されたラメド・アンデルを見つめてから、皆に問いかけた。
「ラメド・アンデルはこのように封印されて、沈黙しています。三獄〈デルタ〉の危機は去ったのでしょうか」
「黒リヴラも残っているし、エノキアンの暗躍も懸念されるが、ひとまず山場は越えたといったところだろうか。お前達――白仮面の軍勢には、本当に感謝している。アクト、お前さんに課せられた使命も、終了したわけだ」
オデュがそう答えて、肩をすくめた。
「そうですか……。あの……教徒の欠片は、今もラメド・アンデルが手にしているんですよね?」
「そこらへんに関しては、ルカヴィの方が詳しいだろ」
指名されて、ルカヴィは嫌々ながら前に出てきた。
「アクトの言う通り、ニティブスの星域では、教徒の欠片の繋がりを断ち切ることはできない」
「教徒の欠片とは、一種の〈想いの力〉という認識で間違いないかな?」
ううんと唸り声を上げてから、ルカヴィがおずおずと話し始めた。
「暗躍していたラメド・アンデルが姿を見せたのは、適合した痛みの欠片フラグメント・オブ・ペインの特性の為だった」
「おい、ルカヴィ。教徒の欠片の正体について話すんじゃないのか」
茶々を入れてくるクロスにルカヴィが舌打ちした。
「うるさいな、ちょっと黙って聞いてろ、クロス。話には順序がある。黒リヴラが獲得した苦しみの欠片フラグメント・オブ・アゴニーによって、ラメド・アンデルの策略の一つだった教徒の欠片の偽物出現が、不成立に終わってしまいそうになった。というのも、教徒の欠片の正体を知る者は、教徒の欠片の適格者のみとなる。ラメド・アンデルは教徒の欠片が3つだと知っていたが、三人目の適格者は知らずにいた。俺は不明の三人目だった。俺は教徒の欠片の適格者全てを知っていたから、決定的なチャンスが来るまで傍観に徹して動かざるを得なかった」
「それはつまり、ラメド・アンデルと黒リヴラが持つ教徒の欠片の正体を知っていた、ということか」
「そういうことだ、アクト。苦しみの欠片フラグメント・オブ・アゴニーに黒リヴラが願ったのは、他者の能力を奪うこと。痛みの欠片フラグメント・オブ・ペインにラメド・アンデルが願ったのは、事象の隠蔽。痛みの欠片フラグメント・オブ・ペインの能力を知ってはいたが、何が隠匿されたかはわからなかった。結局、俺はあらゆることを疑わざるを得なかった。その自分の判断が、ラメド・アンデルの策略で操作されているんじゃないかとびくつきながらな……」
ルカヴィははあとため息をついた。全員が静かに待っていたので、ルカヴィは渋々話を続けた。
「俺は、3つある教徒の欠片の中で、一番早く見出され、喜びの欠片フラグメント・オブ・プレジャーの適格者となっていた。教徒の欠片について知った俺は、時期が来るまで教徒の欠片の使用を控えることにした。そうする必要があることについて、教徒の欠片が分かたれるより以前にカジョウから話を聞いていたからだ。実際に使用したのは、最近になって喜びの欠片が覚醒したタイミングでだ。俺が教徒の欠片に願ったのは、選択の誘引。だが、絶対的なものではない。他者の操作は〈秩序〉が定める知的存在の選択の自由に抵触するからだ。操作系の能力は、何らかのルールや条件下でのみ発動可能で、絶対永続なものは成立し得ない。じゃあ、教徒の欠片の出自だ。さっきも少し触れたが、かつて、教徒の欠片は1つの結晶で、教徒の〈想いの力〉と呼称されていた」
「〈想いの力〉……やっぱり……」
「そうだ、アクト。お前の予想通り。むしろ、名前はそのまんまだ。教徒の〈想いの力〉の適格者によって、教徒の〈想いの力〉は3つの欠片に分割されたんだ」
「その適格者というのは、一体何者?」
「剣聖、と呼称される者だよ」
アクトの質問にそう答えて、ルカヴィはオデュとカジョウの方をちらりと見た。でも、それ以上は何も言わずにいた。
アクトはルカヴィの挙動に眉を顰めたが、まずは話を進めるのを優先させた。
「剣聖は、教徒の〈想いの力〉に何を願ったんだ」
「剣聖は教徒の〈想いの力〉と三神刀の一振り破滅の刀の所持者だった。剣聖が教徒の〈想いの力〉に願ったのは、3つ。1つは、武器破壊を条件とした衝撃の無効化。もう1つは、一瞬先の未来予知。そして、3つ目の願いで、剣聖は教徒の〈想いの力〉を3つの欠片に分裂させた」
「剣聖が教徒の欠片を生み出したのか」
「真意は俺にもわからん。教徒の〈想いの力〉には限定的な願いを叶える能力があり、剣聖によって3つに分けられたというわけだ。さて、〈想いの力〉ということは、当然、術者がいたことになる」
ルカヴィが語ったのは、異界の宗教徒についてだった。彼は犯した罪を後悔し、罰を受け入れて、磔となった。凄まじい痛みだった。何故、こんな痛みを感じなければならない。ふざけるな、何でこんな目に……。耐え難い苦しみだった。もう嫌だ。こんな苦しみは終わりにしたい。痛みと苦しみは何もかもを一瞬忘れさせ、マイナスの感情を爆発させた。彼の背後に、漆黒のオーラに覆われた書物が出現した。彼は絶命した。そこで全てが明らかになり、喜びに満ち溢れた。裏切り者の悪人とされていたはずが、実際はそうではなかった。彼の行為は計画され、奇跡に必要なものだった。それを教えられ、理解した瞬間、漆黒の書の半分のオーラが白銀に変色した。白銀の書と漆黒の書が表紙ごと引き千切られ、半分ずつが無理矢理繋ぎ合わせられたかのような歪な状態に変貌した書物は、白銀と漆黒のオーラを同時に発し、不気味な雰囲気を醸し出していた。
「教徒の〈想いの力〉――3つの教徒の欠片は、異世界の宗教徒の犠牲と引き換えに誕生したんだ」
「白銀と漆黒が融合した書物……」
「信じられないか、アクト。お前の白銀剣ツァダイ・カフ・ラメドと同じさ。俺が喜びの欠片フラグメント・オブ・プレジャーに触れた瞬間、情報が流れ込んできた。それに、相反する白銀と漆黒の同時発現は前例がある」
そう言って、ルカヴィはティラの方を見た。ティラは、横たわるアケショナルの近くで佇んでいた。
アケショナルは戦闘で負傷し、疲弊しているようだが、命の危険は去ったらしい。ティラはアケショナルの姿を見て、安堵している自分に一瞬困惑してしまった。
(他者に振り回されるのにはうんざりだったはず……。自分の中に、まだかつてのような感覚が残っていたなんて。戻りたいとでもいうのか……)
「ティラ……」
声がして振り返ると、背後にリヴラが立っていた。彼の髪は白色で、瓜二つの黒い方と比べると、何とも自信なさげで弱々しく見えた。
「………」
ティラは何も言わなかった。
(リヴラもリメド・エイデンもオデュも、誰も何も教えてくれなかった。だが、誰の責任でもない。自分がこうなってしまったのは、自分のせいだ。世間知らずで、力量不足。自分は相応しくなく、受け入れる準備が整っていなかった。……僕には……、この場にいる人達と、一緒にいる資格が……無い……)
「――」
リヴラが何かを発しようとしてるのを見て、ティラはすぐ様忌まわしき力を発動させた。その場の時が止まった。
そこで、欲望の鬼神シセラの能力、身侭セルフィッシュ・コンタクトが発動した。ティラが黒リヴラへの連絡を済ませると、凍結した世界で何者かが近づいてきた。
「また、皆から去るつもりかい」
カジョウが、動きを止めたリヴラの近くまで歩いてきた。
(こいつには、相手の能力を無効化するような何かがあるのだろうか。いや、時間停止は発動しているのだから、違うか)
ティラが眉根を寄せると、カジョウは薄笑みを浮かべた。
「君の時間停止能力を無効化できるか否かは、能力の本質を見極められているかどうかの話となる。君は能力そのものを無効化しているのではないかと疑っているようだが、そうではないということだ。君に限ったことではないのだが、自分の扱う力について無頓着すぎやしないか。テクノロジーを知るという点について、いかに稚拙だと思う。1/使える。2/ポテンシャルがわかる。3/なぜできたのかを原理から理解している。4/実際の作り方がわかる。未来を予測せんとするなら、4までは不要で、3の原理を知っているかどうかが重要となる。原理を知ることで、今の自分の熟練度がどの程度か把握でき、最大ポテンシャルを引き出す道程も見えてくる。ティラ、君の能力は相対的な時間停止となる。時間認識には、相対的なものと絶対的なものがある。相対的な時間概念は、分子レベルでの化学変化・化学反応に依存する。特に知的存在にとっての脳内活動だ。それなら、脳内操作の遮断によって、時間停止は回避可能。君の時間操作は、相対的なものに過ぎない。すなわち、世界が停止するわけじゃない。凍結するのは当事者となる観測者だけだ。君の作り出す舞台の中で、壇上に上がった演者達のみが感覚を消失する。なら、私は壇上に上がらなければいい。だが、世界には相対的なものだけでなく、絶対的なものもある。絶対的な時間停止は、例えばベルンハルトの〈想いの力〉によって行われる。彼の〈想いの力〉は、世界を凍結させる。あらゆる次元において、時間という概念は停止する。でもね、相対的な時間停止にも強みはある。というのも、絶対的な時間停止はそれこそ時間にのみ影響を与える。ゆえに、空間支配能力には対抗できない。だが、君の相対的な時間停止は物質そのものに影響を与える。相対的な時間停止に、空間支配能力は通用しないだろう。そもそも、時間と空間はこの物質世界の別次元に存在する。いわゆる時空次元の歪みの影響が重力となって物質世界に影響を与えているんだ。縦次元の四界というやつさ」
「………」
(この人の目的は何だ。てっきり引き止めるつもりなのかと)
「私に、他者の選択の自由を奪う権利は無い。君が決めるといい」
何もかもお見通しのように感じられ、ティラは舌打ちした。
そこで、歪道ワンウェイ・マーカーが発動した。背後の空間に生じたぎざぎざの裂け目の中に、ティラは入り込んだ。その場から消失しようとする瞬間、ちらと背後を見ると、寝ているアケショナルの姿が視界に入った。
リヴラがはっとした時には、眼前からティラが掻き消えていた。瞬間移動したかのように傍らに出現したカジョウを見て、何が起きたのかを察した。
「ティラは、行ってしまったんですね」
カジョウはその質問に頷いて、オデュがいる方へ戻っていった。
リヴラは寝ているアケショナルを一瞥し、眉を顰めた。
(私の選択が間違っていたせいで、ティラとアケショナルの関係性が悪化してしまった。〈混沌〉に歪められた時間軸を改善するつもりだったのに……。私はなんて傲慢で、馬鹿だったんだろう……)
オデュは改めて、その場の者達を見渡した。
「ひとまず三獄〈デルタ〉の危機は去った。〈デルタ〉の住人には、各領域に戻ってもらおう。天獄も煉獄も冥獄も、要人を失い、体制が崩れてしまった。ここにいるメンバーには、少なからず再建の一助を果たしてもらいたい。〈ヴェッセル〉と〈ニューアース〉の住人は、各世界各時代に送り届けよう」
オデュが三神を呼ぶと、セラフィムとユイとレイがオデュの横に並んだ。
「クラスチェンジ・大魔導師」
色彩豊かなローブ姿に変貌したオデュが、三神の力を借りて空間移動を発動させた。
まずは、冥獄からだった。ルカヴィの姿が不鮮明になり、その場から姿を消した。
空間移動してきたのは、万魔殿――ラメド・アンデルと戦闘した場所だった。静寂の中、戦闘の痕跡を見渡してみると、随分と昔の事に思えた。
「派手にやったものだな」
いきなり背後からした声に、ルカヴィはびくりとした。振り返ると、先刻まで全く気配を感じられなかったのに、魔王ガープ、魔王パイモンが佇んでいた。ルカヴィが緊張して身構えると、パイモンが薄笑みを浮かべた。
「構えなくていいよ、ルカヴィ。全域ネットワークに、教徒の欠片に関してアップロードされていたからね。お前の取った行動は、罰せられるような類ではない」
「ここに何しに来たんだ?」
「ふふっ、おかしなことを言うものだな。俺達は魔王で、ここは冥獄の居城だ。むしろ、俺達以外に、誰がこの場にいるべきだというんだ」
「ルカヴィ、私とガープは、今後の方針を話しに集まったんだよ」
「パイモン発信の話だ。ベレトは死んだ。バールは、呼びかけに応じなかった。冥獄が終わったわけではないのだから、未来への改善をしていかないとな」
二人の悪魔王のポジティブな発言に、ルカヴィは目を丸くしていた。
「それで、どうするんだ?」
「まずは、その前に」
パイモンは空間支配能力を発動し、ボティスの状態を回復させた。まだ目覚めはしないが、これで命の問題は無くなった。
「結論から言うと、この場に集まった私とガープとルカヴィを中心にしていくことになるだろう」
「俺がかっ!?」
「まず、話を聞いてくれ。排他主義のベレトの死亡によって、勢力図が変わる。他勢力への流入が起きるが、排他主義派の多くは孤立を維持するだろう。そもそも最少規模の排他主義派の影響は少ない。〈混沌〉支持派のバールは、これまでと同様で、冥獄というよりは、〈混沌〉の子の為に動く。万魔殿に来なかったことが、その証だ。私は中立だが、冥獄が乱されるのは見過ごせない。となると――」
そう言って、パイモンがガープに視線を移した。
「最大勢力である、冥獄至上主義派の俺が、冥獄をまとめ上げる」
ルカヴィが眉根を寄せて、ガープをじっとりと見つめた。
「何だ、ルカヴィ、不満そうだな。言ったのは、パイモンだぞ」
「ルカヴィ、あなたと私で、ガープの補佐を行います」
「監視の間違いだろ」
「ガープも承知の通り、冥獄至上主義派に好き放題させるつもりはない。冥獄に〈秩序〉は必要無いが、〈混沌〉も不要。となると、我々が管理するしかない。人員が不足しているのだから、あなたにも働いてもらうよ、ルカヴィ」
「やれやれだな」
次にオデュが空間移動の対象に選択したのは、天使達だった。ラティエルを腕に抱えたレミエルと、床に横たわるアメルスの姿が不鮮明になり、その場から姿が消えた。
空間移動先では、多くの天使達が待ち構えていた。万神殿の大広間に設置された壇上にいたのは、中央に座すサリエル、その横に立つ階級監督官ラグエル、セクンダデイのミカエル、ガブリエル、ラファエル、オフィエル、サマエル、ザカリエルの6人、イスキンのアサラデル、アマザラク、バルカヤル、タミアルの4人は横並びで座っていた。レミエルが戸惑いながら上級クラスの天使達を見回していると、サリエルがため息をついてレミエルを睨みつけてきた。
「ようやく終わったようだな」
それが合図だったかのように、背後から近づいてきた下級クラスの天使二人がレミエルに向けて槍を突きつけた。
「自分が犯した罪を問うといい」
(承知している)
サリエルの言葉に対して、レミエルは納得し、抵抗するつもりはなかった。
ラグエルがレミエルの方へ近づいていった。レミエルを無視して、ラグエルはしゃがんで黒髪の女天使の状態を確認した。
「アメルス……」
久しく目にしていなかった彼女の姿は、何も変わっていなかった。
続けて、抱き抱えられた褐色の肌の女天使に視線を移した。
「ラティエル……」
堕天したはずの彼女は、かつての天使の姿に戻っていた。ラグエルは空間把握能力を発動させた。簡易的な治療をアメルスとラティエルに施し、ラグエルは下級クラスの天使四人を呼びつけた。
「彼女達を医療ルームへ連れて行きなさい」
アメルスは二人の女天使に抱え上げられた。残り二人の女天使が近づいてきたので、レミエルはラティエルを優しく手渡した。アメルスとラティエルは大広間から運ばれていった。
そこで、ラグエルはようやくレミエルに注意を向けた。空間セルからの情報取得と全域ネットワークの確認を済ませた上で、同族殺しの堕天使を見据える。
「聖剣/魔剣の正体である因果の刀の適格者となったこと。ラメド・アンデルとの戦闘に参加したこと。だからといって、魔剣による同族殺しが消えて無くなる事は無い」
ラグエルが顎で指図すると、背後で待機していた男天使二人がレミエルの腕を掴んで拘束した。
アサラデルが立ち上がり、月静海を発動させた。アサラデルの後頭部に光輪が出現した。
待ってましたと言わんばかりにサマエルが立ち上がると、赤い長髪がうねうねと波打った。
攻撃態勢を取った二人に小さくため息をついて、ラグエルはアサラデルとサマエルの正面に、敢えて可視化させた障壁を展開した。
「待ちなさい、アサラデル、サマエル。あなた達に裁く権利は無い」
ラグエルの制止など御構い無しだった。アサラデルは過重力の対象をレミエルに設定した。サマエルは火針を発動し、レミエルの顔面を狙った。
「………」
レミエルは上級クラスの能力を把握していたので、衝撃を覚悟して身構えた。だが、何も起きなかった。レミエルにとって意外だったのは、自分を守ったのがサリエルだったことだ。
自らの能力が発動しないことに、アサラデルとサマエルは違和感を覚えて眉を顰めた。
「まだ、レミエルを失うわけにはいかない」
サリエルの後頭部に光輪が出現しているのを目にし、壇上の全員が納得していた。その場の異能力の発動を禁じる――それがサリエルの能力、閾絶無だった。
アサラデルが眉根を寄せて、サリエルの方を向いた。
「サリエル、どういうつもりだ。裏切り者のレミエルを救うつもりか」
「いいや、こいつを許すつもりはない。しかし、因果の刀の適格者を手放すつもりもない」
サリエルの言葉にラグエルが頷いた。
「適格者が失われれば、新たな適格者が選択され、覚醒する。その選択性に法則は無く、何らかの優位性も存在しない」
「ラグエルの言う通りだ。因果の刀を天獄が所有していることは、他勢力に対しての一つのアドバンテージとなる。ラメド・アンデルが〈デルタ〉から退場し、黒リヴラが排斥されるだろうことで、三獄の各世界の関係性は変わる。ルカヴィのフラグメント・オブ・プレジャーは、ペインとアゴニーと比較したら大きな脅威ではない。今後の最優先事項は、陣営の再建だ。煉獄も冥獄も承知だろう」
ラグエルがレミエルに近づき、腰に括られた因果の刀に手を近づけたものの、触れる前に引っ込めた。
「〈デルタ〉の脅威排除の一役を担った事と、アメルスとラティエルを救出したことは、罪と同様に無くなりはしない。帰するところ、適格者にしか、三神刀を振るうことはできない。気が熟すまでは、大人しくしているといい」
ラグエルはレミエルを拘束する天使二人に目配せし、踵を返して、レミエルに背を向けたまま命令した。
「独房へ連れて行け」
レミエルは天使に強く引っ張られながら、その場から連れて行かれた。
不満そうなアサラデルを見て、ラグエルはため息をついた。
「アサラデル、君は怒りの矛先を失い、戸惑っているだろうが、全てをレミエルに課すのは問題点のすり替えに過ぎない。黒リヴラへの借りを返すのは、程なくして訪れる」
「ラグエル、お前の予測は、根拠があるのだな」
「当然だ、サリエル。三獣の封印が解除されようとしている。新たな闘いが開始される。リメド・エイデンも、ちょうど今その話をしているところだろう」
ラグエルの答えに、サリエルはううむと唸り声を上げてから、今後の方針に関して、セクンダデイとイスキンとの会議を再開させた。
続けて、オデュが空間移動の行き先に設定したのは、煉獄だった。ニティブスがカジョウに控え目に抱きついてから、込み上げてきた涙を腕で拭った。
「カジョウ、本当にありがとうございました」
カジョウは笑みを浮かべて、気にするなといった感じで右手を振った。
カタリスはコロパティロンを、マスカルムはゼファルを抱きかかえ、オデュに近づいていった。マスカルムとカタリスが頷きかけてきたので、オデュも笑みを浮かべて、頷き返した。空間移動が発動し、マスカルムとゼファル、カタリスとコロパティロン、ニティブスの姿が不鮮明になり、その場から姿を消した。
万鬼殿の一室にある会議場には、煉獄に在住している領域統治者――シンブク、タブリス、アルフン、ファルドル、ハハブの五柱と7時の領域でサリルスの部下だったリブラビス、同じく7時の領域の鷲の鬼神ミズギタリ――男鬼神である彼は、他の鬼神と同じく灰色のローブを着ていたが、顔は嘴も羽毛も灰色の鷲のもので、まるでオジロワシかのように鋭い目つきをしていた――が集まり、長机に設置された13脚ある椅子に座っていた。
ファルドルが閉じていた目を見開いた。
「同胞よ、予想通りだ。全域ネットワークのデータに間違いは無い。カタリス、コロパティロン、ニティブス、ゼファル、マスカルムが帰ってくる」
次の瞬間、空間移動によって、コロパティロンを抱いたカタリス、ゼファルを抱いたマスカルム、ニティブスが姿を現した。カタリスが左右を見渡し、犬の顔でにやりと笑った。
「出迎え感謝するよ、ヌクテメロンの皆さん」
「偉そうに。誰がお前の為に、集まったっていうんだ」
近くに座っていたアルフンが嘴をかちかちと鳴らしてから、カタリスを見て同じようににやりと笑った。ハハブが立ち上がり、カタリス達に近づいていった。
「カタリス、彼女達は大丈夫なのかい?」
「ああ、命に別状は無い。ありがとよ、ハハブ。あんたの能力は大丈夫だ」
ハハブが席に戻っていくのを見計らって、机を挟んで向こう側に座っていたリブラビスが立ち上がりカタリスの方へ歩いてきた。カタリスは思わず口を半開きにしてしまったが、すぐに戻して素知らぬふりをした。リブラビスの顔は少しむくんでいて、腫れぼったい目をしていた。カタリスは心中でため息をついた。
(なんだ、こいつ。ずっと泣き喚いてたっていうのか……。サリルスは自業自得だった。でも、だからといって、リブラビスがこんな想いをする道理は無い。くそっ! 黒リヴラの奴、好き放題しやがって。ラメド・アンデルを退散させたからといって、終わりじゃ無い。めちゃくちゃにされた煉獄をまとめ上げないとな――いや、コロパティロンなら三獄というか……)
リブラビスがずずっと鼻をすすってから、枯れた声で話しかけてきた。
「カタリス、お帰りなさい。それに、ニティブスとマスカルムも。まさか、コロパティロンとゼファルが無事だったなんて、信じられないわ。いや、サリルスが居なくなってしまうんだから、何だって起こるわよね……」
「なあ、リブラビス――」
「大丈夫」
リブラビスはカタリスの目を真っ直ぐと見据えた。
「ごめんなさい、だらしない姿を見せて。いつまでも、泣いてはいられない。ファルドルに言われて、承知しているわ」
リブラビスがファルドルの方を見た。ファルドルが座ったまま口を開いた。
「カタリス、万鬼殿の今後を決めなければならない。お前達が帰ってくるまでに、ある程度は話し合った。コロパティロンとゼファルを寝かせて、カタリスとニティブスとマスカルムは着席してくれ」
リブラビスが自らの能力、焙造エルシデイト・マターを発動させた。リブラビスがイメージすると、目の前に灰色のオーラで形成されたシングルベッドが二台並んで出現した。コロパティロンとゼファルをベッドに寝かせて、カタリス達はファルドルの隣に空いていた席に並んで座った。目を瞑ったまま、ファルドルが話し始めた。
「まずは、全員で謝罪しなければならない。カタリス、裏切り者扱いして、申し訳なかった」
カタリスに向かって、領域統治者達が胸に手を当て、一様に眉尻を下げた。
「我々はサリルスの指令でカタリス達白仮面の軍勢を襲撃したが、その指令自体が仕組まれたものだと気づけなかった。本当に情けなく、罪深い行為だった。本来なら我々は罰を受けるべきだが、サリルスを失った今、どうするべきかといった状況だ」
「今回の事態は、教徒の欠片の覚醒の中で、ラメド・アンデルと黒リヴラと敵対した結果だが、万鬼殿の管理体制が要因の多くを占めていると思ってる。統治者不在の領域が多い中で、健在の領域統治者が他領域を兼任していたが、負担増となって注意力が分散し、万鬼殿が全体を把握不能な状態になっていた。ファルドル、あんた達が全ての原因なんかじゃない。責任問題なら、全ヌクテメロンが問われるべきだ」
そこで、カタリスはちらとリブラビスの方を見た。
「悪いのは黒リヴラかもしれないし、野心に目が眩んだサリルスかもしれない」
カタリスの言葉に、リブラビスが眉を顰めた。カタリスは構わずに続けた。
「だが、ファルドルがさっき言ったように、万鬼殿の今後が重要だ。調整して改善し、より良くしていこう」
ファルドルがカタリスの話を聞いて、頷いた。
「そう言うと思ってたよ。まずは、不在の領域統治者の配置整理をしていく。1時は、シンブク。2時は、ニティブス」
自分の名前が呼ばれて、ニティブスは戸惑っていたが、ファルドルの話は続いていたので、遮るのは良くないと思い静かにしていた。
「3時は、マスカルム。4時は、無し。5時は、バルクス。6時は、タブリス。7時は、リブラビス。8時は、アルフン。9時は、コロパティロン。10時は、カタリス。11時は、私。12時は、ハハブ。如何だろうか」
「4時が不在だが?」
カタリスが質問した。
「4時は全鬼神がいなくなっている。統治対象が無いという現段階での判断で、不要としている。今後の話となれば、サリルスの後任となる最高責任者を決定する必要がある」
ニティブスがタイミングを見計らって口を開いた。
「私が領域統治者に呼ばれたけど、間違いじゃないかしら」
「いいや、2時の領域統治者は、ニティブスだ。問題は無いと考えている」
「問題というならば、私が領域統治者なのも不安なのだけど」
発言したリブラビスの方に、ファルドルが顔を向けた。
「7時の領域統治者は、リブラビスだよ。ニティブスもリブラビスも心配のようだが、ニティブスは万鬼殿外での活動報告から問題ないと考えているし、リブラビスもミズギタリのサポートがあれば可能だと考えている」
ニティブスは肩をすくめた。リブラビスが隣に座るミズギタリを見ると、鷲の嘴をかちかちと鳴らして、ミズギタリはにやりと笑った。
ファルドルは話を次の段階に進めることにした。
「では、次はサリルスの後任に関してだ。万鬼殿の最高責任者には、9時のコロパティロンに就任してもらおうと思う」
ファルドルの言葉に、その場に集った鬼神達がそれぞれ頷き、またはガッツポーズし、他は手を叩いた。
「満場一致。本人の了承は得ていないが、これは代え難い決定だな」
「コロパティロンなら、大丈夫だろ」
カタリスが言って、犬の口でにやりと笑った。
「一点、いいかしら」
ニティブスが発言した。
「4時の不在は、コロパティロンに判断を委ねるとして、5時はどうするの? バルクスは三獄にいないわよ」
「その通り。その話が次の話となる。我々はバルクスの探索をしなければならない」
「とうして、今になって?」
カタリスが眉を顰めた。
「バルクスに戻ってきてほしいからというのが第一だが、バルクスを追うことが次の争いに関する問題解決に繋がる。黒リヴラへの制裁もそうだが、万鬼殿の裏切り者を放置するわけにはいかない」
「その次の争いとやらに、黒リヴラと従属する鬼神達が参加し、更にバルクスも関係していると言いたいのか」
「そうだ。バルクスの能力を悪用するつもりはない」
目を閉じたままじっと顔を向けてくるファルドルを見て、カタリスが頷いた。
「いや、疑って悪かった。なら、バルクスを探さないとな」
「カタリス、バルクスの居場所の手掛かりなんて無いでしょ」
ニティブスの言葉に、ファルドルが珍しくにやりと目を瞑ったまま笑った。
「いや、手掛かりならある。というより、手掛かりは間もなくやってくる」
オデュは改めて、その場を見渡した。大分人数は減って、三獄〈デルタ〉の住民はほぼいなくなっていた。
「では、次は、偽器〈ヴェッセル〉を移動先としようか」
エクスとロリアンがオデュに近寄っていった。ロリアンはアテピスを抱えていた。クロトを抱えたフェリル、ラケシスを抱えたイライも後に続いた。リヴラが大事そうに両手で合わせた掌にデウスを乗せ、リメド・エイデンに近づいた。
「あなたから預かっていたデウスを、守りきれなくて申し訳ありませんでした。大切な、ロストトライブスの未来だというのに……。こんな状態でお戻しすることの罪に対する罰は、覚悟しております」
「リヴラ・ジヴァニトゥム、君は、罰を抱えすぎている。それに、罪には値しないよ。セフィロト・サインの発動は、私の責任でもあるからね。デウスを君に任せたのは、各世界を巡る君について、世界に住む多くの種族を見て欲しかったからだよ。リヴラの役割の特性上、危険が降りかかる状況も想定できた。それを覚悟で、私は君に帯同を御願いし、デウスも承知していた。ありがとう、リヴラ。我が子を救ってくれて」
「いいえ……。こちらこそ、ありがとうございます」
リヴラは翼の生えた掌大の亀を見つめた。静かに眠っている。呼吸に合わせて、翼がゆっくりと上下していた。
「これからも、デウスを御願いしたいな、リヴラ」
「もちろんです。私でよろしければ」
リヴラが踵を返して、オデュの方に近づいていくと、アクトがリヴラに近づいていった。
「どうした、アクト」
「あれを」
アクトが指差す方向に視線を移すと、じっとこちらを見ているイライの目と合った。
(そう、イライ・クルドだ)
「あっ!」
リヴラの声に、オデュが首を傾げた。
「何事だね、リヴラ」
「いえ、イライと共に〈デルタ〉に来た目的の一つが、イライの不老解除で、その為には、因果の刀が必要でした」
「なるほどな」
オデュがイライを見ると、リヴラが忘れていたことに苦笑していた。
「今すぐはばたついているし、レミエルは拘束されて外出できる状況じゃなかろう。だが、すぐに条件付きで外出出来るようになるから、その際にレミエルに頼むとしよう。それでいいかな、イライ」
「わかったよ。あんたがそう言うなら、納得するさ」
「すまない、イライ」
「はあ、ったく、しっかりしろよな、リヴラ」
「ちょっと、待て、リヴラ」
ベルンハルトがそう言って、近づいてきた。
「因果の刀は、ポジティブシンキングの問題解決にも必要とか言ってなかったか」
「そうです……。すみません……。それもなるべく早く向かいます」
「やれやれだ」
ベルンハルトは深いため息をついた。
リメド・エイデンが、タイミングを見計らって、口を開いた。
「異界の勇者の皆さん、助けてくれて、本当にありがとう」
〈ヴェッセル〉の住民達は、各々手を上げたり、笑いかけたりして、巨大な亀の感謝に応じた。オデュが空間移動を発動させると、エクスとロリアン、リヴラとイライとフェリルとクロス、アクトとフェイトの三人の姿が不鮮明になり、その場から姿を消した。
「最後は、地球〈ニューアース〉だな」
ベアトリーチェを抱えたベルンハルトが、オデュの方を向いた。
「ベアトリーチェは大丈夫なんだろうな?」
「心配するな。プーペのシステムから解放されたベアトリーチェは、一知的存在として、自由に生活して問題なくなったんだ。お前が守ってやれ」
セラフィムがベルンハルトの肩をぽんっと叩いた。
「マリアに誤解されないようにね」
「うるさいっ! からかうな」
「あははっ、ごめんごめん。じゃあ、僕等も戻るとするよ、オデュ、カジョウ、リメド・エイデン」
「ありがとう、セラフィム・アダム・カドモン。本当に助かったよ」
リメド・エイデンは深く首を下げ、カジョウは手をひらひらと振った。セラフィムが空間移動を発動させると、セラフィムとユイとレイ、ベルンハルトとベアトリーチェの姿が不鮮明になり、その場から姿を消した。
万神殿に残ったのは、主人であるリメド・エイデン、そして、オデュとカジョウのみとなった。オデュの近くの床には、龍族の女性が寝ていて、その隣には封印されたラメド・アンデルが寝かされていた。
「ようやく、終わったか」
「長い間ありがとう、オデュ」
「いや、とんでもないよ、リメド・エイデン」
「なあ、オデュ。何度も同じことを言うようだけど、あれで良かったのかね」
このタイミングでカジョウが聞いてくるあれといえば、1つしかない。
「エクスとロリアンのことか」
「オデュは十分に責任を果たしてきた。客観時間で長い月日が経った今なら、本当のことを話した方がいいんじゃないかな」
オデュは首を横に振った。オデュはエクスとロリアンに対して、1つの大きな嘘をついていた。二人の為という名目はあったが、二人に対して、とても失礼な行為だった。オデュは帝国シアルルに所属する魔剣士として、エクスとロリアンの剣術の指南を担当していた。ロリアンが拘束されるまで、皇子エクスと才女ロリアンは剣術だけでなく、歴史、魔術、世界の構造、様々な事をオデュから教わっていた。エクスとロリアンがオデュの事を何も覚えていないのは、オデュがテトラモルフに頼んで、二人の記憶を操作したからだった。具体的には、エクスとロリアンの記憶からオデュという存在の消去。本来なら許されないような限定的な他者の操作が許容され、何故、そのようなことをしたのか。オデュはアダム・カドモンとして覚醒し、〈ヴェッセル〉の帝国と地上との争いとは異なる問題を解決しなければならなくなった。それは、半ば帝国を見捨てるような行為だった。実質、オデュは1つの案件の為に、多くを見捨てた。救いとして、エクスとロリアンの命が守られる事を知ったオデュは、二人にとって自分の記憶は不要と判断した。いや、二人の為とは名ばかりの、自己防衛に過ぎない。批判されるのが耐えられなかったから、都合良く二人の記憶を操作したのだ。
「私の都合で二人の記憶をテトラモルフに操作してもらったのだ。それを勝手にまた解除するのは許されない」
「やれやれだ、オデュ。エクスとロリアンの記憶操作は、君のエゴだったのか。いや、違うね。君の決意は認めるけど、君の行動が無ければ、エクスとロリアンは帝国没落から逃れられなかったろう」
「……私がしたわけではない」
「いいや、君が皆に働きかけ、君の考えに賛同したから、皆は行動したんだよ。君が、エクスとロリアンを救ったんだ」
「………」
「気持ちの整理がまだつかない、というならいい。また、新たな争いが始まる。それが解決したら、検討してみてもいいんじゃないか。各世界救済の為に、君は多くの主観時間を費やしてきた。そんな君に、帰るべき場所がどこにも無いというのは、あまりに酷いじゃないか」
「カジョウ……ありがとう」
リメド・エイデンが見つめるオデュの後姿は、とても弱々しく、頼り無げに見えた。
「休んでも、いいんだよ、オデュ」
「いや、大丈夫。次の話をしよう」
そう言って、オデュは不動のラメド・アンデルを見据えた。
「ラメド・アンデルが倒された場所に、神弓の矢が落ちていた」
リメド・エイデンがううんと唸った。
「それは、エリーズの弓矢なんだね」
「そうです。彼女の痕跡があるということは、三獣がいたということ」
オデュの言葉を聞いて、カジョウがため息をついた。
「ラメド・アンデルは、攻撃の対象を我々の陣営からずらしていた。そのターゲットは、三獣だった」
「神弓の担い手の彼女は、生きているだろうか?」
リメド・エイデンの声は震えていた。
「………」
オデュは答えなかった。
カジョウが淡々と答えた。
「三獣に飲み込まれたエリーズは、感知不能状態。心配なのは私も同じだけど、何もわからない」
「ラメド・アンデルの思惑通りなら、三獣の解放によって、封印されていた絡繰〈オールドアース〉が復活する」
「絡繰〈アース〉……」
リメド・エイデンがゆっくりと囁いた。オデュとカジョウが見つめる有翼亀族の顔は、悲しそうだった。
世界は〈ヴェッセル〉〈ニューアース〉〈デルタ〉の3つだけなのか。いや、かつて、世の中には無数の世界があった。その始まりは、絡繰〈アース〉だった。世界の仕組みを〈アース〉で構築し、ノウハウが出来たことで、様々な世界が生み出された。各世界が発展し、成熟した末、〈アース〉に三獣が発生した。凶悪な三体の獣に対応策は無く、次から次へと世界は没落していった。世界を破壊し尽くし、三獣は沈黙した。かろうじて残された絡繰〈アース〉にて、三獣は深い休眠に入る。仮に目覚めたとしたら、三獣は再び全てを破壊し尽くすはずだ。三獣の沈黙後、破壊された世界を参考にして、偽器〈ヴェッセル〉、三獄〈デルタ〉、地球〈ニューアース〉が生み出され、絡繰〈アース〉は〈オールドアース〉とされた。
「〈アース〉が復活するなら、三獣は必ず動き出す」
「今の各世界を守る為の対策について、話し合わなければならないな」
「オデュ、その前に、情報収集だよ」
カジョウの言葉を聞いて、リメド・エイデンが静かに頷いた。
「そうだね、カジョウ、オデュ。それならば、関係者は多いに越したことはない」
そうして、横たわるラメド・アンデルを見据えた。リメド・エイデンの了承を得た上で、カジョウはラメド・アンデルに近づいていった。
時間停止した万魔殿の戦場で、敵の最後の攻撃を空間支配能力で感知した時、ラメド・アンデルは忌まわしき大怪獣の気配を感じ取った。
「ようやく、来たな」
予め想定されていた通りに呟き、ラメド・アンデルは攻撃の対象を変更した。意識が薄れていく中で、攻撃結果は分からずじまいだった――。
意識を取り戻し、ゆっくりと目を開く。白く眩しくて、ラメド・アンデルは眉根を寄せた。懐かしい有翼の亀の姿を見て取り、三獄〈デルタ〉での活動が全て終了した事を悟った。
「それで、どれくらい私は寝ていたのかな?」
上体を起こしながら、ラメド・アンデルは、リメド・エイデンとオデュとカジョウを順番に見ていった。
「まだ、半日も経っていないよ。各世界の住人を送り届けて、絡繰〈アース〉について話し始めようとしたところだ」
「なるほど。私を起こしたのは、説明を求めてかね。それで、そこの人間種族の二人は、納得したのかい?」
ラメド・アンデルが立ち上がり、オデュとカジョウを見据えた。
オデュはため息をついた。
「リメド・エイデンから話は聞いているが、にわかには信じがたい」
ラメド・アンデルが肩をすくめるのを見て、カジョウが興味本意で聞いてみた。
「今までの長きに渡る争いは、一体なんだったんだい?」
「彼から話を聞いているなら、私の目的は把握してるんだろ」
そう言って、ラメド・アンデルはリメド・エイデンの方を顎で指し示した。
「私が敵対者に対抗するには、凄まじい個人が多く必要だった」
「今回の争いで、君の求める人材の条件が満たされた、ということかな」
カジョウの答えに、ラメド・アンデルは満足そうに頷いた。
「その通り。以前の君達との争いでは、不十分だった」
オデュは、そんな事のために!、と悪態をつきそうになるのを抑えて、ラメド・アンデルの真意を聞き出すのに無理矢理意識を向けた。
「君の計画が次の段階に進んだ、今回の争いの要因は何なのだね?」
オデュの質問に、ラメド・アンデルが中指と人差し指を立てた。
「大きくは2つある。1つは黒リヴラの存在。彼によって多くの力が失われてしまったが、その代わりに大きな力が生まれた。もう1つは、私の敗北。私が倒されるというなら、私以上の存在へと立ち向かうことが可能だということ。そこで、段階を進められると判断したんだよ」
「次の段階というのが、三獣か」
「私と、リメドの故郷を滅亡させたのは、ベヘモットとレヴィヤタンとジズ――それが三獣と呼称される三体の大怪獣。三獣を消滅させる為に、私は三獣を呼び覚ます必要があった。セフィロト・サインとパーソナル・イントラユートピアによってエネルギーを収集し、そのエネルギーをぶつけ、封印され眠りについた三獣を活動させる。それが、これまでの展開だ」
「呼び覚ます必要があるのか? その膨大なエネルギーとやらで、三獣を攻撃して破壊すれば良かったんじゃないか?」
「それは無理なんだよ、オデュ。休眠状態の三獣は次元が異なり、世界の隔絶となって、衝撃を届けることが不能なんだ。知的存在の精神エネルギーを集合させ、膨大なエネルギーを生成し、エネルギーが枯渇した絡繰〈アース〉にぶつけることが、ようやく始まりなんだ」
「ラメド、三獣は、まだ覚醒していないね?」
リメド・エイデンの言葉を聞いて、オデュは眉根を寄せた。
(どういうことだ。話が違うじゃないか)
「おいおい、そんな怖い顔をするなよ、オデュ。リメドの言うように、まだ三獣は完全に目覚めてはいない。三獣は休眠状態に入った際に、エノキアンに悪用されて、身体と精神の一部を抜き取られている。それは様々な形で悪しき計画に利用され、抜き取られたものが本体に戻らない限り本体が復活することはない」
カジョウが納得して頷いた。
「ゼロに埋め込まれたベヘモットが、まだ解放されていないんだね」
「正解」
オデュが浮かない表情で口を開いた。
「エノキアンのプライベートフィールドに侵入した際、あの場所で起きていたのはエノキアンとゼロとの最終決戦だった。我々と黒リヴラが邪魔に入った事で一時中断しただろうが、だからといって何かをしたわけでもなく、ゼロに会うことも見ることもせずに、あの空間を去った……」
「まだゼロが無事だというなら、救出しに行こうとでも言うのか。いや、君は既に承知しているはずだ。彼の闘いに手出しは無用」
「………」
(ラメド・アンデルの言う通りなのはわかっていた。しかし、あまりに悲しすぎる。ゼロが可哀想だ)
「納得できないといった感じだな、オデュ。私が思うに、あの呪われた人間は滅びを望んでいるんじゃないかな。だから、私は、ゼロを計画の内に勘定しなかった」
辛気臭い雰囲気にカジョウがやれやれと首を横に振って、話題を変えることにした。
「ラメド、君の計画の勘定には白銀の陣営だけでなく、漆黒の陣営も含まれているんだろう」
ラメド・アンデルが肩をすくめてリメド・エイデンを見た。リメド・エイデンがカジョウの言葉に代わりに応じた。
「ラメドは、セフィロト・サインに埋め込んだ者達を殺すつもりはなかった。それどころか、三獄にいるあらゆる知的存在を守ろうとしていた。それがパーソナル・イントラユートピアだったんだよ。黒リヴラが三獄の住人の能力を奪い殺していたのは防ぎたかったし、更に言えば黒リヴラ本人さえも無事でいてもらいたかった。三獣に対抗するには、凄まじい個人は何人いても良かった。私はその闘いを止めたかったが、止めることができなかった。そもそも三獣に対抗する根本的な解決策が提示できないと単なる非難でしかなく、ラメドが納得しないのはわかっていた。ラメドのやり方よりも良い解決策が見出せなかった私が、いけないのだよ……」
リメド・エイデンの瞳が涙で潤んだ。
ゼロが右腕の獣を解放すると、右手を引き裂いて腕の中から襞に覆われた化け物が飛び出してきた。顎門を開いたベヘモットの肉片が漆黒のオーラを吐き出し、オーラが黒い門を形成する。まるで怪獣が開いた口のようなぎざぎざの門の奥へ、ゼロは進んでいった。
門を潜り抜けると、予想外の光景が広がっていた。先刻までいた草原と似ていて、一瞬、空間移動が失敗してしまったのかと思った。
(いや、〈混沌〉の子の眷属エノキアンとの繋がりが、途切れることなどない。右腕の獣は、確実にエノキアンの元まで導いている。この場所で間違いない)
ゼロが振り返ると、10メートルほど離れた前方に、黒いローブ姿が9体並んで立っていた。青い空と緑の草原には似つかわしくない異様な光景だった。ゼロは口の端を吊り上げて、ふうと軽く息を吐き出した。
(黒いトレーナーと青いジーンズは草臥れて汚れ、黒いニット帽には穴が空いている。この場に不釣り合いなのは私も同様で、エノキアンと何ら大差ない)
「なんだ、この空間は?」
「子が望むものを、用意したまでだ」
エノキアンの返答に、ゼロはぎりきりと歯軋りした。
(このくずどもは、今、私を〝子〟と呼んだのか)
「ふざけるなっ! 〈混沌〉の子の下僕――貴様等が全ての元凶だ。貴様等のせいで、私は全て失ってしまったんだ。貴様等さえいなければ、私はこんな姿になって生き長らえることもなかった。誰かを傷つけることもなかった……」
「違うね。選択したのは、貴様だ。貴様は、そのように再誕したのだ」
「私に残された役割は、一つ。貴様等を貪り喰らい、憎しみの連鎖を断ち切る」
ゼロの右腕の獣が標的を見定めたかのように、エノキアンの方を向いた。ゼロの全身がゆらゆらと揺れる漆黒のオーラに覆われると、ベヘモットの肉片が鋭い牙を剥き出しにして、エノキアンに襲いかかった。1体の漆黒のローブ姿が一歩前に出て、オーラで巨大化した拳でベヘモットを殴りつけた。牙と拳がぶつかり合い、均衡した力が競り合ってじりじりとお互いを押し合った。
「ベルゼブブか」
ゼロはベヘモットを一旦引き戻し、上空に向けて顎門を開かせた。ベヘモットの口からぎざぎざのオーラが9つ発射され、各エノキアンに飛んでいった。オーラは避けられても軌道修正し、標的をどこまでも追尾した。ベルゼブブは、漆黒のオーラを纏った拳でオーラを殴りつけた。ピュートーンは右手を上げ、オーラ目掛けて黒い氷の矢を発射した。ベリアルは黒い大剣を振り下ろし、オーラを叩き斬った。アスモデウスは黒い刀を抜き払い、オーラを割断した。サタナスが向かいくる障害を睨みつけると、目前まで迫ったオーラが一瞬にして消滅した。メリジムは追ってくるオーラをさっと横に避け、すれ違い様に両手の黒い剣でオーラを細切れにした。アバドンが右手を上げると黒い炎が吹き出して、オーラを焼き尽くした。アスタロトは黒い剣を振り上げて、オーラを真っ二つに割った。マモンが黒い杖を掲げると、漆黒のオーロラにオーラが包まれて爆散した。
サタナスが舌打ちして、口を開いた。
「フィールドの時間軸設定はどうなっている」
マモンがプライベートフィールドの詳細設定を読み込んだ。
「客観時間の20分の1設定だ」
「聖水取得のタイミングを見落としては面倒だ。冥獄へ移動し、待機する」
ベリアルが空間移動を発動した。
「逃すか、ベリアル」
ゼロの右腕のベヘモットがぐいんと伸びて、ベリアルに振り下ろされた。ベリアルの姿が一瞬にして掻き消えて、ベヘモットが地面に激突した。ゼロは眉根を寄せ、きっと漆黒のローブ姿を睨みつけた。
「サタナス……」
「邪魔はさせん」
「ベリアルは何故、冥獄へ移動した。貴様等は、何を企んでいる」
「冥獄に安置されている聖水確保の為だよ」
「聖水……? 時間軸のエラーを解く水が、貴様等とどう関係する」
「世間知らずが、よく知ってるじゃないか。聖水の用途は一つ。我々の時間軸のエラーを解くんだよ」
「……エノキアンの、時間軸エラーだと?」
8体のエノキアンがくつくつと笑い出した。ゼロは苛々して舌打ちした。
「何がおかしい、くずども」
「〝我々〟とは、父と子と霊。〈混沌〉の子と、その眷属エノキアン。そして、貴様だ、ゼロ」
「……なん、だと?」
ゼロは頭を強打されたかのようにふらついてしまった。実際に殴られたわけではなかったのに、ショックが強くて錯覚してしまった。
(父・子・霊というのは、没落したかつての宗教の三位一体の教義のことだろう。神の本質についての話だったはず。エノキアンが何を企んでいるかはよくわからないが、邪悪な営みに違いない。その計画に、私が組み込まれているだと)
父と子という表現に、ゼロは吐き気を催した。〈混沌〉の子と自分との繋がりを連想させ、更に自分の失われた息子のことを想起させられたことに、思わず噦いてしまう。
「ぐっ、おえっ」
喉奥から込み上げた酸っぱいものが、口一杯に広がった。
「認めろ、哀れな子羊。立場と価値観が異なれば、貴様は救世主だったのかもしれない」
エノキアンの言葉で、ゼロの目の前が真っ白になった。白いローブ姿のゼロは、若々しく健康的だった。肌は血色が良く、白髪が混じって灰色に見える髪をオールバックにしている。はっとして、右手を見ると、何の変哲もない人間の手だった。邪悪な獣の存在は、欠片も見当たらない。ふと背後を振り返ると……、仲間がいた! 当たり前だと納得する一方で、自分の漆黒に染まった部分はとても信じられずにいた。剣士、魔術師、奇蹟の担い手――近距離と長距離を担う前衛と後衛のアタッカー、補助役のヘルパー、回復役のヒーラーがそれぞれ複数人いた。人間種族だけでなく、他の創世族――獣人族、妖精族、大地人族、深海人族や、異界の住人――天使、悪魔、鬼神も仲間に加わっていた。なんと、頼もしいことか。ゼロは微笑みを浮かべた。息子が右腕に抱きついてきたので、ぎゅっと抱き返した。正面に立つ妻がにこりと笑ったので、左腕で優しく抱きしめた。嬉しくて、誇らしかった。家族が無事なら、安心して、世界の救済に集中できる。ゼロの体が白銀のオーラに包まれた。力が漲ってきて、自信が満ちてくる。対峙する諸悪の根源――〈混沌〉の子の下僕エノキアンを、ゼロは見据えた。出し抜けに、邪悪な囁きが、ゼロの耳奥で響いた。
「だが、この時間軸の貴様は、生贄でしかない」
「なっ……⁉︎」
(可能性なら、あったのかもしれない。今までの自分の主観時間の中で、どれだけの分岐点があったことだろう。私は全ての選択肢を、誤ってしまった。別の時間軸、並行世界の自分は、今とは真逆の立場と価値観の人間なのかもしれない)
空虚感に襲われ、ゼロは呆然と立ち尽くした。漆黒のローブ姿がじわじわと近づいてくるが、ゼロは動けない。ゼロの右腕が肩から弾け飛んだ。左膝と左肘の部分が切断され、腕と足がぼとんと地面に落ちる。バランスを崩して、顔から草原に突っ伏すと、右足の感覚が無くなってしまった。凍った足が、ぽきんと根元から折れて砕けた。胴体が炎に包まれて、ゼロは焼き尽くされた。火の勢いが治ると、黒焦げの遺体が露わになって悪臭が漂った。炭化してぼろぼろと崩れ始めたゼロから、ゆらゆらと揺らめく漆黒のオーラが発せられた。首だった部分がゆっくりと持ち上がり、顔だった部分がエノキアンの方を向いた。真っ黒な焼け跡に、2本の赤い筋が浮かび上がった。赤い棒線は次第に膨らんで、一対の円となった。赤い双眸がぎらりと光って、ゼロの両腕両足が黒い異形となって再生された。体表面の煤をぱらぱらと落としながら、ゼロは立ち上がり、ぎざぎざの口を開いて咆哮した。ゼロの右腕からベヘモットが飛び出し、一瞬にして巨大化し、エノキアン達を叩き潰した。斬撃によって、ゼロの右腕と左足が切断されるも、切断面の黒い肉体から触手が伸びて結びつき、手足が元通りにくっついた。ベヘモットが弾き飛ばされると、縮小してゼロの腕の中に戻っていった。エノキアン8体が横並びに集結し、得体の知れない黒い生命体と相対した。
「化物め。黒く悍しい、低俗で野蛮な獣だな」
「ギザマラニ、イワレダグナイ」
ゼロが足を開き、エノキアンに向けて上げた右手首を左手で握った。ベヘモットの顎門がぐわんと開かれ、大砲のようなオーラが発射された。
「ジネ」
轟音を伴ってオーラが爆発し、黒煙が立ち上った。
黒煙が引いていくと、エノキアンのシルエットが見えてきた。そこにいるエノキアンの数は、7体だった。
(1体倒したのか……? いや、違う)
フィールド内の遠方で、反応を感じられる。
「ドウイウヅモリダ」
「なあに、気にすることはない。邪魔な侵入者の排除に向かっただけだ」
「………」
「我々の戦闘とは、無関係な事象だ」
(エノキアンのプライベートフィールドに侵入することなんて、可能なのか。エノキアンにとっても、想定外のことが起きているはずだ。〈デルタ〉の勢力争いに、大きな動きがあったのかもしれない。〈時空の彼方〉の監視者だった頃ならば、全域ネットワークへのアクセス権限が与えられていたが、今やそれは失われている。一度楽なのを経験してしまうと、便利さを失うのがこうも不便で損した気分になるなんてな)
心中で、嘆息する。
(元々何も持ってはいなかったんだ。お前みたいな邪悪な犯罪者に、生活水準を向上させる権利なんて無い。多くを望み過ぎだ、ゼロ)
対峙していたエノキアンの中から、更にもう1体、黒いローブ姿が消えた。
(これで残り6体だ。なんだ、苦戦してるじゃないか)
憎き相手の苦難が喜ばしくて、ゼロがぎざぎざの口を歪めて嘲笑った。プライベートフィールドの侵入者とやらの対処に集中したいのか、エノキアン側から何かを仕掛けてくる素振りはない。エノキアンの不幸が面白くて、ゼロはしばらく様子を見ることにした。
更にもう1体が消失し、その場に残ったエノキアンは5体――約半数となった。自らが展開した空間で手間取るとは、何とも滑稽だ。
「ザマアナイナ」
「………」
「ドウジダ。ナニモイエンガ」
「各世界の英雄、勇者達が集ったのだ。白銀の陣営の総攻撃というなら、漆黒の陣営も相応の対処をしないと失礼だろう」
(あいつらが、この場所に⁉︎)
一瞬、何かを期待してしまった自分が、すぐに自己嫌悪でうんざりした。
(あいつらがここに来たのは、別の目的があったからだ。自分の助けに駆けつけたわけではない)
自分の背に続く多くの仲間達、というさっき見た幻想が思い起こされて、更に惨めな気分になる。汚らわしい自分に、仲間などいない。焼け爛れてぼろぼろになった両手を見ると、自分が変わってしまったのを思い知った。自らの意思で動かすことはできても、何の感覚も無い。下を見ると、艶のある黒い血溜まりが出来ていて、思わずしゃがんで顔を近づけていた。崩れ落ちた歪な輪郭と丸く赤い瞳。人間離れした、悪鬼そのものだ。
(私は、もはや、ゼロではなくなった。ゼロは死に、化物が生まれた。白銀の陣営に、化物はいらない)
ゼロの意識は、暗く淀んだ深みに沈んでいった。
別所へ移動していたエノキアン4体が、空間移動して、その場に戻ってきた。しゃがみ込んで沈黙するゼロの周囲に並んで、その中からメリジムとベリアルが一歩足を踏み出した。
「三獣は、これまで十分に役立った」
「準備は整った。不要となった三獣を摘出する」
メリジムが二本の刀で斬りつけて、ゼロの右腕を切断した。切断面からベヘモットが飛び出し、伸びた腕で暴れ出した。エノキアンは既に後方に跳躍して避けていた。メリジムが拡張斬撃を放つと、ゼロの両腕両足が切断された。続け様に、ベリアルが空間断絶を展開した。首がスライドするようにして、ゼロの頭部が切断されて落ちた。巨大化した腕のベヘモットがぴたりと動きを止めて、左右に真っ二つに両断された。メリジムが片方に両手の剣を突き立て、ベリアルがもう片方に大剣を突き立てた。ベリアルがローブの中から四角い瓶を取り出して、ベヘモットに中身を振りかけた。黒い異形の化物は粉々に崩れ去って、草原を黒く染めた。ばらばらになったゼロにマモンが近づき、杖をゼロに向けた。杖から放たれる漆黒のオーラがゼロの体を覆い尽くすと、傷跡の切断面から触手が伸びて、各部位が再生された。
ゼロのすぐ近くに、新たな漆黒のローブが姿を現した。
「ベヘモットは解放された。これで、三獣――ベヘモット、レヴィヤタン、ジズの封印は解かれる」
ベリアルが聖水を差し出したので、〈混沌〉の子はそれを受け取り、中身を宙に撒いた。ゼロとエノキアンが、ずるずると〈混沌〉の子に吸い寄せられるように引きずられ出した。ゼロの体が〈混沌〉の子の体にめり込み、跡形も無く取り込まれた。エノキアン9体がオーラ状に変化し、〈混沌〉の子の体に吸い込まれるようにして消えていった。〈混沌〉の子が小さく、くつくつと笑い出した。次第に声は大きくなり、晴天の草原には似つかわしくない邪悪な笑い声が響き渡った。
「フハハハハハハッ」




