王命による婚姻
一年後。公爵家の執務室で、ノヴァリーは父ロヴァン・アスタレスクと机越しに向かい合って立っていた。
ノヴァリーの外見はこの一年で研ぎ澄まされ、公爵子息として相応しいものに変貌していた。
探索者時代は無造作だった髪型が、きちんと手入れを施された短髪になり、目を覆っていた前髪も書類仕事の邪魔にならないよう後ろに流され、整った容貌が惜しげも無く晒されていた。
ロヴァンの顔を見つめる目は、一年前からこびり付いた陰がますます濃くなり、逆に冷淡な美をその身に纏わせる結果となっていた。
「ノヴァリー。お前に国王陛下からの勅令がある。跪拝して耳を傾けなさい」
「はい」
ノヴァリーは流れる動作で床に片膝をつき、国王陛下の代理であるロヴァンに対して頭を垂れる。
「ノヴァリー・アスタレスク公爵子息へ。そなたにデラルフィス王国ローザンベリー公爵家の嫡女である、ジャスティーナ公爵令嬢との婚姻を命じる」
「謹んで拝命いたします」
国王陛下からの勅令ともなれば、断るすべは無いに等しい。ノヴァリーは深く考えることもせずに、王命を受け入れた。
(隣国の公爵令嬢か。会ったことはないが、従妹だな……ん? 確かご令嬢はデラルフィス王国王太子の婚約者じゃなかったか?)
なんとはなしにロヴァンの言葉を整理して、ノヴァリーはすっと頭を上げる。
「父上。本当に私の婚姻相手はローザンベリー公爵令嬢なのですか」
「ノヴァリー。言わんとしていることは分かる。分かるが、世間で噂されていることの大半は誇張されていると教えたはずだ」
ロヴァンが片手で眉間を揉みながら、ノヴァリーの発言と被せるように諭してくる。
しかもその返答は、質問に対する答えとしては絶妙に外れており、ノヴァリーは片眉を上げてしまう。
(ジャスティーナ嬢が王太子と婚約しているというのは、俺の勘違いだということを言いたいのか……?)
「それは重々承知しておりますが……。では、私が持っていたご令嬢の情報は、間違っていたのだと判断いたします」
「ああ。それでいい。彼女が我が家に到着した折には、できるだけ事務的にはせず仲良く過ごして欲しいと思っているよ。ノヴァリー、お前のためにも」
公爵然とした表情をしていたロヴァンの目が、ふっと柔らかみを帯びた。
公爵と嫡男の立場から、親子の立場に切り替わった合図だ。
「心配しなくても、ジャスティーナ嬢のことを無下にしたりしません。彼女が裏切りさえしなければ、大切にします。王命なんですから」
ノヴァリーは立ち上がり、ロヴァンから少し距離を取った。
「ノヴァ。それが事務的だと言うのが分からないのかい? 自分の心を開かなくては、相手の心も開けないものなんだよ」
「……父上の理想を押し付けないで下さい」
何もかも見透かしていそうなロヴァンの視線。ノヴァリーは気不味くなりながら、視線から逃れるように顔を背けた。
「全く。その頑固な性格は誰に似たんだい? そうだ、このまま一緒に外食にでも行こう。独り立ちした料理番が開いた店があるんだよ。ノヴァも絶対気に入るはずだ」
「さあ。母上ではありませんか? ……元料理番なら、味は保証されてますね。楽しみです」
ロヴァンは声を立てて笑い、ノヴァリーの頭を撫でてきた。
笑いじわが刻まれた目元。公爵としての父は厳しいが、公務以外でのロヴァンはノヴァリーにとって、甘やかしてくれる愛しい親だ。
◆◆◆
婚姻の王命が下されてから、数ヶ月後。ノヴァリーは婚礼衣装に身を包み、教会の祭壇前で花嫁がくるのを待っていた。
ノヴァリーと同じように出入り口を見ている参列者たち。
ジャスティーナは国王陛下の姪である。そのため、彼女の手を引いて入場してくるのも、当然国王陛下だ。
いや、普通ならローザンベリー公爵の役目ではあるが、公爵領からキルシェイン王国までは、それなりの距離がある。おおかた、公務か何かで参列できなかったんだろう。
(それでも、俺だったら娘の門出くらいは、何をおいても祝いに行くが。ジャスティーナ嬢も不憫だな)
参列者の騒めきでノヴァリーは思考の海から現実に戻った。
国王陛下に手を引かれて、会場に姿を見せたのは花嫁衣装に身を包んだ、凛とした立ち姿の女性だった。
その顔はベールで隠されてまだ見えなかったが、流れるような優雅な歩きは、品格と威厳に満ちていた。
(……同情はジャスティーナ嬢に失礼だったか。彼女も真剣にこの婚姻に臨んでくれてるようだ。安心した)
国王陛下が目の前で立ち止まり、ジャスティーナの手をノヴァリーの手に預けてくる。
彼女の手は緊張のせいか冷えきっていて、小刻みに震えていた。
(……無理もない。この国はジャスティーナ嬢にとって異郷の地だ。それでも緊張を微塵も見せずにここまで歩いてきた。尊敬に値するな)
二人で祭壇前に立つ。神父が誓いの言葉を唱えるのを聞いた後、ノヴァリーは口を開いた。
「はい。誓います」
「はい。誓います」
ジャスティーナの声が同時に響く。極力感情を押し殺したような声音だった。
その後二人は結婚誓約書にサインして、お互いに向かい合った。
神父から渡された結婚指輪を手に持ち、ジャスティーナの指に通す。
指輪はノヴァリーが周囲の意見を参考にして用意した物だ。どのくらいの大きさがいいのかは分からなかったから、ノヴァリーが携わったのは宝石の種類と装飾くらいだった。それでも、指輪は彼女の指にぴったりと収まった。指輪の大きさを決めたのは、国王陛下かジャスティーナ付きの侍女かもしれない。
彼女からも指輪を渡され、自身の薬指に収める。
(ぴったりだな。ジャスティーナ嬢は完璧主義なのか。ふらふらと浮かれられるより、断然ましだ。家のこともよく切り盛りしてくれるだろう)
ふっと肩の荷が軽くなった心地がして、ノヴァリーは吐息を漏らした。
自身でも気付かなかったが、この婚姻に緊張と重圧を感じていたのかもしれない。
少しぼんやりとしながら、ジャスティーナのベールを上げる。
薄紫色の目が睨みつけるようにノヴァリーを射抜いてきた。一瞬のことだったが、その眼差しは記憶の中に強烈に焼き付いた。
ジャスティーナの目はすぐに翳りを帯び、瞼の内側へと消える。気圧されていたノヴァリーは気を取り直して、彼女の顎に手を添えた。
何かに耐えるように引き結ばれた唇。戸惑いながら視線を巡らせると、固く閉ざされた瞼が震えていることに気がついた。
幼気な少女に無体を強いているようで気不味くなりながら、ノヴァリーは彼女の唇に軽く口付けを落とした。
参列者たちの祝福が鳴り止まない中、ジャスティーナの顎から手を離す。完璧に整えられているように見えていた金髪。首筋に垂れた一筋の後れ毛を発見して、心臓が少し脈打った気がした。
(当たり前だが、ジャスティーナ嬢も血の通った人間なんだな。大切にしよう)
「ジャスティーナ嬢、アスタレスク家にきてくれたこと感謝している。大切にすると誓おう。これからよろしく頼む」
無機質だった彼女の目に、微かな温もりが灯った。
「……ノヴァリー様。貴方はわたくしのことを……ありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
差し出した腕に乗せられたジャスティーナの手。先程までの冷たさと震えはなくなり、彼女の緊張が解れたのだということが分かった。
ノヴァリーの顔を見上げてくる表情にも、次期公爵夫人として相応しい上品な微笑が刻まれる。
対応が間違っていなかったことに内心安堵のため息をつく。
(父上の心配も杞憂だったじゃないか。妻として大切に扱えば、心がなくても上手くやっていける)
ノヴァリーはジャスティーナの微笑に自身も口元に笑みを刻むことで応じた。
二人の式はさしたる波風も立たず、国王陛下臨席という華々しい場として完璧なものとなった。




