キルシェイン王国、アスタレスク公爵領
デラルフィス王国の小さな村で、消えない心の傷を負わされたノヴァは、隣国のキルシェイン王国、アスタレスク公爵領へと帰ってきていた。
「ノヴァリー! 帰ってきたと思ったら、部屋に引き篭って出てこないらしいじゃない! お父様とお母様が心配していてよ? 何があったのか、お姉様にだけでも教えなさいな!!」
「……姉上。いきなり部屋に入ってくるのはやめてくれ……眩しくて目が痛くなる」
「それは貴方がカーテンを開けていないせいよ! わたくしのせいにしないで頂戴」
ノヴァあらため、ノヴァリー・アスタレスクは寝台の中からでも感じる陽光に、眉をしかめてもぞもぞと起き上がった。
「というか、姉上こそ、商家に嫁いだんじゃなかったのか? なぜここにいるんだ……」
「だーかーら! 貴方が部屋に閉じ篭もりっぱなしで、何度声を掛けても出てこないって、わたくしにお鉢が回ってきたのよ。いい? 貴方のせいで、わたくしは実家に居るの! 本当は早く愛しのマイダーリンの元に帰りたいのよ? はい、分かったら素直に理由を教えなさいな」
姉、オルディーヌ・フルール。フルール商会の会長夫人だ。フルール家がまだ一行商人として各地を巡っていたとき、公爵家を訪問してきた嫡男を気に入り、押しに押して嫡男の心を射止めた、執念深い姉である。
(俺が理由を説明しない限り、姉上はこの部屋を出ていかないだろうな……)
眉間を押さえて深いため息をつく。
「ちょっとノヴァリーったら、凄い隈よ? 本当に何があったの? お母様からは隣国で探索者をしているとしか聞いていなかったけれど……まさか、横暴な貴族に蔑まれたり!? それとも、同じ探索者に何かされたとか?!」
寝台に座っているノヴァリーの前まで歩いてきたオルディーヌが、両手で彼の頬をつまんで顔を覗き込む。彼と同じ群青の目が心配そうに揺れていた。
「姉上、分かったから少し静かにしてくれ……頭に響く」
ノヴァリーは失恋の衝撃……というよりは、結婚まで考えた女性の本性を目の当たりにした、恐怖と混乱で眠りが浅くなっていた。熟睡できていないせいで体はだるいし、頭は重く常に頭痛が彼を苛んでいたのだ。
目線で頬の指を外して欲しいと促し、顔が自由になった後、片手で額を押さえて俯いた。
「……地方貴族の舞踏会で出会った女性を好きになったけど、恋は実らなかった。それだけだよ」
なぜか正直に話したくなかった。
実際には小さな村の祭りで出会った村娘で、手酷く裏切られたのだが。結婚の約束をしていた訳でもないのに、ここまで沈むことになるとは、ノヴァでさえ思っていなかったのだ。全て話してしまえば、未練がましく小さい男だとオルディーヌに知られそうで、言いたくなかったのかもしれない。
「嘘ね。絶対うそ」
「……その根拠は? なぜ断言できるんだ?」
「あのねノヴァリー。貴方が舞踏会嫌いなの、わたくし知っているのよ? 断れない舞踏会にしか参加していないのに、誤魔化せると思っていて? 正直に一から百まで全て吐きなさい。さもないと、貴方宛の舞踏会招待状の全てに、参加の返事を書くわよ!」
「……っ! 分かった。分かったからやめてくれ!」
(嫌な所を突いてくるのが上手すぎる!)
ノヴァリーは乱暴に頭を搔いてから、嫌々口を開いた。
◆◆◆
まるで追体験だ。オルディーヌに根掘り葉掘り、本当に全てを吐かされたノヴァリーは、茫然自失となっていた。
途中から涙まで零れてきて、自身が何をどう話したのか、支離滅裂な内容をそれでもオルディーヌは、ノヴァリーの肩を撫でながら静かに聞いてくれた。
「辛かったわね。家の名を出しても良かったのに、我慢したのね。偉いわ。それでこそ、ノヴァリーの品格が保たれた証拠よ。胸を張りなさい。大丈夫、失恋の痛みは、新しい恋で癒すことができるはずよ」
重苦しく胸に溜まっていた濁りが、涙とオルディーヌの言葉によって洗い流された心地だ。
(少しすっきりした。だが、こんな思いはもう二度としたくない。今誰かと出会いがあったとしても、信じられる気がしない。無理だ)
顔を上げてオルディーヌに向かって首を横に振る。
「……姉上。恋愛はもういい。懲り懲りだ。しばらく誰とも出会いたくない……」
「そう……そうよね。ごめんなさい。貴方の気持ちを考えず性急過ぎたわ。でも、このまま引き篭り続ける訳でもないのでしょう? 貴方は唯一の跡取りなのだし、どうするつもりなの?」
ノヴァリーはすでに二十歳を過ぎていた。オルディーヌの懸念も理解できる。
(家族が恋愛結婚だったからと、夢を見過ぎていた。俺自身を見てくれる人と、やっと出会えたと思ったんだがな……。潮時か)
「一年待ってくれ。その後なら、政略結婚でも何でも受け入れるから。裏切らないでくれるなら、それでいい」
そう言ったノヴァリーの目には、諦念の色が執拗に絡みついていた。
恋愛という心の繋がりを信じていた青年はもういない。信じていた女性に裏切られた事実は、どう転んでも変わらないのだから。そうであれば、心の繋がりではなく家同士の繋がりの方がまだ信じられるというものである。
「政略結婚ねぇ……分かったわ。貴方が言いづらいのならお父様とお母様には、わたくしから説明しておくけれど、どうしたい? あ、説明するとは言っても軽ーく濁して伝えておくから、安心して頂戴」
「いや、自分で伝えるからいい。挨拶もそこそこに引き篭っていたから、そろそろ顔を見せないと。……ありがとう、姉上。助かったよ……」
久しぶりに寝台から抜け出す。部屋の中は寝台にいるよりも余程明るかった。ノヴァリーは目を細めて伸びをした。
(姉上が呼び出されたということは、父上と母上が痺れを切らしたということだろう。デラルフィスの気になる場所、まだ報告できてない場所もある……)
「水臭いことを言わなくてもいいのよ? 貴方はマイダーリンの次に愛するわたくしの弟なんですもの」
オルディーヌがノヴァリーを見上げて、気品ある微笑を浮かべてきた。
愛を勝ち取った姉。翳りのない笑顔を浮かべられるのは、そのお陰なのだろうか。
自身には手の届かないものになってしまったそれが、羨ましくも、眩しく見えてノヴァリーは苦笑した。




