5日目 7 粗末な拘束と喋るお尻
耳障りな音を立て、三半規管が弱ければ酔ってしまいそうな揺れを起こす、舗装の行き届いていないただ人が踏み固めただけの粗末な街道を、私を乗せた馬車は峠に向かい進んでいるみたいです。
みたい、というのは、私は手首を縛られ目隠しをされ、荷台に積み込まれただけですからはっきりしません。
ただ、宿場街の中を駆け抜けていったのは人々の悲鳴で把握できましたし、それが静まってから徐々に緑の匂いが強くなったのと、山道に差し掛かったようで荷台の底が傾き、両手を後ろ手に縛られ支えにつかまることのできない私は、バランスを崩し横倒しになってしまったので把握できたのですわ。
倒れた時に少々肩を打ってしまったのは失敗でした。
手が使えなければ治癒の法力も使えませんね。
アヤちゃんがいればいたいのいたいのとんでけーって、優しくなでなでしてくれたでしょうに……。
あらやだ。私ってば目隠しのまま顔がにやけていますわ。
人が見たら、ただの変態ではありませんか。
馬車は緩衝材が無い粗末なつくりのうえ、乗客のことをまるで考えない荒い走り。
乗り心地は最悪ですが、倒れた衝撃で乗せられる前に付けられた目隠しの黒い布がほどけたので悪いことばかりではありません。
幸運の女神は義妹を置き去りにした私に、まだ微笑んでくださるのかも。
簡単に解けるような目隠しなど、よほど焦っていたのでしょうか。
お粗末ですこと。ふふふ。
御者の技術は馬車を本業に日銭を稼ぐものではなく……考えられるのは騎士隊の者でしょうか。
私を墓守の館から連れ去りに来たあの者たちが、そのまま馬を御していると考えるのが妥当ですわね。
目隠しが取れ開けた視界が昼間の明るさに馴染むと、乱雑に積まれた荷物に紛れ人がうずくまっているのが見えました。
埋もれていると言ったほうが正しいのかもしれません。
人であることは分かるもののお尻しか見えず……体格から男性のようですわ。
「どなた、ですか……」
恐る恐る声を掛ける。
ともすれば車輪と地面のぶつかる音でかき消されてしまいそうな声の大きさですが、下手をすると前に乗っているであろうあの“出目金”男に気付かれてしまいますから……。
「ああ……さっき連れ込まれた嬢ちゃんか」
お尻が喋ります。
なんとも滑稽ですが、お互いどうにもできないので気にせず話を続けますわ。
「私のことご存じですの……?」
「存じてるも何も。訪ねて回っていたのは俺たちだからな……。まさか墓守の館に匿われてるとはな。ラストの野郎、しらばっくれやがって……」
荷物の山から抜け出そうとしているのか、尻文字を書くように贅肉の少ない引き締まったお尻がもぞもぞと動きます。
声がくぐもって若干聞き取りづらいですけれど。
「どうして荷物にお顔を突っ込んだままですの……?」
「まだ気絶してるってことにしたいんだ。様子を探るためにな」
「あなたは……」
私の呟きに呼応するように、後ろ手に縛られた両の手が顔を出します。
「アッシュ=グレイ。遊撃騎士隊の隊長……だがこのザマだ」
アッシュ=グレイ……。
私を訪ねて宿のご主人とお茶会を楽しんだという……。
騎士であるのに鎧は見える範囲一切着けておらず服も薄汚れています。
暴行された上に放り込まれたといったところでしょうか。
「貴女には何度かお目通りしていると思うが、まぁ覚えちゃいないだろう……。ジーナ=レグホーン……、いや……、……クリスティーナ=ソードブラウン嬢」
「……え?」
思わず反応してしまいました。
何故、正体を突き止められたのか……。
「尋ね歩いている間は半信半疑だったが……何度か会っている。剣の稽古で手合わせをしたこともある。まだ君は幼く修道院へ入る前だったかな。こんな小さな子なのに太刀筋が鋭く驚かされたさ。懐かしい」
「……その過去と名前は捨てましたわ」
否定は無意味と察し、返事をします。
「だが君は聖都へ帰ろうとしている」
「形だけの話ですわ。すぐにまたここへ戻ってみせます」
「大した自信だ。愛しい妹のために、か?」
「なぜそれを……」
「街では結構な人気者だったみたいじゃないか」
「~~!」
子どものいたずらを見つけほくそ笑む親の様に騎士を名乗る男は声を弾ませてきました。
私とアヤちゃんの仲が街に広まっていたなんて……。
外ではそんなに見せていないつもりでしたのに。私としたことが詰めが甘いこと……。
熱くなる額に手を当てたいのは山々でしたが、手枷がそれをさせません。
「仲睦まじくて何よりだ」
「お~お~なにぶつぶつ言ってんだぁ? 父なる神に懺悔でもしてたのかぁ? お前自分の立場分かってんのかよ?」
日焼けして黄ばんだ間仕切り布を持ち上げ、出目金男がこちらを覗きます。
「……」
口をつぐみ睨み返します。
どうやら幸いなことに聞こえていたのは私の声だけで、アッシュさんの声は届いていないようでした。
会話していたと知れたら、面倒なことになっていたことでしょう。
「目隠し取れてんじゃねーか。ちっ……。オメーのおかげで予定も計画も狂いまくりなんだ、あとで落とし前たっぷりつけてもらうぜぇ、聖女さんよぉ……ってうわっ!」
車輪が出っ張った石ころでも踏んづけたのでしょう。
馬車は大きく揺れて座ったまま後ろを向く格好だった線の細い出目金男さんは、簡単にバランスを崩し転げます。
思わず吹き出してしまいました。
馬を操る部下の方も同様で「笑うんじゃねぇ!」と頭をはたかれています。
すぐに暴力を振るう方は私遠慮させていただきたいですわ。
「ったく手間取らせやがってぇ。わざわざ名前を変えて髪色まで……って、何貴様まで笑ってんだぁ?」
凄んできますが全く迫力が足りませんわ。骸骨剣士のほうがまだ迫力あります。
私は余裕の笑みで言葉を返します。
「……いえ、ここにアヤちゃんがいたらお尻痛ーいっ! なんて文句をいうでしょうから、さすってあげるふりしていたずらして……というのを想像したら楽しくなっただけですわ」
「はぁ? お前狂ってんのか? あの淫魔が……あいつに受けた仕打ちをアンタでたっぷり返させてもらうからなぁ? せいぜいいい聲で啼くんだなぁ、聖女さんよぉ? ヒッヒッヒ……」
「あなた、アヤちゃんのことを……?」
「俺はあいつに命を奪われたんだぁ! クソガキの癖に俺様を誘惑しやがって! ある方の力でこうして生き返ったわけだ! 復讐するためになぁ!」
感情が昂ったのか、顔を真っ赤にしておしゃべりが過ぎる出目金男。
今の今まで忘れていましたが、この方はアヤちゃんが生気を吸い命まで奪ってしまったギョロ目男だったのですね。
そういえば私に手を出そうとしたから許せなくてとか……。
言いたいことを言い満足したのか、出目金男は揺れによろめきながら前方の席へ戻っていきました。
髪を引っ張られたり、頬を張られたりしなくてよかったですわ……。
それにしても、墓守の館にいたときに比べ話し方が粘っこいように思えるのは気のせいでしょうか……。
お近づきは願い下げですのに、顔を近づけてきましたわ。
気色の悪い顔にお似合いの気色の悪い舌なめずりをする出目金さん。
日の経った生魚のような臭いを放つ黄緑がかった粘液が、上唇と舌の間で糸を引いています。
おぞましい限りですわ。
やけに細長い舌は人間と言うより……そう、蛇や火蜥蜴を思わせます。
態度も、礼節を重んじる騎士隊に所属してこの有様……騎士の質も落ちたものですわね。
早いところお別れしたいですが、少しばかり時間がかかりそうですわね……。