表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/27

4-01 ヒトゴロシンガー

 島田蒼太しまだそうたは高校二年生。友だちがいなくて一人ぼっち。正体不明の歌姫Mエムを崇拝し、一日中、曲をリピートしている。しかしMはもう一年も活動を休止中のため、病気だとか死んだとか噂されていた。

 ある夜、蒼太は殺人現場を目撃する。ナイフで男性を刺し殺した犯人は、同年代の女の子――あの歌姫Mだった。

 Mは悪びれる様子もなく、人を殺さないと音楽のインスピレーションが湧かないから、仕方がないと言う。

 蒼太は、Mの新曲が聴きたいという一心で、Mの犯行を通報しないことに決めたが……。


 歌う殺人鬼の少女と、歪んだ少年の、後ろ暗い青春の物語。 

 僕が最初の殺人を目撃したのは、高校二年にあがったばかりの春。真夜中のことだった。

 その日は一日中曇りで、夕方から小雨が降っていた。

 眠れない僕は何か飲みたくなって、コンビニへ行くことにした。ジャージ姿で、財布とスマホだけポケットに入れて、頭にヘッドフォンを付けて、家を抜け出した。

 雨は傘が必要なほどではなかったが、ヘッドフォンが濡れないように、上からフードを被って歩いた。

 ヘッドフォンの中で、僕の崇拝する神がかった歌姫――Mエムが、泣き叫ぶようなハイトーンで歌っている。Mはネット上で顔を伏せて活動している謎の多い歌姫で、まだ僕と同じ十代。もう一年ほど新曲も新規投稿もないし、SNSも更新されないので、病気だとか死んだとか言う人もいる。僕は毎日24時間、同じ再生リストを延々と回して聴きながら、Mの活動再開を待っている。とっくに全曲の歌詞を暗記したし、彼女の歌っている姿が目蓋の裏側に思い描ける。

 最寄りのコンビニまでは十分程度。500mlのコーラを無人のレジで買って、ポケットに差して、同じ道を戻っていく。酔っ払いのグループが道に広がって歩くのが見え、そのノイズに邪魔されたくなかったから、一本道をそれた。たったそれだけのことだけど、僕が『彼女』に出会ったのは、そんな小さな偶然の結果だ。

 廃業した飲食店の看板、回収待ちのゴミ袋、染みついた嫌な匂い。路地を進み、角を曲がったところで、異様な光景を目撃した。何かにまたがって、左手を振り上げ、下ろし、また振り上げては下ろす人物。フードに隠れて人相は分からないが、その手に握られていたものは、鈍く光を放つナイフで、しかも赤黒く染まっている。

 僕は思考停止して、その場で固まった。やばい。なんだこれ。やばいやばいやばい。脚から力が抜けて、すとんと腰が落ちる。コーラのボトルがポケットから飛び出して、濡れた地面を転がった。

 ナイフを持った人物が、僕のほうを向いた。と、同時に、被っていたフードがずれて、はらりと髪が舞った。

 脱色され、くすんだ金髪。切り揃えられた前髪。ナイフみたいに嗜虐的な目と、泣きぼくろ。短いスカートから伸びる脚、太ももに巻かれた包帯。僕と同年代の女の子。彼女はなぜか笑っていた。チャラいけど美人。目が合った瞬間、全身の毛が逆立って、味わったことのない種類の震えが僕の全細胞を襲った。恐怖? いや、それだけじゃない。知らない女の子のはずなのに、僕は彼女を知っていると思った。友達なんて一人もいないけど、どこかで会ったことがあるような気がしたのだ。

 彼女がまたがっているのは、スーツ姿の白髪交じりの男性だった。ぴくりとも動かず、濡れた地面に横たわっている。水たまりに血がにじんでいる。

 そ、そうだ、警察だ!

 間抜けな僕は逃げるよりも通報することを考えた。尻餅を突いたままポケットからスマホを出したけど、手が震えて落としてしまう。そうこうしているうちに、ナイフを持った少女が立ちあがる。やばい。早く早く早く! 僕は邪魔なヘッドフォンのケーブルを乱暴に引き抜く。すると、再生中のMの歌声が響き渡り、驚いてまたスマホを落とした。

 もうダメだ。終わった。

 僕も殺されるのか? どこか間の抜けたMの歌声を聴きながら、そんなことを考えた。

「それ、あたしの」

 殺伐とした状況にもかかわらず、彼女の涼やかな声は、早朝の空気のように澄んでいて、綺麗だなと思った。

 いや、それよりも、今、彼女はなんと言ったか?

 まさか、そんなことが、あるだろうか。

 でも、今の声はなんとなくMに似ている。そういえば、Mの一人称も「あたし」だったっけ。

 嘘だろ……!?

 でも、Mの歌を世界中で一番たくさん聴いた自信のある僕がそう思ったんだから、違うわけがない。

 確信した瞬間、ゾッとするような衝撃に身震いした。体中から得体の知れない成分が分泌されて、血管の中を駆け巡った。怖いとか嬉しいとか、そういうありきたりな感情とは別の次元にある、世界がひっくり返ったと思うほどのショック。

Mエム?」

 僕を見下ろす殺人鬼の少女は、わずかに目を見開いただけで、YESともNOとも言わなかった。たとえ返答がどちらであっても、僕の結論はもう変わらないが。

「し、新曲は? どうして歌わないの? もう一年も待ってるのに。なんで、こんなところで人殺してんの? 暇なの? なんで? SNSの更新は? もっと歌ってほしいのに」

 もしいつか彼女に会えたら「会えて嬉しいです」とか、「応援してます」とか言って握手してもらってサインも書いてもらってツーショットの写真も撮らせてもらえれば最高だなんて思っていたけれど、いざ本物のMを目の前にしたら、出てきたのは恨み言だけ。だけど僕にとっては切実なのだ。Mは音楽をやめてしまったのかと思っていた。最悪、もう一生、Mの新曲やトークを聴けないかもしれないと思うと、生きるのが苦しかった。

 だけど、Mはちゃんと生きていた。人殺しになってしまったけど。

「はぁ? あんただれ」

 不愉快そうなMの鋭い睨み。聞く者をイラッとさせる独特なトーンの『はぁ?』を聞いた瞬間、確信は300%になっていた。

「僕の名前は島田蒼太しまだそうた。漢字はよくある普通の『しまだ』。『そうた』は草冠にくらのアオに、太い。飯田川高校の二年三組で、家はこの近く。君の配信はほとんどリアルタイムで見たし、お布施も毎回投げてる。アカウントはBLUE ISLANDっていう名前でめっちゃコメントしてるから見たことあるんじゃないかと思う。一番好きな曲は『みんな病気でみんないい』で、特にサビの歌詞が最高に好き。天才だよ」

「そこまで聞いてないんだけど。何?」

 イラッとした様子のM。

 つい喋りすぎた。というか、殺人鬼に個人情報を教えて大丈夫なのか? でもこの千載一遇のチャンスにあわよくば名前くらい覚えてほしい。ただそれだけ。

「何っていうか、大ファンだよ」

「まあ、あんたがあたしのこと大好きなのは分かった」

「うん。好きだ。めちゃくちゃ好きだ。結婚したいくらい」

 つい人生初の告白をしてしまった! まあいいか、間違ってないし。

「ところでさ、質問」

「何?」

「今後の音楽活動についてなんだけど」

「あ、ちょい待て」

 Mが目を閉じて天を見上げた。

「今、来そう。もう少しで降りてきそう……あー、もうちょい右……違う違う」

「え? あのー」

「あー、いい。それいい」

「今後の音楽活動」

「黙れ邪魔だ島田!」

 いきなり大声を出されてビビッた。

 でもラップみたいに韻を踏んで呼んでくれたことにちょっと感動した。

 Mは頭痛に悩むチンパンジーみたいな動きで、何やら呟き始める。

「そこそこそこそこ。ハイハイハイ。あー、そういうこと? いやー。そうかそうか。ハイハイハイハイ! うわー! もう! それだよ! あー!」

 髪を振り乱して頭をぐるぐる回したり、歯ぎしりしながら壁を叩いたり、かと思えばすごい勢いで何か手帳に書き殴る。悪魔に取り憑かれたみたいに。

 僕は黙って見ていた。

 Mは頼りない灯かりのもと、時にじれったそうに、時に嬉々として何かを書き続ける。

 正直、めちゃくちゃ不気味だった。Mはたぶん病気だ。回れ右して帰ろうかとも思ったけど、今後の活動について聞くまでは帰るわけにもいかない。

 やがてMはパタンと音を立てて手帳を閉じ、こっちを見た。

「で? 何?」

「もう歌わないんですか」

「歌うに決まってんじゃん。あたしの生き甲斐だし」

 決まってるんだ!? よっしゃああ!! Mは活動休止しているだけで音楽をやめたわけじゃない!

 僕は無言でガッツポーズをした。

 が、冷静になり、Mの向こうに倒れている男性、および地面ににじんだ赤黒いシミが目に留まり、喜びが萎えた。

「あの人、殺したの? 死んでるの?」

「決まってんじゃん」

 決まってるんだ!? うわー……。

「なんでそんなことしたの? 正当防衛?」

 そうであってほしい、という願望。Mは美人だしスカートが短いから、変態に襲われたとか。僕が変態だったらたぶん襲う。

「だって、だれか殺さないと湧いてこないんだから。仕方ないじゃん」

「湧いてこないって?」

「インスピレーションとか、イマジネーションとか、イイ感じの歌詞とか。やっぱ殺さなきゃダメだ」

「いや、おかしいって」

「おかしいとか言うなって」

 いや、どう考えてもおかしいだろ。ヒトを殺さないと歌が作れないのかよ。

 こいつ、マジの狂人じゃないか……。

「まあでも、あのおっさん刺したら曲が浮かんだ」

「マジ!? その曲、早く作ってよ! 一年も待ってたんだ! 新曲が出たら★5のレビューするから。友達もフォロワーもいないけど、うざいくらい拡散するから。マジで、Mの新曲が聞けるなら、ここで見たことは誰にも言わないよ」

 あの倒れてるおっさんには申し訳ないけど、僕はMを通報しないことに決めた。

「君、案外いいやつだね」

 予期せずそんなことを言われて、僕は嬉しくなった。

「あたしのファンなんて、ウンコみたいなヤツしかいないと思ってた」

「それ、ひどいって」

「とにかく、いい歌ができそう。じゃね」

「あ、うん。おやすみ」

 Mはフードを目深にかぶり直して去っていく。

 あとに残された遺体と僕とナイフ。夢心地から覚めて、気味が悪くなって、スマホとヘッドフォンを拾うと、小走りで帰った。

 で、うちに着いてから、何しに出かけたんだっけ、と思い返して、コンビニで買ったはずのコーラが、どこにもないことに気付いたんだ。

 あと、サインももらってなかった。僕はなんて間抜けなんだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
  ▼▼▼ 第18回書き出し祭り 第4会場の投票はこちらから ▼▼▼ 
投票は5月13日まで!
表紙絵
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ