プロローグ
生まれつき、僕は奇病を患っていた。
病室で入院や治療、検査をしても病気が完治する事はなかった。
変わり映えのない毎日が嫌で、僕は本や音楽の世界に逃げていた。
小さかった僕には、どうする事も出来なかったんだ。
そんなとき、父さんと母さんが僕を演劇に連れて行ってくれた。
その日は、かけがえのない日になったんだ。
舞台上では代わる代わる役者たちが一喜一憂している。
その中でも一際異彩を放ちながら舞台に立つ一人の笑顔の青年に、客席にちょこんと座った少年は目を奪われていた。
「あの人、ずっと笑顔だ……」
少年——神々心奏は舞台上の隅で笑っている役者に釘付けになっていた。
「母さん、あの人はなんて役をやっているの?」
宝石のようにキラキラした瞳が舞台上から、隣に座る女性へと視線を移す。
「彼は道化師といってピエロみたいに皆を笑わせる役をやっているのよ」
その言葉に心奏はさらに瞳を大きくすると、また舞台上に釘付けになった。
小さな背を目一杯伸ばして、その大きな瞳に舞台の全てを記録させるように。
「僕もいつか、あの人みたいに皆を笑わせられるような人になれるかな?」
感情を昂ぶらせて大きな瞳をより一層大きく見開きながらも、力なく笑う姿はどこか、道化師を羨ましく思っているようだった。
その重苦しい空気を払うように心奏の頭にぽんっと手が置かれた。
「きっと、あなたにもなれる日がくるわ。今は急がなくてもいいの」
——ゆっくり、ゆっくり自分のペースでなりたい自分になれれば……
数年後の雨の日。
耳を掠める雨の音。
静かな病室の一室で心奏は目を覚ました。
一人部屋であるその病室は恐ろしいほどに静かで、ただ降りしきる雨の音がこだましている。
目を開けて最初に飛び込んで来たのは、見慣れたコンクリートの壁と光の灯っていない蛍光灯、そして外の光で雨が映し出されたカーテンだった。
深く呼吸をしながら身体を起こした心奏は僅かに痛みを感じ、自身の腕に目線を移した。
不健康そうなほど白く、今にも折れそうな腕に点滴のチューブと注射の跡。
心奏はそのまま癖で胸に手を当て目を瞑る。
『ドクンッ……ドクンッ』
動いている。いつもと変わらず。
そして心奏は目を開いた。
何もないのに、何も掴めやしないのに手をまっすぐに伸ばしてみる。
ピーコックグリーンの瞳がその手を映すまでにそう時間はかからなかった。
――ピピピ――
ふと枕元にあるスマホが鳴った。
電話だ。
心奏は驚く様子もなく、スマホを手に取り通話ボタンを押した。
「もしもし…」
『もしもし。心奏?』
声の主は幼馴染の一人である天野響彩だった。
「うん、そうだよ。どうしたの?」
『今日、そっちにお見舞い行こうと思ってるんだけど……どう?』
どう?は、いわゆる予定がないかの確認だ。それくらいは心奏にも理解が出来た。
「今日は特に何もないよ。でも雨降ってるから、気をつけてね」
『分かった。羽音と二人で行くつもりだから……じゃあ、また後でね』
その言葉を最後に通話が終了した。
羽音というのはもう一人の幼馴染である草柳羽音の事だ。
三人は昔から仲が良く、集まって遊ぶ事もしばしばあった。
「二人が来るのは久しぶりだなぁ…」
セミが鳴き始める季節。
学校では現在、期末テストが終わった頃だ。
二人も例外ではなく、最近は忙しそうにしており、連絡もあまり取れていない状態であった。
心奏は久しぶりに会う二人の顔を思い浮かべては胸を高鳴らせて、降りやまない雨をぼんやりと眺めるのだった。