とある子供の話
『薬術の魔女』の次男のお話。
妹と軽く設定していたもののダイジェスト。
とある少年は、本当の両親と兄には見えないらしかった。
気付いたらいない者として扱われていた。
両親と兄がいない時に、見かねた給仕の者がさりげなく残した食べ物をそっと口に入れた。
ある時、見知らぬ男が現れた。
血縁としては『叔父』らしい。
抱き上げ、「もらっていく」と言った。
家は少し小さくなったが、いない者でなくなったらしい。
男はたまにしか戻ってこない。
放浪の医者をしていると言っていた。
ご飯は用意されており、いつでも食べられるようになった。
誰もいない食卓で、ご飯を食べる。
いないのには、慣れている。
×
ある日「一緒に来てくれ」と言われた。
どうでもよかったから手を取った。
初めて列車に乗った。
草の匂いのする街に降りた。『薬猿』の土地だと男は教えてくれた。
しばらく道を歩く。
男はどこか緊張しているらしい。
ぎゅ、と掴む手が震えていた。
それから立ち止まる。
見知らぬお腹の大きな女性と背の高い男性が居た。
×
どうやら、次はこの女性と男性の元で生きるらしい。
何のつもりだろう、と男の顔を見上げた。
「預かってくれ」「このままじゃ育てられない」「要らない訳じゃ無い」「自分の仕事の都合で彼を振り回す訳にはいかない」「お願いだ。自分の分まで、彼を愛してやってくれ」
すごく、泣いていた。
なんだか、胸が痛かった。
×
女性に手を繋いでもらった。
不思議な感じがした。
「ほら、きみは反対の方」
と言われて、男性は
「私は荷物を抱えて居ります故、また今度で」
と断ろうとしていた。
「空間魔術で仕舞ってよ」
「……致し方無し。逃げられるかと思いますが」
「そんなことないよ、きみは『出来る人』だもんね?」
「…………煽りよるな、小娘」
女性の言葉に、仕方なさそうに荷物を消した。魔術式だろうけれど、術式がわからなかった。
それに呆けている内に、男性がもう片方の手を掴んだ。
……嫌ならしなければいいのに。
そう思っていたら、「別に嫌がってるんじゃないんだよ」と女性が小さく笑った。
「きみを、びっくりさせたくなかったんだよ。魔力が多い人だから」
×
また列車に乗った。
質が良く広いものだった。
男性の高身と女性のお腹を見れば相応の対応かと思考する。
叔父と初めて乗った少し古い寝台列車の記憶は掠れなさそうだった。
それに、少しだけ安心した。
景色がゆっくり変わっていく。
×
王都に着いた。
初めに住んでいた場所に戻って来たらしい。
ほんの少しだけ、初めの家のことを思い出す。
「何かお土産買う?」
「薬猿の土産を散々買ったでしょうに」
女性の提案を男性が却下していた。
女性の方はずっとにこにこと楽しそうに笑みを浮かべていた。
男性の方はずっと表情が変わらず険しい表情をしているように見えた。
自身を産んだ人と怒鳴る人の事を思い出す。
「どうしたの? 気分悪い?」
「屋敷に着き次第、休ませましょうか」
心配そうな声と冷ややかな声がした。
見上げたその顔は、怖い顔じゃなかった。
×
屋敷に着いた。
すごく魔力の気配がした。
たくさんの魔術式で家を護っているように感じた。
物怖じしていると
「ここが、わたし達のお家だよー」
と女性が手を引っ張って行く。
「小娘、急に走らないで下さいまし。子供が裂けるでしょう」
呆れながら、男性が少し歩く速度を早めた。
玄関の扉を、二人の息子らしき子供が開ける。
一目で、二人の子なのだと分かった。
すごく、二人に似ていたから。
その奥に二人、娘の姿が見えた。
こうして、家族として迎え入れられた。
戸籍上、息子になったらしい。
×
女性と男性、その息子と二人の娘。
それ以外に人の気配はほとんど無かった。
聞くと、人間はほとんど雇っていないらしい。
息子と娘二人にそれぞれお世話係がいて、他の雑用は人じゃないもの、式神やゴーレムで行なっていると、言われた。
人じゃないなら、仕事以外の事はしないのだろうか。
訊いたら、「人のお手伝いさんは仕事以外に何かするの?」と不思議がられた。
返答に困った。
お世話係の人は、夕方になると帰ってしまう。住み込みじゃないのか、と不思議に思った。
「ここが、きみの部屋ね」
広くてベッドと明かり以外、何もない部屋を充てがわれた。
「必要な物が有れば言いなさい。家具でも人手でも。用意致しますので」
よくわからず、ただ頷いた。
数日後、「何も言わぬとは逆に困ります」と、男性が机と椅子、本棚等を用意してくれた。
「きっと照れ屋さんなんだねー」と、女性が服を数着用意してくれる。
「ありがとう、ございます」
ようやく、言葉が口から出た。
×
それから、女性は臨月を迎える。
病院ではなく、森の中に行った。
意味がわからなかった。
森の中は奇跡に溢れた、怖い所だった。
そこで出会った黒い人と白い人は、本能的に『逆らってはいけない存在』だと感じた。でも、みんなは怯えていなかった。
男性が「怖がり過ぎてはいけません。面白がられて玩具にされますよ」と、そっと囁いた。
男性は目を付けられないよう気をつけているらしい。
女性と子供達は、ただ普通に怯えていないらしい。
そして、弟ができた。
×
家族と過ごした日々は楽しかった。
養父母も兄姉達も、変な人だったけれど。
将来についてはもう決めていた。
軍学校に入ると。
養母と姉達は渋った。
兄と養父は肯定してくれた。
弟はわかっていなさそうだった。
×
軍学校での生活は、一言で言えば面倒だった。
ただ友人が一人できた事ぐらいしか、いい事は無かったように思う。
友人は死犬領主代行をしていると言った。
嘘だろと思ったが、本当に、死犬当主の一人息子だった。
彼はかなりお人好しだった。
「騙されているとは思わないのか?」
そう問うたら
「勿論、私も人を見る目くらいはあります。それを訊いてくれる時点でもう、君は良い人です。変わらず、友人でいましょうね」
なんて、恥ずかしい台詞を真顔で返された。
×
軍学校に入ってしばらくしたある日。
「調子に乗ってんじゃねーよ下級生の分際で!」
と、手袋を顔に叩きつけられる。
自分は、顔が良いらしい。それで、女性やら色々な人に良くしてもらっていた。
それが、気に入らなかったらしい。
「……」
表情は変えず、手袋を拾い上げた。
確か、手袋を顔に叩きつけられた場合は同じことをやり返してよかったはず。だから。
その手袋を、相手の顔に叩きつける。
相手は殴られたように後ろに倒れ込んだ。
ゆっくりと側まで近付いて屈んで顔を覗き込み、
「じゃあ、いつやりましょうか?」
と呆然としている相手を笑顔のまま見る。
「僕はいつでも構わないですよ?」
相手は平衡感覚をやられたらしく、うまく立てないようだった。
「医療機関へ連れていきますよ」
一言告げ、相手を担ぎ上げて運ぶ。
「で、いつ決闘しますか?」
よほどさっきの攻撃が効いたのか、相手は失神したようだ。
「何したの?」
養い親でもある薬術師は困惑した様子で問いかけた。
「決闘の申し出を受け入れただけです」
「手袋を顔に叩きつけられたので」
「従来の決闘法に従って、投げ付けられた手袋で同じことをしただけですよ」
「雪辱を果たした、ということです」
「これでも十分に手加減したんですが」
「鼓膜を破らないでおいただけ、マシでしょう?」
答えると、驚いた様子で目を瞬かせた。
「良いかい」
少し考えた後、養い親の薬術師は言い聞かせる。
「これからは、もし決闘を受けるようなことがあっても相手に手袋をぶつけてはいけないよ」
「今回のことの関しては君だけが悪いとは言わないよ。最初に手を出した方も悪いと私は思う」
「きみの行動で、大変なことが起こったんだよね」
「決闘のルール変更の法律ができたってこと。『手袋を顔にぶつけてはいけない』っていう法律が」
「ボコボコにするなら、ルールの範囲内でするのが賢い方法だからね?」
「あとは、ルールから外れてるって言われない方法を取るんだよ?」
「あの人もそう言ってたよ」
完全な味方、ではなかったけれど、反省文を書くだけで済むよう手配してくれた。
きっとあの人は遠回しに褒めるだろうなと思いつつ、反省文の紙を受け取った。
×
軍学校を主席で卒業し、軍人になった。
その最中で、いつのまにか両親が別居していた。
理由は「価値観の相違」だと養母は答え、養父は「私の見込みが甘かった。小娘の我慢の弱さを忘れていた」と青白い顔で答える。
……どちらが悪いのか、予想が付いた。
それはともかく。
軍人になって業務をこなすうち、気付けば魔獣殲滅の団長を賜ることになった。
そして、運命に出会った。
恥ずかしい言い回しだけれど、本当にそう思ってしまった。
団の長を賜ることになったそれは、上官からの推薦と実力だという。
ともかく。若いからか、補佐官が付くことになった。
「はじめまして。よろしくお願いします、団長さん」
そう、綺麗な所作で敬礼をした彼。
不思議と目が離せなかった。
「ああ、初めまして。よろしく頼むよ」
受けた衝撃を見ないふりをして、自分より若く見える彼が一体何をしてくれるだろうかと思考する。
×
試しに、花を贈った。
だが、これは盗聴用の品物だ。
自分は知っていた。補佐官はただの軍人じゃない事を。
彼は監視員だ。
実際、彼が補佐官に着任する前から何名もの補佐官が送られていた。
今までの補佐官達は全員、早い段階で懐柔して自身の手駒にしていた。
確か、彼が最後の補佐官になるはずだ。
今居る者の中で一番優秀な監視員。
そう、すでに情報は得ている。
相手は監視員なので、彼の情報を知ろうと思っていた。
変な独り言と睡眠時間がやけに長いこと、ポトフばかり作る事、朝体操をする事、それくらいしか情報がなかった。
夜中に日記を書いているらしいが、筆記音を聞く限りは報告書というより本当に日記のようだった。
週一で報告書を送っているのは確かか。
×
彼は中々に表情を変えない。
だが、彼は屈託なく笑う。
何やら打算は無いらしい。
気付けば、惹かれていた。
いや、相手は男だろう。
確かに最近は同性での婚約は珍しくは無い。
だが、何かが違う気がしていた。
懐柔するつもりが、いつの間にやらこちらが絆されていた。
それだけは、解っていた。
×
補佐官はいなくなるらしい。
少し前に知った。
理由は、自身が悪事を起こさないと認められたから。
彼に気を取られている内に、いつの間にやら危険視されなくなっていた。
「では、さようなら。団長さん」
最後の日、彼はいつものように素っ気なく挨拶をした。
明日も会えるかのような、軽やかさで。
「ああ、さようなら。元気で」
今更思い知った。
これが、初恋だったらしいと。
×
満たされない日々を過ごす。
いつの間にやら殲滅の団は規模が大きくなり、隊長へと昇格していた。
それでは満たされない。
自身の穴は名声欲じゃないらしい。
満たされたくて、色々と手を出してみた。
けれど、意味はなかった。
穴が歪に拡がるばかりで、戻し方が分からなくなっていく。
家族に話せる訳がない。
こんな、馬鹿みたいな話を。
でもきっと、噂話のせいで家族は知っているのだろう。
自分の惨状を。
それでも何も言わないのは、優しさなのだろうか。
どうしたら良いのか判らなくなる。
こうしていれば、いつかまたあの補佐官が就くのではないかと思っていた。
馬鹿らしいと思った。
×
それから。
自身の想いが届いたのか、再び、あの補佐官が就いた。
別れから、2年の時が過ぎていた。
「お久しぶりです。隊長さん」
「久しぶりだね。……背丈と髪が伸びたかな」
それ以外は、全く、何も変わっていないように見えた。
×
とあるパーティの日、魔力の発作が起こった。
苦手な女が居たからだ。
あのキツい化粧と香水の臭いが、嫌な記憶を呼び起こす。
自分が女嫌いになったのも、この女のせいだったか。
自身の異常を補佐官は素早く察知し、自然に引き剥がしてくれた。
それから、人気のない裏の庭まで連れて行ってくれた。
そして吐いた。
道中は我慢できたが、一度出ると止まらなかった。
魔力も嘔吐に誘発されてかたくさん溢した。
魔力を漏らすなんて、みっともない。
「すみません、少し離れますね」
なんて言って、補佐官はいなくなった。
急に一人にされて、心細さに襲われる。
ああ、みっともない姿を見たくなくて去ったのだろうか。
幻滅しただろう。
そんなつもりはなかったが、生理的なものとは別に涙が出てしまった。
これではただの子供みたいだ、落ち着け。
そう言い聞かせても、身体が言う事を聞かない。
誰かに見つかる前に逃げなければ。
そう考えた矢先、
「すみません。拭くものと水を探してました。不安にさせてしまいましたね」
そう、補佐官が背中に触れた。
補佐官は、自分の情けない姿を見ても、幻滅せずに真っ直ぐ見てくれた。
それどころか、自分のために行動してくれた。
それが、とても嬉しかった。
より、惹かれてしまった。
×
ある時、訓練中に熱中症らしき症状で補佐官が倒れた。
軍服は黒いし、分厚いから仕方のない話だと思う。
部下には訓練を続けさせたまま、補佐官を担いで自身の執務室に運んだ。
空調が効いていて涼しいからだ。
「待ってください、隊長さん」
「一刻も争う危険な状態なのに、何を言い出すんだ?」
制止する補佐官を無視して服を緩めると、キツく締めた布が見えた。
何か嫌な予感がしたが、その布を緩める。
女性だったらしい。
申し訳ない勘違いをしていた。
×
思えば、彼女は自身の性別を男だと主張した事は一度もなかった。
自身の抱いていた違和感に納得が行く。
きっと、そう思われるような言動と女性らしさを極限まで殺した言動のおかげだろう。
流石、監視員の優秀者だと思った。
だが、これで懸念や躊躇が無くなった。
そして、彼女は自身が気付いていないだけで相当モテる側だとも気付いた。
見目が良く、性格も真っ直ぐで親切。
やや天然なところもあるが『そんなところが可愛らしい』と評判らしい。
寧ろ、嫌われる要素が無い。
これはまずい、と直感する。
一度失ったあの辛さは二度と味わいたくないと思った。
だから、彼女を絶対に手に入れる。
そう、決めた。
決めてからは、行動が早かったように思う。
さりげないアプローチを重ねて、ようやく恋人となった。
今度の夏に式を挙げる事も決まった。
そして実は、盗聴には気付いていたらしい。
分かってて盗聴させていたのだと。
やはり変わった子だ。
×
結婚するにあたり、監視員の所へ行く。
そして、監視員長に許可をもらった。
「わざわざ許可をもらいに来るか」
と、監視員長は呆れていたが、感心もしていた。
×
それから、五年も仲違いをしていた両親が、ようやく仲直りをする。
「結婚のお祝いとしてあげたい薬のおかげでなんとか仲直り出来た」と養母は主張していた。
それは良かったと言うべきなのだろうか。
ともかく、養父が狂う前で良かったと思う事にする。
それから結婚式を挙げた。
結婚してからは。順調に生きていたと思う。
×
それから。
世界は混乱に陥った。
『精霊の偽王国』と名乗る集団のおかげで。
魔獣が凶暴化し、自身の隊の仕事が山積みになった。
それらを上手く対処して、自分が居なくとも上手く回るように部隊を強化していった。
自身がいつ死ぬかも判らぬ酷い世界になったからだ。
養母は何故か初等部生ほどにまで縮み、記憶を一部失っていた。
魔獣もそうだが、これも自身にとっては悩みの種だった。
そんなある日。
行方不明だった養父から連絡が入った。
『私の手伝いをお願いしても宜しいですか』と。