補足という名のヤバイ男の独説 前
俺にはとても愛らしい婚約者がいた。その婚約者に引き合わせてくれたことだけが親に感謝できた。
俺の親ははっきり言わなくともバカで屑な者たちだ。甘い汁を求めて引退させられた先王とその娘(公式には孫となっている)に必死に取り入ろうとしている。笑えてくる。取り入るなら今を治めている現国王か、その後継ぎだと分かろうとしない親が。沈むだけの泥船に進んで乗っているのはとても滑稽だった。
先の見えない俺のバカ屑な親たちは大金を狙って怪しげな事業に投資して失敗、収入と支出が逆転しているのに先人たちの遺産を食い潰しながら先王たちにせっせと貢いでいた。没落も間近になっていた。
目の前でまた使用人がバカ屑親に壊されて廃棄処分された。壊して殺すのはとても楽しいのかな? バカ屑たちはいつも楽しそうにしている。
じゃあ、俺ならどう壊してどう殺す? 殺されたと誰かに分かったら面白くないし楽しくない。長く長く苦しませて壊れるギリギリで殺せる方法ってあるかな? 考えるのが楽しい。
じっくり壊し方や殺し方を考えていたら、婚約者が決まったと言われた。引き合わされたのがまだ幼さが残る婚約者だった。
婚約者は国一番の商家の娘だった。
平民と見下す父、嫌悪感露わな母に対しても凛とした姿を崩さないのが印象的だった。
とても淀んだ泥船の中なのに婚約者の側だと爽やかな風を感じた。俺を見てニコっと笑った顔を守りたくなった。その側はもの凄く心地良くて俺は婚約者にすぐに落ちた。
俺は壊し方や殺し方しか知らなかった。屑バカ親はもちろんその交友関係の者たちは手本に出来ないのはこんな俺でも分かっていた。婚約者にどう接したらいいのか分からなかった。だから、仕方なく本に載っている王子や騎士を手本にした。実際にはいないだろうとバカにしていた理想の貴公子を演じたら婚約者は嫌いにならないでくれるかな? 俺を好きになってくれるかな?
婚約者のために優しくなろう。
婚約者のために賢くなろう。
婚約者のために強くなろう。
婚約者のために正しくあろう。
婚約者のために格好良くなろう。
婚約者のために、婚約者のために、婚約者のために………。
婚約者のために完璧になろう。隣でずっと笑っていて欲しいから。
ある日、用事で街に出ていた時、婚約者が騎士と話しているのを見た。若手騎士の中で特に秀でていることが有名で将来近衛隊長になるだろうと噂されている人物だった。
「アーベル様」
婚約者が俺を見つけて名を呼んだ。それは嬉しい。もの凄く嬉しい。だけど、俺以外の男と楽しそうに話しているのは許せなかった。
「キリスタ様、アーベル様です」
「ベル、高位貴族がいらっしゃる時はまずその方にベルが挨拶してからだよ」
騎士ーキリスタが婚約者の愛称を呼ぶのが許せなかった。俺もまだ呼べていないのに。そんな俺を見てキリスタが面白そうな顔をしたのもまた許せなかった。
ぎこちなく俺にカーテシーをしようとする婚約者とキリスタの間に立ち、挑むようにキリスタに自己紹介をする。
「ベ、ベルの婚約者、シルスタ侯爵家のアーベルです」
「テーブラ子爵のキリスタです」
六つ上のキリスタは大人の貫禄があり、俺はまだまだだ。負けているのは分かるけど認めたくない。
「べ、ベル。むやみに男性に声をかけるのは貴族では…」
詰まってしまったけど、キリスタに対抗してベルと呼んでみる。嫉妬深い男と思われたかもしれないけど止められなかった。
貴公子の仮面が完全に外れているのは分かっていた。嫌われたらどうしようと心の中で青くなる。お願い嫌わないで!
「は、は、はい、けど、キリスタ様はラスタお姉様の婚約者です」
真っ赤になっでボソボソと話す婚約者を可愛いと思いながらもえっ? と思った。キリスタには婚約者はいないはずだった。
「ベルはラスタと私の可愛い妹だよ。けど婚約の件は内緒で」
クックックッと面白そうに笑うキリスタは指を口に当てて婚約者に言ってはダメと念を押している。親密な態度にムッとしてしまう。
「では、キリスタ様。お伝えしましたので」
婚約者はまだまだ不格好なカーテシーでキリスタに挨拶をしていた。
「確かに受け取った。ベルと呼ばれて良かったね」
ボンと音がしそうなくらい真っ赤になって婚約者が目を吊り上げてキリスタを睨んでいた。
それって……、じわじわと顔に熱が集まってくるのが分かる。
「キ、キリ、スタ、さま」
「では、アーベル様、ベル、失礼します」
クックックッと笑いながらキリスタはその場を去っていった。なんかレベル差を見せられたようですごく悔しい。けど、目の前の可愛い婚約者の方が大切だ。
「ベル」
「ア、ア、アーベルしゃま」
あっ、可愛い。凄く可愛い。吃って噛んでしまってますます真っ赤になってしまって。このまま連れ帰ってこの腕に閉じ込めてずっとずっと愛でていたい。そうしていい?
「し、し、しつれいしますわ」
パッと走りだそうとする手を捕まえて近くのベンチに座らせる。逃がさないように手をしっかり繋いだ。これも初めてでドキドキしている。
「ベル、ハルタホイ伯爵令嬢ラスタ嬢とどんな繋がりが?」
婚約者は実家の事業を手伝っている。仕事でハルタホイ家に行って、ラスタやキリスタと知り合ったのかも知れない。婚約者は可愛いから妹扱いされるのも納得できる。
「は、再従姉妹なんです。ラスタお姉様は」
小さな声で婚約者は教えてくれた。
ハルタホイ伯爵と父親が従兄弟でハルタホイ家に淑女教育を受けに通っていると。
凄く嬉しかった。侯爵家に嫁ぐからと、俺の妻になるからとハルタホイ家に通い勉強していると聞いて。
そこでやっと気がついた。愛称で呼んでいいかまだ聞いてないことを。
「これからもベルと呼んでいい?」
真っ赤な顔を俯いて隠しながら、婚約者は頷いてくれた。贅沢を言うならその顔を見せて欲しい。俺に愛称を呼ばれて真っ赤になっているなんて可愛すぎた。顔に熱を感じながら幸せをしっかり噛み締めた。
「う、う、うれしいです」
やっぱり連れて帰って閉じ込めたい。誰にも見せたくない。もちろん誰にも渡さない。
五年制の学園に入り、俺は目立たないようにしていた。三学年上に毒女ー先王の娘がいる。
毒女やその取り巻きに目を付けられると面倒なことになるのが分かっていたからだ。目立たないようにしながら、邪魔になりそうな奴らを排除していく。二年後には婚約者がこの学園に入学してくる。少しでも婚約者が平穏な学園生活が送れるように下準備しておくつもりだった。
そんな中、毒女と同じ年のトーナイト王子と会った。護衛としてキリスタを連れていた。トーナイトと俺の目的は同じだった。先王と毒女の力を削ぎ破滅させる。毒女はいずれ俺の婚約者に目をつけ、排除しようとするのが分かっていた。彼女の家も彼女も優秀過ぎて目立つようになってきたからだ。自分より目立つ者を毒女は許さない。
だが、先王と毒女を支えているのは俺の家のように過去の栄光に縋る古参の大貴族が多く、現国王でも中々罰するのが難しい者たちだった。俺の親だけなら簡単に破滅させられるが、先王に群がるバカどもは俺一人じゃあ無理だった。
トーナイトたちの前では貴公子の仮面を取っていた。優しさなんて格好よさなんて見せなくていい。目立たない大人しい子息だと思っていたトーナイトは驚愕していたけど、キリスタはクックックッと笑っただけだった。キリスタには何かと負けてる気がする。悔しいけどすぐに追い抜かしてやる。
そんな中、キリスタが毒女に目をつけられた。いや、今までも何かと理由をつけて毒女が側に置こうとしていたのを国王とトーナイトが阻止していただけだった。だから公にはキリスタは婚約していないことになっていた。婚約者の身の安全のために。
まだ毒女が学園にいる時はマシだった。トーナイトが必死に目を光らせ毒女たちの頭を押さえ込んでいたから。トーナイトと毒女が学園を卒業し、トーナイトの公務が忙しくなると毒女はゆっくりと周囲に毒を撒き散らし出した。
毒女の卒業と入れ替わるように婚約者が学園に入学し、白黒だった俺の学園生活にも鮮やかになった。学園に視察に来たトーナイトは婚約者に対する俺の態度に目を白黒し、キリスタは相変わらず面白そうに笑っていた。目立たないようにしなからも婚約者の前では貴公子を演じた。
その年、俺の一つ下の学年に編入生が入ってきた。毒女が市井で見つけた平民の娘だった。バカな貴族の養女にさせて学園に入学させたらしい。人形のような可愛らしい顔に反して成熟した身体、男どもは挙って見惚れていたが毒女と同じ臭いがしていた。それはやっぱり禍禍しい毒花だった。次々と男を虜にし、毒女に捧げていった。婚約者のために早々に排除したかったが毒女一番のお気に入りらしく手が出せなかった。
俺たちはキリスタの婚約者がラスタだということをひた隠した。俺自身はどうでもいい問題だったが、何か遭ったら婚約者が悲しむからだ。婚約者の悲しむ顔は見たくない。
ラスタが卒業したらすぐにキリスタと婚姻し、辺境に赴任させることが決まっていた。
卒業までもう少しだった。毒花にラスタがキリスタの婚約者であることがバレてしまった。
その時、トーナイトは地方に視察に行っていた。トーナイト専属の近衛騎士となっていたキリスタもそれに同行していた。トーナイトはキリスタを王都に残そうとしたらしいが筆頭の近衛騎士であるキリスタを外すことがどうしても出来なかった。
一介の伯爵令嬢が毒女直々のお茶会を断れるわけもなく、ラスタは郊外にある離宮に向かった。近くに大きな湖があり毒女がよく遊びに行っている場所だった。
泣きじゃくる婚約者をどう慰めていいのか分からなかった。ただ抱き締めて震える背中を撫でてあげることしか出来なかった。
キリスタが俺を訪ねてきた。
「ラスタには言ってありました。穢されても必ず生きて私の元に帰ってきてほしい、と」
用意した酒を飲みながら、キリスタはポツリと言った。
毒女や毒花は気に入った男が言うことを聞かないと婚約者や家族を襲わせると噂が…、先王と俺の親を含めたバカ屑どもが揉み消していただけで襲わせていた。
「それでいいのか?」
「えぇ、生きてさえいてくれたら。生きていたら必ず幸せにしました。まあ、彼女に手を出した奴らは許しませんが」
キリスタが浮かべた笑みにゾクっとした。だが、俺も婚約者が穢されたら同じことをしただろう。そんなことをした者は決して死なせない。死んだ方がと思わせる罰を必ず与えてやる。
「あなたもお気をつけください。ベルと幸せに」
それがキリスタと交わした最後の会話だった。
俺は気を付けていた。だが、毒花に目をつけられてしまった。学園で毒花の毒を受けていない高位令息は俺一人になっていた。
毒花は何故か俺に固執した。毒花の好みではない男を演じても執拗に迫ってきた。そうこうしているうちに婚約者が毒花の標的になってしまった。
俺が学園に通っているうちはまだ良かった。お金のために仕方がないんですねと毒を撒きながら毒花は健気に身を引く女を演じて退いていた。それでもゆっくりと毒花の毒は学園に浸透していく。婚約者はお金で俺を買い縛り付けている、と。俺の婚約者のための貴公子ぶりも婚約者の機嫌をとるために演じているのだと噂された。
俺は学園を卒業したらすぐ彼女を浚って他国に逃げるつもりでいた。卒業に拘ったのは婚約者がとても楽しみにしていてくれたからだ。そして卒業の日が貴公子として婚約者と笑って過ごせた最後の日となってしまった。
俺は失念していた。俺の親がどうしようもないバカで屑であったが、先王と毒女の言いなりだったことを。気を付けていたのに一旦屋敷に戻る馬車の中で薬を盛られ、俺は屋敷に監禁されてしまった。
お読みいただきありがとうございます
補足の補足
毒女が孫となっているのは、毒女が国王の子供たちに叔母と呼ばれるのが年寄りのようで嫌だと言った我が儘からです。不貞の罪を着せられた国王とその一家は先王と毒女に激怒しています。
誤字脱字報告、ありがとうございます