3日目 10 ヒナとアサギ 怒りと涙
「よかった……。どこ行ってもいなくて、見つからなくて心細くて……。あ、あのさ、買い出し大変でしょ?そ、その、荷物持ち……」
緊張で声が震える。
どうにか偶然を装ってアサギたちに会うことができた。
このまましれっと荷物持ちを申し出て買い出し手伝いながら話して気まずさを解消しよう。
……違う、本当は謝るのが先なの。
早く言いださなきゃ。
などとあたしの描いたくだらない思惑は砕け散ることになる。
「宿は?」
驚いたような呆れたような――たぶん歓迎ではない――表情でアサギは短く言った。
刃のような鋭さはないけど金属に触れたように冷たい言葉だった。
「へ?」
マヌケな声で返事をするあたし。
声だけじゃなく顔もマヌケだったかもしれない。
「野ウサギと木漏れ日亭はどうしたんだ? 親父さんやローシェンさん帰ってきたのか?」
わずかに早口。
アサギはちょっとでも怒ると早口になる。
切れ長の目がさらに細くなり、いかにも不機嫌。
あれ? あたし何かいけないことしてる……?
「え……いや、その……」
原因不明なのが余計に不安を増長し、しどろもどろになるあたしに追い打ちがかかる。
「まさか、あのオーツーって子を一人にしてきたのか?」
冷たく言い放たれる言葉にさあっと血の気が引く。
顔色が悪くなるのを鋭い猫目は見逃してはくれない。
何も言わなくても答えているようなものだ。
背中にじわりと汗がにじむのが分かる。
「バカ野郎っ! なんで放置するんだよ‼ あの子宿のこと分かんねーだろうが‼ 客か誰か来たらどーすんだよ! 昼の食堂の営業も宿泊も今日やるかどうか決まってねーんだし!」
細まった目を見開き一気にまくしたてる。
一応聞いてはいるけど全部を拾いきれない。
ドルイドの子を一人宿に置いてきたのがいけなかったらしいことはわかった。
「え……と……、その……あたし……」
全く想像していなかったきつい言葉にあたしは言葉で返すことができず、代わりに堪えきれない感情が瞳から零れてくる。
「おい、なんで泣くんだよ!」
泣き出したあたしが悪いんだけど、追い打ちをかけるような非難に聞こえて涙が更に溢れる。
雨が上がり人通りも増えてきたところ。
天下の往来で女の子を泣かせる男、という構図なのもアサギを焦らせているのかもしれない。
けど、場所を移したり取り繕ったりする余裕はあたしにはない。
まぁ、ヒナさんも悪気があるわけじゃないですし……。
とアサギの横にいた詩人君がフォローを入れてくれるのが聞こえるけど、それがかえって惨めに思える。
「悪気なくたっておかしいだろ! 考えなさすぎ! 前からそうだけどよ! 俺が被害こうむるのは別にいいんだ、ヒナがそういうやつだって分かってるから! でもそこんとこ知らない他人が絡んできたらちゃんとしなきゃダメだろうよ!」
「ひぐっ……。ご……ごめ……ひぐっ……ん……なさ……ひぐっ……」
周りの目など気にせず、いや気になるからこそか声が大きくなるアサギ。
うるさいってば……。
声を聴くたび涙がとめどなく溢れて、両筋の滝になって流れる。
もうちょっと優しく言ってくれたっていいのに、とお門違いな文句さえ沸いてしまう。
「具合悪いって寝込んでたんだからいくら回復したからって出かけないで留まるだろ普通! じゃなきゃまたぶり返すだろ! ホントお前は……!」
「ごめんな……ひぐっ……さぁ……い、ごめ……んなさい……!ひぐっ……」
あたしが泣けば泣くほどアサギがイラついているのが分かる。
自分が悪くないのに勝手に泣かれて加害者のような気持ちにさせてるんだと思う。
あたしが泣くのがいけないんだ。
泣き止みたいと思うのに体と感情が許してくれない。
まぁ、そのへんにしてあげて……と詩人君がアイツをなだめるとバツの悪そうな顔をしてそっぽ向く。
詩人君は私の目の前までやってくると、寄るところがあるからこの荷物を持って先に戻っててください、と果物いっぱいの袋を渡してきた。
さっき窓から覗いていたことは秘密にしておきますから、ってバレてたんだね。
今この状況でここに留まっても気まずい空気だけが流れるのは確か。
覗き見を知られても困るし宿のこともあるし別行動のほうがいいよね。
「……ひぐっ……、うん……」
あたしは手のひらで涙をぬぐって俯いたまま荷物を受け取り、そのまま踵を返し何も言わずに歩きだした。
慰めてくれるのかと思いきや荷物は容赦なく重かった。
溢れんばかりの量で落とさないように気を使う。
「野ウサギと木漏れ日亭」への帰路、足取りがやけに重いのは足元のぬかるみと病み上がりなだけが理由だろうか。
帰ったらオーツーになんて謝ろうか……。
お客さん来てないといいけど。
……あれ?
今あたし二人に何も言わずに帰ってきてる?
もしかしてまたやっちゃったかなぁ……。
◇
はぁ。
窓拭きをする手が止まる。
窓の外を眺めれば雨は止んだもののどんよりした空は私の心に似て重たい。
まだ帰ってきませんね……。
こんなに広いとこ一人で掃除しろというのでしょうか。
普段森の中で野営している私にとっては無駄にしか思えません。
森に帰りたい。
三人はまだ帰ってくる気配ないし。こんな空では憂鬱だし。
手が進むはずもありません。
まだ二階が終わりません……。
もちろん一階は手付かず。
ん?
結界に反応……三人?
買い出しから帰ってきたのでしょうか?
それともお客さん?
応対しなくてはいけないのでしょうか、どうしよう。
ひとまず玄関に……。
雑巾を置いて階段の踊場へと出る。
そこから一直線に宿の玄関まで繋がるためお客さんであっても何とか出迎えられるはず。
頭が高いと怒られるでしょうか。
急いで階段降りなくては。
と、階下の姿を確認すると足が止まる。
風貌がいかにも粗末で不潔なガラの悪い男たちだったから。
「おい、こいつか?」
ツンツン頭にバンダナ巻いた長身の男が私を一瞥する。
いきなりのコイツ呼ばわりにムッとする。
「話によると黄色の髪に黄色い瞳だとか言ってたな」
「黄色ねぇ……。これは黄色って言えるのか?」
「どっちかっつーと土色だな。華やかさが無い。地味女だ」
「違いねぇ」
どっと沸く下卑た笑い声。
鬱陶しい。
ツンツンのほかには横幅のでかいハゲとひょろひょろに後ろ一つ縛りのロン毛。
いかにもな悪人面。
この人たちなら生贄にしてもいいですか。
「誰ですかあなたたち」
階段を下り追い払おうとなんとなく持ってきてしまった箒を杖代わりに構える。
「おっと騒ぐな」
瞬時に背後に回られ後ろ手に取られ、手から零れた箒が床に落ち乾いた音が鳴る。
応戦しようとするも、手を振りほどくことができず口をふさがれ喉元に冷たいものが当たる。
金属の刃。ドルイドが忌み嫌うもの。
「なぁお嬢ちゃん。黄色い髪した女の子知らねーか?」
首を横に振る。口を押さえている手が汗臭いため涙が出てくる。
たぶんアヤメって子かジーナさんのことなのだろうけど、そんな簡単に口を割ってはいけないことくらいわかる。
どう見てもお仲間ではないもの。
「そうか……、無駄足だったか。……ククッ。せっかくだからお嬢ちゃんいただこうかな」
私の返事にずいぶんもったいぶってツンツン頭が反応する。
「はっ、それはいい。名案だ。」
「生娘かぁ? どんな声で啼くのかなぁ?」
アホの提案にアホ仲間が同調する。
どいつもこいつも頭おかしい。
「へへへっ、それじゃあさっそく、いただきますかぁ~」
ツンツンがあたしを取り押さえ、ヒョロヒョロがナイフを突きつけているため、デブハゲが私の黄土色のローブを手にかける。
「んーーー‼」
やめろ! と言いたいが口を塞がれ言えなく、弱弱しい音だけが漏れる。
これは、ちーさまからもらった大事な法衣なのに!
あなたたちのような薄汚い手で触れていいものじゃない!
私の願いも虚しくデブハゲが両手で裾をつまむと一気に引き裂き、私の白い素足があらわになる。
辛うじて下着までは至らなかったがパーティードレスでもなかなかお目にかかれないほどのスリットを入れられた。
ヒョロ男が口笛を鳴らす。
「それじゃ、今度はこっちをいただこうかな」
ヒョロ男が手にしたナイフで胸元から縦にじわじわ切り込みを入れていく。
そんな……だめ……ちーさまになんて謝ればいいの……
視界が滲む。振りほどくことができない非力な自分が憎い。
布で覆われていた首筋、そして鎖骨が露わになり雨上がりの冷えた外気に触れる。
このまま私はこんな奴らに……!
助けて、ちーさま!助けて、誰かっ……!
「何してるの!?」
祈りが通じたのか、
宿の入り口が開け放たれ、よく通る済んだ声が飛び込んできた。