吐血
次の日、心奏は自分の部屋で台本を読み返していた。
朝陽が差し込む静かな部屋の中で、心奏の声と机に爪の当たる音だけが響いている。
「僕らとの約束ですよ…」
その台詞を口にしたときだった。
「ゲホッ…!」
口から血が溢れ、咄嗟に口を両手で覆う。
幸いと言うべきか、手で受け止めることが出来たおかげで机や服には付いていない。
「く…そ……」
そう呟いた心奏は近くにあったティッシュペーパーを取り、手にべっとりと付いた血を拭き取った。
そのままゆっくり立ち上がると、ティッシュペーパーをゴミ箱に捨て、窓際にある勉強机へと歩み寄る。
そして、勉強机の上にあったとある写真を手に取ると、苦虫を噛み潰したように眉をひそめた。
「まだ…僕は……」
午後になり、心奏達三人は広場に練習をしに来ていた。
その日は日射しも強くなく、むしろ涼しいような気温だった。
台詞や動きの確認、ロボット達への細かな動きの指示、手の先から足の先まで神経を巡らせる。
完璧――まさにその言葉が相応しいものだろう。
だが心奏の体調は芳しくなく、少し動きの確認をしただけで咳込み、身体が思うように動かなくなった。
「心奏、具合でも悪いの?」
響彩がベンチに座り込む心奏の顔を覗き込む。
「少し、ね……」
心奏が俯いたまま答えると、羽音が二人の方へ駆け寄ってきた。
「おい。大丈夫かよ?」
羽音が心奏の前にしゃがみ込み目線を合わせた。
その間、響彩が心奏の背中を撫でながら様子を伺っている。
「大…丈夫……じゃないかも…」
「なら、今日はここまでにしようぜ。無理する必要は無ぇよ」
羽音が目線だけを響彩に向ける。
「そうね。そんなに急ぐ必要もないわ」
響彩が荷物をまとめようとベンチを立ち上がった時、心奏が身体を震わせ咳込んだ。
その手には、手を紅く染めるほどの血が付いていた。
「「心奏!」」
羽音と響彩が驚いて同時に声をあげるが、心奏だけは驚きもせず血の付いた手を握りしめ眉をひそめている。
「病院、連れてった方がいいんじゃない…?」
響彩がポツリと呟くと、羽音が頷いた。
「あぁ、病院行こうぜ。センセイには後で連絡入れたらいいだろ…」
「嫌だよ!」
先程まで俯き黙っていた心奏が、ふと叫んだ。
「そんな事言ってらんねぇだろ。響彩、荷物は頼んだぞ」
羽音は立ち上がり響彩に目配せすると、心奏の身体を抱き抱えようとした。
「嫌だ!」
心奏は羽音の手を払いベンチから離れる。
羽音が「おい」と心奏の方に手を伸ばすが、それも払い退けた。
「行きたくないよ!せっかく退院したのに、演劇が出来るのに、病院になんて戻りたくない!」
目をギュッと瞑りながら心奏は叫ぶと、溢れる涙を拭って病院とは逆方向へ走り出した。
「ちょ、おい!心奏!」
羽音は慌てて心奏に手を伸ばすが、その手は空を掴んだだけだった。
そして、あっという間に心奏が見えなくなった。
羽音が追いかけようと、心奏が消えた方向に足を進めた時、響彩が羽音の肩を持ち動きを制止した。
「待って。今はまだ追いかける時じゃないわ」
響彩の言葉の意図が分からず、羽音は眉間にしわを寄せる。
「大丈夫。心奏の行き先には心当たりがあるの。とりあえずこの荷物を安全な場所に移しましょ」
響彩の真剣な眼差しに羽音も渋々頷き、響彩に従うのだった。