5日目 6 アヤメとアサギ③ 運び屋と新たな翼
「ごめんね、おにーちゃん……」
野ウサギと木漏れ日亭に隣接する街道沿いの宿場街、その路地の入り組んだ奥の奥、酒場や風俗店が立ち並ぶガラの悪い歓楽街の奥にある廃屋、その古ぼけた寝台の上に横たわるアサギを見つめながら、アヤメは自分の乱れた服を直していると不意にそんな言葉がこぼれた。
先程までこの場に現れていたヒナはアヤメのつくった幻影だった。
ほんの少しアサギから魔力をもらっただけで出せた精巧な幻……アサギの持つ魔力はそのくらい質が高く、この若い淫魔にとってどんな生気でも太刀打ちできないほどのこの上ない美味だった。
アサギと接吻を交わしたのももちろんアヤメだが、アサギの見ていた幻は脳裏に焼き付いた記憶から生成されたヒナそのものだった。つまり、記憶にあることなら限りなく忠実に再現されるうえ、不足部分は術をかけられた者の願望で補填されるのだ。
騙した罪悪感を感じながらも、その心が生み出した最高の味に酔いしれたのは確かだった。
最高の素材に最高の調味料を加えて背徳感は極上の仕上がり。
人で言うならどんな収集家でも一生に一度お目にかかれるか分からないような美酒とでも例えられようか。
それによって得たものは計り知れず、かつてない強い強い力が漲るのを感じる。
自分の身なりを直した後、アヤメは少し躊躇って今度はアサギの着衣をただす。
気を失っているが衰弱はひどくなく心臓の鼓動も確認できるから命に別状はないみたいだ。呼吸は一定で顔色も悪くない。
早く片を付けて戻ってこようと思うが、相手が相手だけにどれほど時間がかかるか分からない。
それどころか本当に無事に帰ってこられるかどうかも怪しいところだから、その前に誰かに見つけてもらえたらいいが……、こんな路地の奥の廃墟では難しいかもしれない。
それなら、人を呼んだほうがいいか。
「……召喚! 血沸肉男人形!」
「エー、ゴ町内ノ皆様、毎度オ馴染ミ血沸肉躍運送デ御座イマス。イツモニコニコ、任セテ安心、納得ノ明朗会計、スピード配送ノ血沸肉躍運送、血沸肉躍運送デ御座イマース」
メガホンを片手に大八車を携えて、ねじり鉢巻きに法被姿の男……。全身を左右の中央から真っ二つになるよう縦に線が走り、その半身は人間の表皮がなく臓器や筋肉がむき出しになっている、どんな明るみで見ても飛び上がるほど驚いてしまう出で立ちだ。
「ゴ用トアラバ西ヘ東ヘ、タトエ火ノ中水ノ中、心ヲ込メテオ届ケシマス。オ荷物ノゴ用命ハ血沸肉躍運送、血沸肉躍運送ヘドウゾ。只今冬ノきゃんぺーん中、配送料最大三十%オフ~。コノ機会ニ血沸肉躍運送ヲ是非ゴ利用クダサイ」
「……おい」
周囲を気にせずぺらぺらと喋り続ける従者に、待ちきれずアヤメは声をかける。少しの苛立ち……怒気を込めて。
「ハイッ! アッ! コレハ ゴ主人様!」
「どういうことコレ?」
「世間ハ空前ノ通販ブームデ御座イマシテ、ココラデ一発当テテオケバ所帯ヲ持ッタリ老後ノ備エニナルカナート思イマシテ、副業デス!ハイ!『沸』『湧』ドッチノ字ガイイカナート屋号モ考エ中デス!」
テヘ、とおでこにメガホンを当てると星をひとつ飛ばす。
芸が細かいが、今のアヤメには何の感動も感じられなかった。
「無断で始めたから給料一割カットね」
「アーーーーーーーー!! 御無体ナ……」
膝から崩れ落ちる血沸肉男人形。
拍子に内臓が零れたために俯いたままいそいそと拾い上げる。
「冗談はさておき、ひとっ走り頼まれてくれる? 大急ぎで」
「承知シマシタ!」
詳細を伝えると目にもとまらぬ足の運びで一気に走り去っていく。
無事に帰ってっ来てくれるといいが。
それともう一つ気がかりなのがこの廃屋が崩れてしまわないかどうかだが、こればかりは祈るしかない。
ここでジーナを救えなければ合わせる顔が無い。
命を投げる覚悟で渡してもらえた、命そのもの。
アヤメは目を閉じ胸に手を当てる。暖かい、優しい光がそこに宿っているように感じる、
出目金から植え付けられた禍々しいものは消え去ったようだ。
「おにーちゃん、ありがとう……、いってくるね……!」
横たわるその頬にそっと口づけ……
飛ぶイメージを描くと、背中に白い翼が生えた。
「!?」
自らの変化に驚く。自らの意思で羽ばたくこともできる。
からだ全体がほのかに白く光に包まれているようだ。
廃墟の入り口にをくぐり、人気の無い外へ。
「いくよ……!」
軽く力を込めると感じたことのない速度が出た。体感で3倍、いや5倍。
一気に垂直に飛び上がり、街のどの建物よりも倍高く上空へ。
(これなら……!!)
ジーナの気配を頼りに馬車の走り去ったと思われる方角へ。
向かった先は恐らく聖都。となれば峠にいるはずだ。
「待ってて、おねーちゃん!絶対に助けるから!!」
飛べなくなった少女は新しい翼を得て、大切な人の元へと再び空を翔ける――。