自分の好きな事
――その日の夜。
暗い部屋にドンッという衝撃音が響く。
「なんでだよ…」
羽音は机に手を叩きつけると呟いた。
「なんで…なんでなんだよ……クソッ…!」
羽音が苦虫を噛み潰したような表情で机と向き合っていると、部屋の扉がコンコンとノックされた。
「誰だ?」
「大丈夫?もうずっと部屋に篭もってるから、息抜きをと思って羽音が気になってたお煎餅持って来たんだけど…」
茜音の心配そうな声に羽音はふぅと深呼吸をすると、耳からイヤホンを抜き取り扉に向かって歩き出した。
扉を開けると茜音が心配そうな顔で羽音を見上げており、手には煎餅と湯気が立っているお茶を盆に入れ持っていた。
「おう、ありがとな…」
羽音はその盆を受け取るとそう言った。
そして「もしかして、聞こえてたか?」と茜音に問いかけると、茜音は何も言わずコクンとだけ頷いた。
「……姉貴、悪いな。気ぃ使わせちまって」
羽音が頭を掻きながらそう言うと、茜音は首をブンブンと横に振った。
「気なんて使ってないよ!羽音が必死に頑張ってるの、アタシは知ってるから。…アタシ、実はね。担任の先生に美術の大学に行ったら?って言われてるの。アタシに才能があるらしくって……だから今のまま音楽やるか、美術に進むのか迷っちゃって」
茜音は震えた声で一つ一つ言葉を紡いでいく。
そして羽音が盆を持っている手と反対の手をギュッと握り続けた。
「でも!羽音はこうやって好きな事見つけて、苦手な事も好きな事のために克服しようとしてる。だから…だから応援したくって……ね」
茜音がそう言い終わると、羽音は盆をすぐ側にあった棚に置き茜音の背中をさすった。
「それってさ、家の事気にしてるから悩んでんだろ?オレは演劇が好きだからこうやって反対してくる親父に反抗してるし、周りが何と言おうと無視してる。姉貴も自由に考えたらいいんじゃねぇか?」
羽音の言葉に、茜音は自分の瞳から涙が出ている事に気づいたようで目を丸くした。
「えっ、なんで…」
茜音が涙を急いで手で拭き取ろうとすると、羽音がそれを阻止した。
「ちょっと、何やってんのよ!」
茜音が叫ぶと、羽音は「ちょっと待てって」と自身の机まで茜音を連れて行き、机の上にあったティッシュペーパーを差し出した。
「えっ?」
「響彩が言ってたんだよ。目を擦るのは良くねぇって」
羽音はそう言うと「ん」とティッシュペーパーを茜音に再度差し出した。
「あ、ありがとう…」
茜音がお礼を言うと羽音は「おう」とだけ返事をし「とにかく」と続けた。
「姉貴がやりてぇならオレは応援する。姉貴は今まで親父に従順だったから、どうしたら良いのか分かんねぇのかもしれねぇけど、姉貴の好きな事を思いっきりやりゃいいんだよ。な?」
ティッシュペーパーで涙を拭く茜音に羽音が声をかける。
「弟にそんな事言われて、慰められるなんて癪だけどありがとう。考えてみるわ」
茜音が笑ってそう答えると羽音は何も言わずコクンとだけ頷いた。
「じゃ、アタシはもう寝るから。羽音も早めに休みなさいよ」
茜音がそう言いながら扉の方に向かって歩いて行くと「おやすみ」とドアノブに手をかけたまま声をかける。
「おう」
羽音がそう口にすると、茜音は羽音の部屋の扉を閉めた。
「あいつ、いつの間に成長したのよ。はぁ……悩んでたの、バカみたい」
茜音は自身の部屋に入るとバタンと扉を閉めて、その場に座り込むと呟いた。
呟いた声は夜の闇へと消えていくのだった。




