裁判所に行きましょう
もしも……
もし貴方が私を嫌いになられた頃に
もし貴方が私を疎ましくなれた頃に
「ただ今から開廷します」
もしも……
もし貴方に私の悪い所を教えていただけたのなら
もし貴方に直すように言われたのなら
私は貴方の望むようにしたのでしょうか?
いいえ、私は私。変わらなかったでしょう
「これより傷害事件の訴訟を開始します」
主審の裁判官の声が法廷に響きます。とても優しそうな声ですが、厳しい判決を下されると有名な方ですわ。どんな裁判になるのかとても楽しみにしております。
二日前に私宛に裁判所から召喚状が届いていました。召喚の日時のみ記載されており、召喚内容は一切記載されてありませんでしたわ。何用かと思い、弁護士の方と護衛の方たちと一緒に裁判所を訪れました。案内されたのは法廷の被告席。どういうことか確認しましたが、おかしなことに案内していただいた方もご存知ありませんでした。裁判ではっきりさせていただくことにしましょう。
私の真正面、原告側の席には可愛らしい彼女が座っていらっしゃいます。その斜め後ろに貴方が座っていらっしゃいますわ。
彼女が原告、私を訴えた方になるのですね。それにしても彼女の服装は……。この後、何処かの夜会にでも行かれるのでしょうか? とてもお似合いなのかもしれませんが、目に優しくないどぎつい桃色の生地に同色のリボンとレースだらけのドレスは裁判に相応しいと思えませんわ。裁判所の方々も見辛そうにしていますし。そういう服装は灯りが優しい夜会ならぎりぎり許容範囲ですが、こう明るい室内にはとても場違い浮いております。裁判では服装も大切な武器だと聞いておりますのに。
あら、貴方は少し窶れました? 頬が痩けてこの席からでもはっきり分かる隈が出来ています。私にはもう関係ないことですけれど。
「原告、前へ」
もう原告の証言が始まるのですか? 訴状内容も告げられていませんのに。傷害でしたね、私が彼女を害した、ということでよろしいのでしょうか? 三人いらっしゃる裁判官の方がたも首を捻りながら進めていらっしゃいますわ。
「はい! 私はクラシンベールに階段の上から落とされて怪我をしました」
ええっと、皆さん、彼女が証言台に立つ前から顔を背けられましたわ。ええ、少しでも見ると目がチカチカしてきますから、そのお気持ちはよく分かりますわ。貴方がよく心配そうに彼女を見ていられるのがとても不思議です。耐久性がつくものなのでしょうか?
「それはいつのことでしょうか?」
「三日前の町の大広場に繋がる長い階段です。これがその怪我です。以上です」
彼女が包帯が巻かれた左腕を見せました。あの高い石段の上から落ちてそれだけの怪我ですんだのですか? ほとんど奇跡ですわ。元気に動かしていらっしゃいますけれど、痛くはないのでしょうか? けれど、落とされたのですね、突き落とされたではなくて。言い違いでしょうか?
それから三日前と言われましたわね。裁判はこれほど早く開けるものなのでしょうか? 私の訴えは未だ何一つ連絡ありませんのに。可笑し過ぎて笑いそうになりますわ。
彼女は言うだけ言ったと胸を張って原告席に戻って行かれましたが、原告の証言はこのような感じでよろしいのでしょうか? 裁判を見学したことは何度もありますがこのようなやり方は初めてですわ。
「被告、前へ」
お声が疲れたように聞こえたのは気のせいということにいたしましょう。まだ開廷されて数分です。お疲れになられるはずがありませんわ。
「はい」
私の調書も取らずに被告にされたのは不愉快ですので証言台ではっきりさせていただきましょう。
「クラシンベール・エスタと申します。今日はよろしくお願いいたします」
ワンピースのスカートを持って略式のカーテシーをして名乗らせていただきましたわ。弁護士の方から挨拶は丁寧にするように言われております。心証も武器の一つだそうです。
「弁明は」
「その前によろしいでしょうか? 私、何故この裁判に喚ばれたのでしょうか?」
あざとく首をコテンと傾げてみました。本当に分からないのですから。
「裁判所の方から召喚状はいただきました。けれども召喚の内容が記載されておりませんでした」
被告席の後ろに座っていた弁護士の方が裁判所から届いた召喚状を一番端に座っていらっしゃる裁判官の方に渡しましたわ。見ていただくのが一番ですから。
「訴訟を起こされていることも存じておりませんでした。もちろん調書も受けておりません」
裁判官の方々はお集まりになって何やら話していらっしゃいます。
「では、今日のことは何も知らなかった、と」
「はい。ですが、三日前のことは説明できますわ」
弁護士の方が一枚の紙を裁判官に渡しましたわ。
「私の行動記録です。その日は朝五時から馬車に乗り、二つ町向こうのソネタの工場に十時前に着くよう出掛けておりました。この町には翌日の午後に戻りましたわ。犯行は何時に行われたのでしょうか?」
私の証言に原告席が騒がしくなりましたわ。
「ソネタ町には二時間で着くわ。朝五時に出たというのは嘘よ」
そう叫ばれる前に何時に階段から落とされたのか答えていただきたいのですけど。
それから、名前が同じだからといって近くにあるわけではありませんわ。同行したことのある貴方はご存知ですわね。私との思い出は忘れてしまわれました?
「原告、何時だったか覚えていますか?」
「朝よ。明るかったからクラシンベールとはっきり分かったのだから」
あら、何時とははっきりと言えないのですの? 日が昇るのは七時頃ですから五時では明るいと言えませんわね。
「この行動記録によると、被告は早朝五時に出発し七時にソネタ町に着いた。そこで一時間休憩し一時間四十分かけてソネタの工場に向かっている。
ソネタの工場はソネタ町から一時間半から二時間かかる場所にある。証言の整合性は取れている」
裁判官の方の言葉に原告側が賑やかになっておりますわ。朝の五時前で本当にはっきりと私と分かるものなのでしょうか? あの薄暗い中で高い階段の下から上にいる人物を?
「だ、誰かに依頼してやったんだ!」
本当に貴方は変わられましたね。以前なら両方の話をしっかり聞いてから判断されていたのに。とても残念ですわ。
「その方ははっきり私の顔を見たと証言されています。私はあの日の朝は出かける準備で忙しく大広場の階段に行った覚えはありませんわ」
今日は貴方は私の視線から逃げるのですね。前はあれほど憎々しく睨み付けつけていらっしゃったのに。
貴方に睨まれる度に私が悩んでいたのを貴方は知っていらっしゃいました? 何がいけなかったのか悩み抜いて自分が到らないからと思い詰めたこともありましたわ。今はよき勉強になったと思うようにしていますの。
「それを証明できますか?」
「私から説明をよろしいでしょうか?」
弁護士の方が手を上げてくださいましたわ。ここからは専門家にお任せしましょう。
「クラシンベール・エスタ様の弁護士を務めております、ワルサア・ハーミカです。お見知りおきを。
エスタ様は裁判所に二件の訴えを届け出ております。届け出番号めの21ー691ー153、ふの18ー975ー943です」
裁判所の方が慌てて走って出て行かれましたわ。私の届け出を確認されに行かれたのでしょう。弁護士の方が写しを持っていますのに。
「裁判所の規定により、裁判所の許可なく被告側に接触しないこととなっております。エスタ様はそれを厳守されております」
「そんなの偶然会った場合はどうするのよ!」
偶然会った場合は挨拶くらいはいたしますわ。それくらいは許されておりますから。その後はすぐに離れるように決められておりますわ。事故や事件などの不測の事態はまた別になるそうですわ。
「原告、静かに」
裁判官の方は原告側を見ようとしませんわ。目が痛くなりますものね。
「同じく規定に従い、冒険者ギルドから監視役兼護衛の要員を二人雇われております」
重要な裁判ですと、裁判まで身の潔白を証明するため中立の冒険者ギルドから監視役兼護衛を雇うのが普通だそうですわ。私も言い掛りをつけられないようそうさせていただいています。
監視役兼護衛の方がたに席を立って挨拶をしていただきましたわ。少々高くつきましたが、社会的信用がある冒険者の方を手配していただきましたの。ランクが高くても冒険者としての能力だけが高いだけの方では何を言われるのかわかりませんので。
「あの二人は…」
ええ、優秀な方は有名な方が多いのですわ。
「エスタ様の行動記録に間違いはございません。むろん、三日前の早朝は町の大広場には行く時間などありませんでした」
護衛の方の証言で私の行動記録は間違いないことが証明されましたわ。なら、誰が彼女を階段から落としたのでしょう?
「警吏には届けてあるのでしょうか? 警吏の方が私を訪ねていらっしゃったことはありませんが」
階段から落とされたのですから、警吏に届け出をしてありますわよね? 犯罪者は警吏が捕まえるのですから。ですので傷害事件として届けられていたら私の元にいらっしゃるはずですのに。可笑しいですわ。
「犯罪者にするのは可哀想だから警吏には届けてないわ」
「や、優しいだろう。俺たちは」
いえ、優しいとは言えませんわ。裁判を起こした時点で私を犯罪者扱いしていらっしゃいますし。
「診断書を取り寄せて警吏に届け出ることを勧めますわ。私の偽者がいるなら捕まえていただきたいですから」
あら、何を慌てていらっしゃるのかしら? 偽者をどうにかしたいと言うのは奇異なことかしら?
「す、擦り傷だけで大したことがないから、い医者には行ってないから」
この発言には貴方も驚愕されていますわ。貴方だけでも軽傷だと聞いていませんでしたの? あの高い石段から落ちて軽傷って余程受け身が上手なのですね。
「それでも怪我は怪我です。石段ですから打ち身もあると思います。医師を手配しますのでしっかり診ていただき、警吏に届け出てください」
「い、いいわ。そんなことしなくても」
遠慮されなくてもよろしいのに。私のためでもあり、貴方がたのためでもありますから。
「私が困りますわ。名誉毀損の訴えですが、偽者の行動からだとしましたら起訴内容が変わってきますわ」
「エスタ様」
弁護士の方の呼び掛けにハッとしましたわ。開廷中に私語なんて裁判官の方の心証が悪くなってしまいましたわ。どういたしましょう。
裁判官の方がたは集まって何かを見ていらっしゃいますわ。何を見ていらっしゃるのでしょう?
「被告の、いや、エスタ嬢には犯行が無理である。先に無罪を言い渡しておく」
「だから、人を雇って」
貴方が叫びます。裁判官の方は眉を寄せられましたがゆっくりと首を横に振られました。
「それをはっきりさせるためにも警吏には届け出るように。それから、原告側は裁判所からの召喚を何度も無視している。エスタ嬢からの訴状の証言を今から取らせていただこう」
原告側のお二人が固まっていらっしゃいますわ。裁判の日取りが何時までも決まらないと思っていましたら、お二人が証言をされていなかったのですか。それは進みませんね。
「こ、これから用事が」
「わたしも……」
「それらは裁判所の権限で断りを入れておきます」
裁判官の方の笑顔が恐ろしいですわ。柔和でとても優しそうな笑みですのに。怒らせていけない方を怒らせてしまったようですわ。
裁判所の権限を使われると余程の理由がない限り召喚を拒否できませんの。だから、私も内容のない召喚状に応じたのですわ。この召喚状では召喚内容が記載されていないので無視することも出来ましたが裁判所の権限で再度喚び出されますと心証がとても悪くなると教えていただきましたから。
「エスタ嬢、手続き不十分な裁判に召喚して申し訳なかった。この原因も追及し、貴女の訴訟に加えてもよろしいかな」
「はい、宜しくお願いいたします」
私は略式のカーテシーをして了承しました。立派な名誉毀損ですもの、私を犯人扱いしたのですから。
縋るような目をした貴方と視線が合いましたが貴方が選んだ道です。私には関係ありませんわ。
「では、私の訴訟でお会いいたしましょう」
もしも……
もし貴方が躊躇いを見せなかったのなら
もし貴方が戸惑う顔を見せなかったのなら
私は貴方を心の奥から憎むことが出来たでしょう
お読みいただきありがとうございます
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