5日目 9 廃屋に寝かされた少女と担いで帰るヒナ
アヤメの召喚した魔法生物だという血沸肉男人形に荷車で拉致されたあたしが辿り着いたのは一見寂れた街並みの奥の奥の奥。
収穫祭の準備で賑わう大通りが嘘のようにひっそりと静まり途中ですれ違った人もほとんどいない。いてもなんだか無気力そうに猫背気味に歩くかフラフラしてるか建物の外壁にもたれて寝てるか……宿場街にこんなとこあったんだ。
その中でもひときわボロボロな建物が目の前にそびえている。
いつ崩れてもおかしくない、柱とか朽ちてんじゃないの、と疑いたくなるような佇まい。
とうに使われなくなったけど何かしらの理由で残されてるのかしらね……。
こういうところにはお宝なんかがあったりするのかしら? アサギの目の色が変わりそうね、あいつガメツいとこあるから……。
そういえば約束ほっぽり出して流されて来ちゃったけど大丈夫かなぁ。またアサギに怒られるのかな……。やだなぁ。
それとも、愛想尽かして口きいてくれないのかなぁ。それも嫌ね……。
ん? いや、待って待って。なんであいつがデート楽しみにしてる前提なのかしら。無理矢理されて辟易してたのを免れてせいせいしてるかもしれないわね。
いつも突っかかってくるし、着飾ったあたしのことなんか微塵も興味がないはずよね。きっとそうよ、心配するだけ無駄無駄!
せっかく用意してもらった踵の高い靴もワンピースドレスもコサージュも髪飾りも……全部無駄! あたしに似合うものなんてない! あたしなんて、あたしなんて……。
借りた装飾全てが呪いに見え、惨めに思えてくる。一瞬でも期待した自分がバカだったわ。
アヤメが血沸肉男《彼》を遣いに出したならアヤメやジーナがからかうつもりで隠れてるに違いないし。
アサギも結託して、きっと三人であたしを騙してるのよ。絶対に驚いてやらないわ。逆に脅かしてみせるんだから。
とはいえ、古びすぎてとても入る気になれない。いつ崩れてもおかしくないもの。あたしが蹴りのひとつでも入れようものならそのままぺしゃんこだわ。
……もしかして、それが狙い!?
もう入りたくなくなって、あたしはこのまま帰ろうかと後ろにいるであろう血沸肉男人形に声をかけようとしたけれど……もう彼の姿はどこにもなかった。
歩いて帰れ、と。地獄への片道切符だったわけね。
俯いて溜息を一つ。と、視界の端……ただの枠と化したボロ屋敷の窓の奥からぼんやりとした光が見えた。
隙間から差し込む陽の光とは違う……来いってこと……?
……あーもうしょうがないわね! こうなったらお化けでも魔物でも変態なんでも出てくればいいわ! ……あ、ヘンタイはやっぱり無し!
恐る恐る足を踏み入れる。いたるところに蜘蛛の巣や何かの繭が張ってる。やっぱり黴臭いわね。
昼間だから辛うじて窓枠や、壁や天井にできた穴から光が入り、灯りをともす必要はない。
というかあたしの灯せるものって炎だからすぐに建物に燃え移って終わりよね。乾ききってるからよく燃えそーだわ。
持ち帰って薪の材料にしたらいくらか儲かるかしら?
なんて暢気に考えてないと、薄暗く気味が悪いのに耐えられない。
ゆっくり、一歩ずつ、足元に気を付けながら奥へ奥へと進む。
裾の長いドレスだから少し埃が立つだけで汚れそう。クリーニング代高いかなぁ。
「ごめんくださーい。あのー、だれかいませんかー?」
声を発してから、なんと間抜けな言葉だったと恥ずかしくなる。
血沸肉男人形が連れてきたんだからアヤメがいるに決まってるじゃない!
はぁ……。あたしってほんとに。
いつもなら笑い転げられるはずなのに、物音一つしない。気配も息遣いも無い。ただ一つ、さっきからの淡い光が見えるだけ。
アヤメたちが先に入ってるわりに蜘蛛の巣なんかも張ったまま。もう少し取ってくれててもよさそうなのに。これも演出のうちかしら……。
ひとつひとつ部屋を確認して回り、一番奥。隔てる扉は朽ち果てているから、いよいよこの角を曲がれば光の正体とご対面。そして誰もいなかった。はぁ……。落ち着け、あたし……。
鼓動はいつもより高鳴り、静まりそうにない。
何があっても取り乱さないぞ、と決め。そっと、敷居を跨いで踏み込む。
「……っ!?」
人……!? 誰かベッドの上に寝かされている。
よく目を凝らす。正装した男の人……?
男性物の正装を身に纏った人。何だろう、この胸騒ぎ……。
もしかして、あたしと同じようにおめかししたアサギ? まさかそんな。だったらどうしてこんなところで寝てるの?
ここまで来てまだからかうつもりなの……?
確かめるべく横たわる人にそっと近づく。
女の子……?
男性の格好、それもまるでお城の舞踏会にいくような真新しく折り目正しい服。
だけど、だけど、その胸のふくらみは女の子の証。
背中まで伸びた青と緑の間のような髪色はアサギに似てる……。
瞳の色は分からないけど、そのまつ毛はとても長い。
かわいい子……。
「ねぇ、大丈夫……?」
あたしは優しく体をゆする。
「んん……? ヒナ……」
誰この子……、どうしてあたしの名前を知って……?
何か口の中で呟いてるけど聞こえない。気になって思わずベッドの端に手をかけ顔を寄せる。
「もう、絶対に……独りにしないからな……」
「……!!」
寄せた顔がたまたま口の近くで、発せられた言葉に驚いたあたしは支えにしていた手のバランスを崩してつんのめる。
と唇と唇が触れてしまった!
動転するも本能のまま全力で壁まで後ずさる。
勢い余って壁にぶつかると天井から砂や埃が降ってくる。寝台の上の女の子にも降りかかってしまう。
「あぁっ!」
舞い降りる砂煙からその娘を守るべくもう一度駆け寄ると、慣れない高い踵が足元に散った廃材に引っ掛かってまたあたしは前のめりに転ぶ。
ドレスを汚すわけにはいかないと前に出した手はこともあろうに寝台の上の眠れる少女の、あたしより少し豊かな膨らみを捉えてしまい、勢いを殺すこともできないままあたしの顔はどういうわけか再び女の子の顔と重なり……。
完全に密着してしまった。
つまり……、しっかりキスしちゃったってこと。
あたしのはじめての……。
一瞬触れただけならノーカンだと思ったけど完璧に触れ合ってしまったから、あたしの初めては名も知らぬかわいこちゃんに捧げたことになったわ……。
どうしてだろう、思ったより冷静だ。
これがアサギ相手だったら瞬間に手が出そうなものなのに。
柔らかい唇の感触をしばらく味わってから、あたしは顔を離す。
キスって、こんな感じなのね。
ちょっと癖になりそうだけど。アサギとだったら、どうなのかな……。
そんなことを考えると頬も耳も熱くなる。
今更ながら唇を重ねた少女を見るのが恥ずかしい。
って、あれ? 淡く発光していた少女の光が落ち着く。そこに現れた少女の顔色がすごく悪い……。呼吸も少し荒くなってる……。あたしの口、臭かったの!? そんなまさか……。
と、とにかくこんなところに居てはいけない……どうしよ……ひとまず野ウサギと木漏れ日亭に運ぶしか無いわ。
血沸肉男は消えたから、自力で運ぶしか……。
けど、こんな格好じゃ……。
覚悟を決めてまとわりつくロングスカートをたくし上げる。
こんなこともあろうかといつもの短パン履いてるのよ!
誰に言ってるのかわからないけど、そう豪語しスカート部分を腰の位置で縛る。
ハイヒールは脱ぎ捨て裸足になる。
身なりはこれで、どこをどう行ったらいいかわかんないけど、ここに居たって始まらないわ!
そっと少女の体を起こし、試しにお姫様抱っこしてみるけど、とても持ち上がらない。
手に取った両腕を背中越しに肩に回し背負い、両の脚を腕で支える。
っと、案外重いのね。思わずよろけてしまうけど、何とか踏みとどまる。
足の裏が痛いけど、まぁ何とかなるでしょ。とにかく血沸肉男がここへ案内したのだから、ここに居るこの子を放っておくことなんてできない。
今、とにかくできること……一路、野ウサギと木漏れ日亭へ!