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道具屋エルキュールへようこそ   作者: 眼鏡マイスター
3/3

歌えない歌姫

「このお菓子美味しいですね」

ポリポリと新商品である皿に並んだ小さな粒を口に運ぶリョウコに店先の掃除を終えたハヅキは納品されたアイテムの検品をしながら応答する。

「うちは休憩所じゃないんだけどなぁ」

あれから時々店に来るリョウコに読み書きを教え、化粧を教えてもらうという等価交換の日々が続いていた。

リョウコは無事酒場の給仕として就職を果たし、近いうちに仮住まいを出れる算段もついたらしい。

「ほぉら、そろそろ店開けるから帰んなさい、また夜に仕事でしょ? 寝ないとキツいよ」

「はーい」

リョウコを帰し、閉店の看板をしまいこむと早速いつものように子供達が昼食を買いに来る。

「ハヅキー、何か変わったもんない? 干し肉食い飽きたぞ」

「ハ・ヅ・キ・さ・ん! まったくもう…」

いつもと同じメニューを袋にしまい渡す。

子供達からはブーイングが出るが無い袖は振れない。

そもそも店頭で加工した調理品の提供は役所の許可がいるし、ハヅキは生来料理が苦手である。

お茶を入れたりは出来るが、それ以上は壊滅的だ。

娘が店を継げる年になると「後よろしく!」と諸国漫遊に出た母親からはそういった類いの生活知識はツユほども教えては貰っていない。

普段はサラダとパン、たまに外食の食生活だ、それで体を支えてるのはやはり若さだろう。

「なんとかしなきゃとは思うんだけどねぇ……」

ため息をついてる暇はない、まずは目の前のお客様に集中するべく、頭を切り替える。

「いらっしゃいませ!」

その日はいつもと変わりなく、程々に多忙で充実した1日だった、閉店間際そのお客様が来るまでは……。

泣き腫らした目の女性とそれに寄り添う暗い顔の優男。

ハヅキはいたたまれずに椅子を用意して二人を座らせた。

それ以外のお客様の対応を終えると、閉店の看板を出し、二人にお茶を出す。

「どうしたんですか?」

女は口を開かない、男の方が女の手を握り口を開いた。

「僕はエンブリッジ、彼女は僕の恋人のイザベラ」

「ここの責任者のハヅキです」

「お願いします、彼女の歌声を取り戻して貰えないでしょうか?」

「はい?」

話を聞けば、イザベラは夜の街では結構名の知れた歌姫らしい、ハヅキにはまだまだ縁遠い世界なので全く知らない名前ではあるが。

ある日、何時ものように酒場のステージで歌っていると、彼女の歌に聞き惚れた酔っぱらいがステージに上がろうとして足を滑らせ、そのまま頭を打ち亡くなったらしい。

それから彼女は人前で歌を歌えなくなった。

「お医者様には?」

「行きました、心因性のショックだろうとどんな名医と呼ばれた人も言うんです、でも彼女は違うと言うんです」

彼の手に力が籠り、彼女も同じように握り帰す。

実は不仲という事もないらしい。

「頼っていただいてありがたいのですが、なぜ道具屋に?」

ハヅキは当然の疑問を口にした、医者もあてにならないなら藁にもすがる思いでもまず道具屋には普通来ないだろう。

「私もそう思いました、ですがこの店の前を通った時に突然彼女がここに行くと」

この店に人寄せの魔術でもかかってるのか? と首を捻る。

「……あの看板」

イザベラがはじめて口を開く。

「あの看板? あぁ、え!? あれが読めたの!?」

イザベラが首を縦に振った、ハヅキにとっては大事件だ、何せ自分が産まれた時からずっとそこにある謎の看板の正体が明かされようとしているのだ。

余談だが後日リョウコから「知ってるものだと思ってた」と返されて愕然とした。

「看板がどうしたっていうんだ」

エンブリッジは困惑した様子でイザベラとハヅキを交互に見る。

「ごめんなさい、ハヅキさんと……二人で話していいかしら?」

イザベラはエンブリッジの手をそっと自分の手から剥がした。

「わかった、君を信じるよ」

エンブリッジは席を立ち、ハヅキに頭を下げた。

「よろしくお願いします、僕は外で待っていますから」

「わかりました」

彼が出ていくのを確認して、改めてイザベラに向き合うハヅキ。

「私と二人で話したいこととは?」

「あの看板、書かれた方はどちらに?」

「私が産まれる前からあったらしく、誰が書いたかは…」

「そうですか……」

イザベラは肩を落とした。

「あの看板には何が書かれているの?」

「書かれている内容は普遍的なものよ、問題は書かれている文字、あれ自体が特定の相手に伝わるメッセージなの」

「文字?」

イザベラは首を縦に振る。

産まれてからヴェスタを一歩も出たことがないハヅキにはピンとこない。

「あの文字は……この世界に存在しないの、するはずがない」

「ちょっと待って、どういうこと?」

「あの文字が使われていた文明は、私の生きていた世界の物なの、恐らく他の看板も同じようにどこかの世界の文字ね」

イザベラは天井を仰ぎ見る、何かを考えているようだ。

「ごめんなさい、言葉が上手く出てこないの、でも私はそこに生きていた、その記憶がある」

イザベラは目の前で自分の歌声で死んだ人間を見て、前世の記憶を蘇らせた、リョウコの話以上に荒唐無稽である。

だが、それを聞かされてもハヅキは疑わない。

相手が本気ならそれを信じることがハヅキの信条なのだ。

「セイレーン、それが私の名前でした」

「素敵な名前ですね」

「ありがとう、でも私はイザベラという名の方が好き、セイレーンは見た目と歌声は美しいけど、その実醜悪な化け物だったのよ」

ハヅキは黙って話を聞く。

「歌声で人を魅了して、食い殺してしまう化け物」

イザベラが身体を抱えるように震える。

「私は怖いのよ、セイレーンとしての記憶と共にセイレーンの権能まで蘇ってしまってたらと思うと……エンブリッジと離れるのが怖い……」

「本当に、エンブリッジさんを愛しているんですね」

「えぇ、愛してるわ……だからこそ彼に報いれない自分が許せなくて……」

イザベラの頬にまた涙が伝う。

「セイレーンのことや詳細は絶対に口外しません、だからエンブリッジさんとお話させていただけませんか?」

イザベラはもう殆ど歌うことを諦めている、愛するエンブリッジがいればそれでいいと。

彼女を愛し、彼女の生き甲斐だった歌声を取り戻そうとするエンブリッジ、これは厄介だなとハヅキは考えを巡らせる。

今度はエンブリッジとハヅキが二人になって話をしている間、イザベラが外で待つ。

イザベラが見上げた星空はとても綺麗だった。

少しして、エンブリッジが店から出てくる。

彼はイザベラの手を取り、エスコートするように歩き出す。

「どこへ?」

「少し歩こう」

しばらく二人だけの世界、出会った頃の事を思い出す。

セイレーンの記憶が蘇っても、イザベラの記憶がなくなるわけじゃないんだな、と少し安心する。

気が付けば、周りに人気がない区画にたどり着いていた。

「ここは?」

イザベラが辺りを見回しても何もない、ふと気が付くとエンブリッジが懐から小袋を出している。

「君の歌声を取り戻す薬だよ」

「え?」

小袋から白い丸薬を数粒取り出し、それを自分の口に運んだ。

何がなんだかわからない、それが薬なら飲むのは自分ではないのか?

そもそも私の歌声は薬なんかで治せるものでもない。

ポカンとしてると、徐々にエンブリッジの顔色が悪くなる。

「な、何で!? 薬って!?」

「詳しくは……聞け、なかった…けど……僕の事を、思って……歌えなかったんだね……」

毒薬、頭に浮かぶ最悪の風景、助けを呼ぼうにも周囲に人の気配はない。

「やだっ! お願い死なないで! あなたが死んだら私は……何のために……」

「さ、最期に……君の歌を聴かせてくれないか?」

「最期なんて言わないで!!!」

「頼む……よ」

涙でボロボロになった顔、嗚咽で震える喉、その全てから絞り出される歌声はお世辞にも綺麗とは言えなかったが、エンブリッジには今まで聴いたどんな旋律よりも美しく聴こえた。

一曲を歌い終わって、流れ出る涙を拭うこともせず、イザベラはエンブリッジの唇に自身の唇を重ねた。

「ようやく聴けた」

眼前にあったエンブリッジの瞼がゆっくり上がる。

「あぁ…あぁ……」

ポロポロと涙がこぼれる、今まで流したどんな涙より暖かい、嬉し涙。

「どうして……?」

「騙してごめん、この丸薬は実はただのお菓子なんだよ、こう見えて演技は得意なんだ」

状況が飲み込めずただただ愛しい人の帰還にむせびなくイザベラ。

「イザベラさん」

ハヅキが暗がりが出てくる、星明かりに照らされた彼女はなんだかとても妖艶だった。

「あなた!!!」

イザベラが掴みかかる。

「例え毒薬が偽物でもエンブリッジが私の歌声で死んでたらどうするつもりだったの!?」

「ごめんなさい、だから私はここにいるの」

「は?」

ここにいる、誰もいない場所を選んだ、他人を巻き込まないようにエンブリッジの配慮を持ってなおここにいる。

「もし、イザベラさんの歌声がセイレーンの歌声ならエンブリッジさんを毒薬で死んだことに出きる、私もここであなたの歌声を聴いて死ぬ」

「君が自分を責めないように命を賭けて一芝居打ってくれたんだ」

エンブリッジは笑う。

「お人好しなんてものじゃない、話を聞いた僕の提案を迷うことなく実行した、本当にありがとう」

「それって」

「もう一つごめんなさい、約束破って全部話しました」

ペコリと頭を下げる。

イザベラがその場にへたりこむ、歌声は呪われてなんていなかった。

彼は私の前世をも受け入れてくれた。

「今夜は泣いてばかりね、でもこんな心地よい涙ははじめて」

二人と別れ、ハヅキは店に戻る。

朝日に照されて光る読めない看板達、これはきっとこれからも色々な出会いをもたらすことだろう。

今回はかなり危ない橋を渡った、こんなのはもうごめんだと思いつつ、期待に胸膨らんでいる。

ハヅキは頬をパンパンと叩き眠気に打ち勝つと、日課の店の前の掃除を初めるのだった。

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