5日目 4 アヤメとアサギ① 待ち合わせのすっぽかしとアサギの覚悟
アヤメを抱えて宿場街の路地裏の裏の裏へと走る。
誰かに追いかけられているわけではないが、誰にも見つからないところへ行きたい。
街のつくりはずっと前に調査済みで、人通りの少ないところ、空き家……、不測の事態にどこへ逃げ込むか大体の目星はついている。
昼間は人気の少ない歓楽街の奥のほう……風俗店の立ち並ぶエリア。ほとんどの店は夕方からの営業、午前中の今は閉店直後といったところだ。都合がいい。
女の子を抱えてこんなところを歩くなんて誰かに見られたらいかがわしい噂しかたたないだろうが、この時間帯でどこよりも人目につきにくい場所と言ったらここになるから致し方無い。
「おにーちゃん……」
柔らかな黄色の瞳に不安そうな影をちら付かせ腕の中のアヤメが上目遣いに覗き込んでくる。
「全く何考えてんだよ! 何があったか知らないがこんな明るいうちから飛んだら騒ぎになるだろ!」
「一応隠れ蓑したから大丈夫なはずだけど……」
「全く隠れてねーよ! 見られまくってたぞ!」
アヤメに対してそんなに怒っているわけではないのに、待ち合わせを気にする苛立ちから優しくできなく声を荒げてしまう。
「そんな……それもできないなんて……うぅっ……!ごほっ!」
「お、おい!……なにがあった?」
自分ではかけているつもりだったのか。
思い詰めた表情のアヤメを見て少し落ち着き、できるだけ声を抑えて問いかける。
それにしても変な咳をするな。
「はぁっ、はぁっ、ねぇ……、馬車通らなかった!?」
「は……? ったく、こっちの質問無視かよ……さっきものすごいスピードで通って行ったぜ。騎兵を2頭連れてな。ありゃなんなんだ??」
「ごほっ……!やっぱり……まだ追いつけてないんだ! はぁっ、……あ、あのね、おねーちゃんが、おねーちゃんが連れてかれちゃったの!!」
「なんだって!?」
走る足を思わず止めてしまう。
「教会のやつらが……はぁっ……退魔師の術使って、ボク無力化されて……。おねーちゃんボクを助ける代わりに自分が修道院に戻るって……!!さよならって! ごほっ!」
大粒の涙をこぼしながら俺の白いシャツをその小さな手で掴み揺さぶり訴えてくるが、荒い呼吸と咳がその間を遮ると、力が抜けたのかシャツから手が零れ落ちる。
続きを喋りたそうだったがとりあえず深呼吸を促し呼吸の乱れをまずは整えさせる。
「やだよ……。 ボクおねーちゃんと離れ離れになるなんてやだよ! ずっと一緒にいたいよ……ごほっごほっ。 」
弱弱しく呟くアヤメに、いつもの天真爛漫さはなくこの世の終わりのような顔をしている。依り代を失ったも同然だから無理もないか。
だが、このまま塞ぎこまれてもいじけられても困るし本人のためにならない。
「泣きついてんじゃねーよ! 端くれでも悪魔なんだろ! 泣いて終わりなのか? 何のためにここまで飛んできたんだ? 助けるためじゃねーのかよ」
「戦いたかったけど全然手も足もでなくって。昨日もおねーちゃん早く寝ちゃって生気もらうの我慢してたから力が出なくて……。街の人に手を出さないって約束したから……」
「守れなかったのはおねーちゃんのせいですって言いたいのか? んなもん言い訳だろうが。平和ボケだろ。大事なもん守るのに手段選んでどうする」
「っ!ひどい……。ボク一生懸命我慢してたのに……ごほっ。この咳も、退魔術の塊みたいなのを無理矢理飲まされてるからで……、魔力を奪われ続けてるんだ……」
「だから何だよ。俺は生き延びるためになんでもしたさ。殺し……はギリギリしなかったが一歩手前くらいはしてる。されてもいる。見ず知らずの他人を守って自分や自分の大切な人が野垂れ死んでもいいのかよ」
俺はスラムで5年生きてきた、その感覚は忘れたくても忘れられない。
緩く生ぬるく平和に生きられるならそれに越したことはないが、肝心な時に何もできなくなっては話にならない。生き抜く強さが必要だ。
「それは……」
「約束を守って見殺しにするのか、約束破ってでも守るのか。どっちかしかねーんだよ」
アヤメは俯いて黙り込んでしまった。自分から言い出すのを待ったほうがいいのは分かるがぐずぐずしている暇がないので促してしまう。
「どうするんだよ? 助けたいんだろ? ジーナを」
「うん……」
「それで……ゴハン食べれば勝算はあるのか?」
「わかんない……ごほっ。でも、何もしないよりは、たぶん……。十分に補給出来たとしたら、召喚と幻術使って……教会のやつらを倒せなくてもおねーちゃんを連れだすくらいは……」
「本当だな?」
目線を合わせる。瞳の奥にある意思を確認するために。
「う、うん……」
「わかった」
覗き込んだために一瞬怯むが、表情を引き締め、力強く頷く。
それを確認できたら言うことはない。アヤメが腹括ったんだ、次は俺が腹を括る番だ。
アヤメを抱えたまま再び走り出す。
「おにーちゃん、どこ行くの……? 馬車の向かったほうはそっちじゃないし、それにその恰好いつもと違うからなんかあるんでしょ!?」
「チッ……こんな時にそんなこと気にするんじゃねーよ……オヤジさんたちの計らいでヒナとデートしろってことになってるらしいが、仲間が大変な時に遊んでられるか!!」
「ちぃねーちゃんとデート!?」アヤメ目を丸くしてが叫ぶ。「行きなよ!」
「お前を放り出したらヒナに殺されるぜ! まぁ約束破っても蹴っ飛ばされるだろうがな! 事情を加味して一発で済ませてくれたら御の字だ! お前を助けてヒナの所にも行く、それだけだ!」
走りながら言い放つ。覚悟が決まってるみたいだ、と自分のことなのにどこか他人ごとに感じる。
アルコールや生ごみの混ざった匂いが微かに匂う薄暗い路地を奥へ奥へと入っていくと、やがて塀に囲まれた行き止まりにある廃屋に辿り着いた。
戸の無くなった入り口を通り中に入る。柱の一つでも蹴れば即崩れそうだ。裏を返せばそんなところに踏み入るやつなどいないということ。人目につかない格好の場所だ。
アヤメを下ろし、立たせる。軽いとはいえ、ずっと抱えて走っていたために腕は痺れ膝は笑っているが何でもないように振舞う。細かいことを言っている場合じゃない。
「よし、ここならいいだろ。アヤメ、気休めかもしれないが念のため俺とお前に隠れ蓑かけてくれ」
「え? ……うん」
ぶつぶつと詠唱を済ませるとアヤメ自身と俺に隠れ蓑の幻術がかかる。ほんのりと体が透けたように感じるが、よくわからん。
「かけたよ! 今度はうまくいったとおもう……げほっ! それで、どうするの?」
深呼吸し、俺の覚悟を口にする。
ジーナを助け出す方法は多分これしかない。少なくとも今の俺にはこれしか思い浮かばない。
「俺の生気を吸え。ありったけな」
「え……?」