4日目 2 地下室と氷漬けの少女
「そーれぇ!触手達!!ハタキかけぇ!!」
アヤちゃんの頭上に浮かぶ仄かに青白く光る魔法陣から生えた大小合わせて十三本の触手がそれぞれに裂いた布を葉のように木の棒の先端に括り付けた掃除用具――ハタキを振り回し、年季の入った建物の中、積もりに積もった埃を取り払います。
掃除は修道院で嫌というほどやってきました。
――三か月前、悪魔に魅入られたと修道会を一方的に抜け失踪した私を探してこの峠の宿場街、そしてその街外れにある「野ウサギと木漏れ日亭」にまで訪ねてきた聖都の遊撃騎士団をやり過ごすため私とアヤちゃんはこの墓守の館に身を寄せています。
その代償として館中の掃除を仰せつかったのです。
少々ずるっこかもしれませんが、異形の魔法生物の使役を得意とする(自称)召喚士のアヤちゃんの手によって人の手でやる何倍もの速さで掃除が進んでいます。
本来の色が分からないほど埃まみれだった書物や調度品の表面が続々と顔を出していきます。と言っても小さな窓しかなく薄暗い室内では本来持つ色の判別すら怪しいのですけど。
「蛇玉! モップ掛けぇ!!」
アヤちゃんがノリノリで続いて放つのは中央に大きな目玉を持ち、その周りを無数のヘビが絡まり合い玉状になったおぞましい魔法生物を数体呼び出し横並びに床に這わせる。
ハタキを持った触手のいくつかが蛇玉に自らの持つハタキの柄を絡ませ固定。「せーのっ」という掛け声と共に一斉に真っすぐ飛び出し床をこすっていきます。
床板との摩擦に焼かれ悲鳴を上げながら汚れを拭っていく異形の断末魔を聞きながら、この勢いで掃除はすぐに済ませられるかもしれないと期待していました。
ところが……。
「わわわわわわ!!」
背丈より高く積まれた書物がハタキがけの振動で揺れ危ういところで均衡を保っていたところに、床磨きの勢いを殺しきれないアヤちゃんが激突し静寂が破れ大きく雪崩が起きてしまいました。
「アヤちゃん!?」
崩落の中心にいるであろう彼女を案じて思わず叫んでしまう。
むせこむほど舞い上がった埃が落ち着くと尻もちをつき頭に開いた本を乗せたアヤちゃんが現れます。
「けほっけほっ! てててて……。あー、びっくりしたー」
「こほっ。アヤちゃん大丈夫?」
「うん、なんとか……ねー。床がここだけ外せそうだよ」
床下の食糧庫でしょうか。アヤちゃんのお尻が乗っている床だけ切り抜かれたような線があり、ほんの少し浮いています。
散らかった書物を一所にまとめ、床板を持ち上げます。
「梯子みたいなのあるよー。下に降りられるみたい。深そう。何があるのかなー?」
「こういうところの地下室と言えば……葡萄酒の貯蔵庫ではないかしら~って、アヤちゃん!?」
「よ~く調べてみないとねー」
「や……! ど、どこ触ってるのですっ!?」
「あはー。間違えちゃったー」
ぺろ、と舌を出し真っ暗な闇の中を滑るように降りていく彼女の後を顔を火照らせながら追います。
当然灯りが無く何も見えないため私は掌の大きさの球体をつくり、照らしながらゆっくり梯子を下り、やがて地面に足がつくと一安心。
先を進んだアヤちゃんを探すべく灯りを高く掲げます。
天井は低く大柄な人では腰をかがめないといけないような狭いほら穴。
ただ洞窟を掘っただけのような作りの壁づたいには年季の入った樽が並んでいます。本当にお酒の貯蔵庫だったようです。
修道会にいた頃も、家にいた頃もよく地下に置かれていて目にしたものですから思わず私はそれらに書かれた日付に見入ってしまいます。
種類はどうも葡萄酒のよう……。少しひんやりする地下室で熟成されたお酒は果たして美味しいのでしょうか。
「ねーおねーちゃーん」
「なんですの~?」
美酒に想いを馳せているところに聞こえたアヤちゃんの声に目線は動かさず耳と口だけで答えます。
「葡萄酒って氷漬けだったりするの?」
「いいえ、そんなことはありませんわ……」
「じゃあ、人の形だったりするの?」
「そんなことはあり得ませんわ~」
「だったら……これ……なんだろ……?」
「いったい何……」
続く質問に何事かと声のするほうを光で強く照らし、声を失いました。
そこにあったのは天井から床まで、横幅は端から端まで壁のすべてを埋め尽くす大きな大きな氷。
仄かに青みがかったその中に、腰まである長い二つ結びの少女が膝を抱えうずくまった姿勢で入っています。
灯りを持った手を近づけるとその肌は浅黒く耳はチトセさんのように長く尖っているのが見えました。
「これは……この耳と肌の色……伝承に聞くダークエルフ……?」
横でアヤちゃんがだーくえるふ?と首をかしげます。協会に伝わる伝承によるとその肌の色から不幸をもたらすとして迫害された、ハイエルフよりさらに希少な種。
どうしてこんなところに。いったい誰が……。ここに住むバンシェンさんなら事情を知っているのかもしれません。
氷の中でうずくまるような姿勢の少女の閉じられた瞳に光が宿ることはあるのか。眠っているのか、死んでいるのか。これは封印なのか棺なのか。全て想像の域を超えません。
想像を超えた光景に、私たちはしばらく佇んで氷漬けの少女を眺めるしかありませんでした。




