誤解と和解
結婚式を行った日の夜。ノヴァリーは王都のアスタレスク公爵邸の自室で、妻となったジャスティーナがくるのを待っていた。
女性には沢山の支度があるのだと、彼女付きの侍女や結婚式に参列してくれた姉、母らに口煩く言われて、大人しく自室に引き下がったのである。
自室に用意されていたワインに口をつけ、ぼんやりと窓の外を眺めた。
(……ジャスティーナ嬢の態度が見掛けだけのものだったらどうする? 父上には否定されたが、彼女は王太子の婚約者だという噂を耳にした記憶があるんだぞ。まあ、国王陛下が彼女の手を引いていた時点で、間違った噂だったんだろうが……。また裏切られたらどうする。いや、これは家同士の繋がりだ。ジャスティーナ嬢も納得しているから、あの態度だったんだろう。大丈夫、大丈夫だ)
参列者たちに挨拶して周ったときも、彼女は終始凛とした態度で彼らに接していた。
子どもが躓きジャスティーナにぶつかったときは、さすがに態度が変わるのではないかと危惧したが、それも杞憂だった。
彼女は怒るでも慌てるでもなく、まず子どもの心配をした。子どもに怪我がないと知った後は、威圧的にならない程度の声音で諭しもしていた。
高貴さと慈愛、そして上に立つ者としての威厳。彼女は王侯貴族に嫁ぐ存在として完璧な女性だった。それが演技でさえなければ。
ノックの音が聞こえ、ノヴァリーは椅子から立ち上がる。
少しの浮遊感。肘掛けに片手を突いて、もう片方の手で額を押さえた。ワインを飲み過ぎたようだ。
襟元を寛げて体の火照りを冷ます。だが、なかなか火照りは冷めず、眉を顰めながら大きく胸元を肌蹴させた。
「ノヴァリー様? ……入ってもよろしいですか?」
「あ、ああ! ジャスティーナ、すまない。入ってくれ」
扉の外から困惑したようなジャスティーナの声が聞こえてきた。ノヴァリーは扉に向かうことを諦めてそのまま彼女を招き入れる。
「失礼いたしま……ノヴァリー様! どうなされたのですか?」
ジャスティーナの驚いたような声音と共に、彼女が素早く近付いてくるのを感じ、ノヴァリーは胸元から視線を上げた。
彼女はノヴァリーの手の位置を辿って、胸元に目線を固定すると、みるみるうちに頬を赤らめる。
「あ、あの……体調でもお悪いのですか……? そ、その……少し刺激が強いと申しますか……胸元を正して下さいませッ……!」
わなわなと震える唇から紡がれる言葉。視線を泳がせながら、それでもノヴァリーの顔から目線を逸らさない。潤んだ目をしているのに、逃げ出さないところに、ジャスティーナの意志の強さを感じた。
変なところに感心しながら、彼女を動揺させてしまったことに焦る。
「え? ぁ、ああ。すまない……」
謝罪の言葉を口にした後、ノヴァリーは内心首を傾げた。
(いくらなんでも動揺し過ぎでは……? ジャスティーナ嬢だって、覚悟を決めてこの部屋にきたはずだ。何をするか知らないほど、幼くもないだろうに)
「いや、今日は初夜だろう? 別に構わないのでは。貴女は私の妻なのだから」
ノヴァリーは彼女の動揺を演技なのではと疑った。そうでないとおかしい。ジャスティーナは完璧な淑女教育を受けている。その中には閨の教育だってあるはずだ。あの村娘のように、純真なふりをしているだけに違いない。
無意識に棘のある言葉が出てしまう。
「な、な……そ、それは……そうなのですけれど! わ、わたくしのことを、大切にしてくれると仰っていたではありませんか……あれは、嘘、だったのですかッ」
ジャスティーナが自身の体を守るように搔き抱いて、今にも泣き出しそうな目でノヴァリーを睨みつけてきた。
彼女の口から嘘という言葉が吐き出された瞬間。村娘に裏切られた記憶が脳裏を過ぎり、ノヴァリーは自制を失った。
「俺は嘘を吐かない!」
声を荒げた後、はっとしてジャスティーナの顔を見る。
一瞬の静寂。
「あ、申し訳……」
彼女の体が小刻みに震え、薄紫の目から一筋の涙が零れ落ちる。その目には隠しきれない恐怖の色が差していた。
「……怯えさせてすまない。強く言い過ぎた」
ジャスティーナの肩に触れようとして、これ以上怖がらせる訳にはいかないと、手を彷徨わせる。
彼女はノヴァリーに触れられたくないと言うように、後ずさって顔を伏せた。
ズキリと胸が痛んだ。拒絶されたことが、予想外に衝撃だったらしい。ノヴァリーは自身が傷ついたという事実に驚き、戸惑う。
「いえ……わたくしの方こそ、ノヴァリー様は夫ですのに……動揺し過ぎてしまいました……失礼でしたよね。これだから……嫌われて……ッ」
ジャスティーナの中でどう結論づけられたのか。彼女にとってノヴァリーは『妻が動揺しただけで妻のことを嫌う狭量な夫』になってしまったらしい。
(飛躍し過ぎだ! なぜそんな結論になる! 不名誉な誤解をされたまま、初夜を過ごしたくはない……)
「誰が君を嫌うというんだ。俺はただ、嘘を吐かないと言っただけだろ」
椅子から離れてジャスティーナに近寄る。驚かせないように、そっと彼女の肩に手を回し、慰めるように撫で下ろす。
「……わたくしはこの性格のせいで……嫌われたのです! ……それに! わたくしは怒っているのですよ! ノヴァリー様が言って下さった言葉を信じていたのに! 胸元を正して下さいませんでした!」
顔を手で覆っていたジャスティーナが、ぱっとノヴァリーを見上げて、激しくいい募ってきた。
ご丁寧にノヴァリーのまだ開いたままの胸元を指差して。
(歩み寄っているのに。機嫌を直してくれてもいいじゃないか。なぜこんなに頑ななんだ! ……この性格で嫌われた。誰に?)
ふと、ジャスティーナが部屋にくる前に考えていたことを思い出す。
この女性は王太子の婚約者だったのでは? 噂ではなく、正しくそうだったのではないだろうか。だから父ロヴァンに確認しようとしたとき、はぐらかされたのだ。噂が事実だとして、ではなぜジャスティーナはここにいるのか。それは、婚約が無かったことになったという証明に他ならない。
「……君を嫌ったのは、王太子なのか?」
「……っ! なぜ!?」
見開いた彼女の目。肯定も否定もその口からは発されていない。それでも、ノヴァリーの頭は急激に落ち着きを取り戻した。落ち着き過ぎて、逆に凍えそうだ。
「っは……おかしいと思った。隣国にいたとき、貴女の噂を聞いたんだ。王太子の婚約者だという噂をな。父上が曖昧に濁してきたのは……」
ノヴァリーは冷笑した。
(ジャスティーナを偏見から守るためだったんだろう。当然のことだな。婚約破棄された令嬢だなんて、結婚相手からして見れば、厄介この上ない)
「俺と結婚したのに、まだその男のことを気にしているとは……残念だな。君となら上手くやっていけそうだと思ったのは、間違いだったみたいだ」
自身でもなぜここまで心が冷えているのか分からない。別に彼女が誰のことを想っていても、結婚生活に支障があるわけではないというのに。
「ち、違います!! なぜそんな結論になるのですか! わたくしはただ! ノヴァリー様! 貴方に! わたくしの夫である貴方に、大切にされなかったことを! 咎めているだけなんです! あんな、女癖の悪い下衆な男に未練があるだなんてッ!! 誤解でも思われたくはありません!」
ジャスティーナの叫びが、ノヴァリーの頭の中に余韻となって響き渡った。
(……下衆な男? 今の言葉、本当に彼女の言葉なのか……?)
ジャスティーナのことを心から閉め出そうとしていたことも忘れて目を瞬かせる。
斜め下から見上げてくるジャスティーナ。綺麗に整えられていたはずの顔が、涙で見る影もない。
(これは、さすがに演技……じゃないんだろうな。これが演技だとしたら、彼女が俺に嫁いでくる必要も、そうなる原因も、起こらなかっただろう)
ノヴァリーは毒気を抜かれて、乱暴に頭を掻く。
ジャスティーナの肩が大きく揺れた。また怯えさせてしまったようだ。
「誤解して済まなかった。謝ろう。受け入れてくれるか?」
彼女の前に立ち、頭を下げた後、姿勢を正して片手を差し出す。
「……まだ胸元が肌蹴たままです……」
「ああ……悪かった。直そう」
ジャスティーナが彼女自身の手で目元を拭いながら、ノヴァリーの胸元をちらちらと見てきた。そこまで気になるというなら、直すことも吝かではない。
彼女に見えるように襟元を正して様子を窺う。
「……わがままで申し訳ありません。でも、どうしても嫌だったのです。わたくし傷付いたのですよ? もっと大切にしてくださいませ」
少し頬を膨らませながら、上目遣いで睨まれ、心臓が高鳴る。
ジャスティーナの方から腕を絡ませてきて、ノヴァリーの腕の中に身を委ねてきた彼女に、なぜだか負けた気分になった。
「妻の些細な願いを許容できないほど、俺は狭量じゃない。いや、狭量だったか。傷付けて済まなかった。大切にするから、機嫌を直してくれ」
ジャスティーナを腕に閉じ込めたまま、片手で彼女の長い金髪に触れる。くすぐったそうに目を細めて、ジャスティーナは柔らかな笑い声を小さく発した。
「もう怒っていません。ノヴァリー様、早くしないと夜が明けてしまいますよ」
ジャスティーナは悪戯げに目を閃かせて、大胆に誘いかけてきた。
これは、駄目かもしれない。ノヴァリーは築き上げてきた心の壁が崩れかけるのを感じて、戦慄しながらも、悪くないと思ってしまう。
彼女になら、心を許してもいいのではないだろうか。
ジャスティーナの体を搔き抱き、口付けを交わしながらそんなことを考えていた。




