異世界からのお客様
その日、昼過ぎにようやく店の混雑も落ち着き、ハヅキは好物である香草を練り込んだパンと温めのお茶で遅めの昼食を取っていた。
食事休憩中とはいえ、お客様が来ないわけではないのでカウンターの隅っこで食べるようにしている。
窓から差し込む陽光は暖かく、油断をすればうとうとしてしまいそうな程心地よい時間。
いかんいかんと頬を叩き眠気を飛ばす、午後にはまた別のお客様が来るのだ、気を抜きすぎるの良くない。
「あ、あの……」
そうしていると、店先から声がする。
怯えた様子で開けた扉の隙間から顔を出した若い女性が見えた。
王都という大きい都市の店でも長年続けていれば大体は常連の顧客になる、幼少期からこの店でお客様を見てきたハヅキは大体の人の顔を覚えている、たまに新規の旅人が立ち寄ることもあるが、見たことない顔の彼女はどうも旅人や冒険者といった雰囲気のものではない。
「いらっしゃいませ」
営業スマイルではない心のから笑顔でハヅキはそれを迎え入れる。
「ロビンさんから、困ったらここに……ハヅキさんのとこに行けと言われまして……」
ロビンの名前が出てきてピンと来た、彼女は先日話しに出て来た身元不明の人だ、あの日から一週間程だから取り調べも終わって街を歩けるようになったのだろう。
人がいれば多少の軽犯罪はあるものの、総じて治安の良い王都ヴェルムだからこそのおおらかさである。
ハヅキは休業の看板を出した。
「話は少しですが聞いております、改めて詳しくお伺いしても?」
「はい」
肩まで伸ばした髪が俯きがちな顔を隠す。
緊張というかまだ怯えているのか、おどおどした印象を受けるが、よく見るとかなり整った顔立ちをしている。
「お茶を入れるね、お昼の途中だったけど、あなたもどう?」
ハヅキはまず彼女の緊張をほぐすことにした、このまま話しても気まずい沈黙に支配されるの目に見えてる、話し方も極力畏まらないように意識する。
「いえ、そんな……」
「なぁに? お金がないから受け取れないっていうつもり?」
笑って見せると彼女はわたわたしながら答えた。
「ロビンさんから、少し頂いております……でも相場がわからないし……」
「いいよ、その程度でお金を取ったりしないから」
少しほっとした表情を見せる彼女にハヅキは自分のより熱めのお茶を差し出した。
「本当にお茶だ」
ボソッと彼女が呟く。
「珍しい?」
彼女は首を横に振った。
「おばあちゃんがよく入れてくれたんです、私のところでもありふれた飲み物なんですけど、なんだか安心します」
「それはよかった、えぇと……」
「亮子です、皇亮子」
リョウコと名乗った彼女はカップに口をつけ、穏やかな表情でカップの中の水面を見ていた。
「それでリョウコはさ、何があってここに来たの?」
ハヅキもカップを手に取り、本当に何気ない雑談の風で問いかける。
途端にリョウコの顔がまたも沈む。
少し焦ったハヅキがフォローの言葉を探していると、リョウコが口を開いた。
「私、本当は死ぬつもりだったんです」
思わずお茶を吹き出しかけるがすんでのところで堪えた。
あまりに穏やかではない話にハヅキも動揺する。
「家族とも友達とも上手く行ってなくて、かといってこれが私だと言えるほどの物もなくて、きっとこれからも何者でもない自分に苦しんでいくのかなって思ったら、なんだか生きてるのがバカらしくなっちゃって」
リョウコは少し笑いながらそう言った。
こちらに気を使わせまいという意図の笑顔なのは誰が見ても明白である。
「夜に適当なビルから飛び降りたの、夜景が綺麗だったなぁ。 あ、ビルって言うのはとても高い建物でね」
そして地面にぶつかるはずがここの街の近くの森に放り出されていた。
にわかに信じがたい話である、だが目の前の寂しい笑顔を嘘と断じることはハヅキに決して出来はしない。
この街でこの店で色んな顔を見てきたハヅキだからこそ、リョウコのために問いかけた。
「……まだ死にたかったりする?」
その言葉を聞いてリョウコはカップの中を空にした。
「知らないとこに放り出されて、いま思えばほんの小さな小動物にですよ? 驚いて死にたくないって思っちゃったんだ、本当にバカみたい、それで取り乱してこの街にたどり着いたの」
先ほどより悲壮感の薄れた笑顔でリョウコは言った。
ハヅキは胸を撫で下ろした、彼女はもう大丈夫だ。
「それじゃあさ、次の議題なんだけど」
「はい」
「これからどうしたい?」
優しく問いかけるハヅキの微笑みにリョウコは思わず息を飲んだ。
年の頃は同じ位でも大人びていて、それでいて少女の面影を残した美人であることに今更ながら気づく。
「まだ考えが纏まってない?」
「……この街で生きていきたいです、私が訳のわからないことを言ってもちゃんと聞いてくれたロビンさん達、ここに来るのに迷った私を心配してくれた子供達、そしてあなたがいるこの街で」
「そっか」
リョウコはポケットから小さな箱を取り出して、ハヅキに見えるように蓋を開けた。
中にはきらびやかな装飾の髪飾りがあった。
彼女がいた世界の装飾品なのだろう、ハヅキの知る限り最高の職人でもこの細工はそうそう作れるものではない。
「当面の生活費として、これを買い取って頂けないでしょうか?」
「これは?」
「おばあちゃんの形見なんです、私が嫁に行くときにつけなさいって言われてたけど、そうも言ってられないんで」
「ダメ」
ハヅキきっぱりと断った。
「こんな凄いアイテム、うちじゃ値段付けられないよ、そのうえそんな話を聞かされたらますますね」
「そうですか……」
少し安堵した表情のリョウコ。
「生活するなら、文字の読み書きと算術は必須ね」
「え?」
店の奥に消えたと思ったらすぐに何かを抱えて戻ってくる。
「子供向けの読み書き練習の本、持っていって」
「あ、ありがとうございます」
ドンと置かれる大量の本にリョウコは気圧される。
「あと、化粧は出来る?」
籠からトントンと瓶を出し並べていく。
「この近くの酒場、給仕募集してるのよ、あなたみたいな話題性のある美人はまず採用されるでしょ、一応話は通しておくから」
話がどんどん進んでいく、リョウコは困惑しながら慌てて止めようとする。
「待ってください! お金だって少ししかないのに、ここまでされたら就職の前に破産します!!」
ブンブンと首を横に振り拒否の意を見せるリョウコにハヅキは今日一番の笑顔で言った。
「商売って信用なのよ、リョウコを信用して先行投資ってとこ」
「えぇ……?」
「それに売れ残りの本と化粧品なんて大した値段でもないから、あたしの驕り」
「でも……」
「じゃあ、酒場で働きはじめたらうちの店の宣伝しといてよ、それならいいでしょ?」
この人はもう引かないな、リョウコはなんとなく察した。
「あ、でも一つだけ個人的にお願いしたいことあるかなぁ」
イタズラっぽく言うハヅキにリョウコは身構える。
「化粧の仕方、教えてよ」
リョウコは思わず大笑いしてしまった、最後にこんなに笑ったのはいつだったか。
それからハヅキの昔の話、リョウコのおばあちゃんの話、他愛のない会話で二人は親睦を深め、お開きになる頃には日も暮れ始めていた。
ハヅキに別れをつげ店の外に出て、リョウコは振りかえる。
ずっと下を向いていたから来たときは気づかなかったが、店の前に立ち並ぶ大量の看板の一つに目が行った。
そこには間違いなく日本語でこう書いてある。
【道具屋エルキュールへようこそ、お困りならどうぞご相談を】
きっとハヅキが店長になる遥か以前に同じようなことがあったのだろう、救われた誰かが恩返しに縁結びとして書いたのか、それはわからないがきっと他の看板も同じようなことが書いてあるのだろう。
少し肌寒く感じる時間だが、何だかあったかい気持ちのリョウコは大量の本と化粧品を抱えて仮住まいの宿舎に足を向けた。