3日目 3 古びた洋館と宿の成り立ち
「着いたわ、あそこよ」
雨の滴をしのげる林の中で立ち止まり、その一声で夜色の外套に身を包むオレたちは一斉に頭巾を外す。
一気に視界が開けると思ったがまだ暗いためほとんど何も見えない。視界不明瞭なのは頭巾のせいではなかったようだ。
「どこー?」
「真っ暗で見えませんわ。エルフと人間の五感の差を思い知らされますね……」
晩秋から初冬に差し掛かる時期であり日が昇るのが遅いのに加えて今日はあいにくの雨で余計に空が明るくならない。
夜中から降りだした雨はまだ続いており、少し雨脚が強まってきているため一層肌寒い。
「野ウサギと木漏れ日亭」を出発し宿場街を南から北に縦断して辿り着いた街はずれの墓地。
街並みは遠く離れ周りは木々が立ち並ぶばかり。鬱蒼としていて昼間でも薄暗い、気味の悪い場所だ。
チトセは目的地を指さすが正直暗くて見えない。
ほんのり緑みを帯びた白色のしなやかな長髪と深い千歳緑色の瞳、エルフ族特有の尖った長い耳を持つチトセ、柔らかい黄色のショートヘアと瞳を持ち笑うと牙の覗くアヤメ、アヤメと同じ柔らかい黄色をし腰まで届くサラサラな長髪と茶色の大きな瞳のジーナ、そしてオレ……のことはどうでもいいわな。
騎士隊からジーナとアヤメを匿うため知恵を出し合った結果思いつく限り最も安全な場所へとやってきた。
「いやぁひどい目に遭った。これは不快な術だな」
人目を避けるため建物の壁沿いをできるだけ目立たないよう、まだ夜が明けない暗がりをひたすら走ってきた。
隊列が乱れないようアヤメの幻術、同調を使って。
同調はかけたものと同じ動作を強制的に行う。魅了のように精神を支配下に置くのではなく、体だけ操るので傀儡に似ている。
傀儡は術者が意図したように操るが、同調はただ同じ動作をさせる、というのが違いらしい。
意に反して体が動くため違和感とストレスがすごく、何というか肩がこるような感覚だ。
手練れであれば10名ほどの小隊を丸ごと操ることもできるらしいが人数を増やすほど精神力魔力の消耗が激しい。今回のように集団行動を行いたい場合は有効だがあまり出番があるとは言えないもの。
揃いの外套、長靴を使うことでよりかかりやすくなるとか。
まぁ、どうでもいいことだが。
「つーかーれーたー。走りながら同調かけ続けるなんてしんどいー。こんなに遠いだなんて思わなかった―。魔力すっからかんだよー。もー無理―おねーちゃんおつかれさまのちゅーしてー」
「あらあら、アヤちゃんたら」
小休止しましょう、と聞くが早いかアヤメは早速地面に尻をついて投げ出した足をバタバタさせながら小声で喚く。状況を見てか声だけは絞っているが追われる身であるという緊張感はまるでない。
ジーナは困ったように照れながら頬に軽く口づけをする。
「ずるいわ」
すかさずチトセが口を挟む。目ざといな、おい。
「斥侯役も神経使って大変だったのよ。私もちゅーしてもらわなければ不公平ね」
「だめ!ボクのおねーちゃんなの!」
アヤメはチトセから遠ざけるようにジーナに抱きつき文字通り牙をむく。いや、こんなちんまりしたのは八重歯か。
「じゃあ私とも姉妹になればいいじゃない」
「まぁ」
「まぁじゃないよおねーちゃん!なんで乗り気なの!このアバズレエルフめ!おねえちゃんは渡さないぞ!
「淫魔にアバズレ呼ばわりされてはこの世の終わりですわ」
「おじさんにしてもらえばいいじゃないかっ!」
涼しい顔したチトセの発案にジーナは頬を染め、止めたいアヤメは真っ赤な顔で抗議。ってなんでオレの名前が出る。巻き込むな。
「どうして私がラストなんかと……コホン。それもありですね」
騒ぎながらオレと目が合うと若干頬を染める。なんでだよ。
「ないだろ!」
「おじさんなんで怒ってるのー?」
「きっとウブなんですわ」
「うぶってなーに?」
「ウブではないけど照れ屋なのよ」
「ねぇ、うぶってなーにー?」
「それはね……チョメチョメしたこと無いということですわ」
「ほうほう」
「お前ら……全部聞こえてるからな……宿代倍な……」
いがみ合っていた二人は自然と共闘になりいつの間にかオレが標的。なんだこりゃ……
宿代をエサに脅しをかけ3人の血の気が引いたところで空から重苦しい音が響く。雷だ。
本降りの雨でも飽き足らずお天道様は相当にご機嫌斜め。お陰で不毛な言い合いも打ち切り終了だ。
しばらく休憩していると夜明けを迎え、雨は降り続いているものの空が少しずつ明るくなり、曇天のフィルターごしにわずかながら光が届く。
チトセが指さしていたものが明らかになる。辿り着いたのは宿場街はずれの墓地に隣接する古びた洋館。
白かったであろう漆喰固めの外壁は黒ずみ、のびっぱなしの蔦が壁を侵食しており「野ウサギと木漏れ日亭」と同じくらいの大きさと年季の入った建物だ。
「古い建物だねー」
それもそのはず。「野ウサギと木漏れ日亭」とこの洋館の2軒はこの辺りでは一番古い――宿場街が作られる前から存在しているのだ。
「おじ様はそんな昔から宿屋ですの?」
「オレが店番するようになって10年ぐらいだ。もとは森の管理人の屋敷だったのを、どっかのバカがみんなが峠を越えやすくなるようにとかなんとか思い付きで宿に改築しやがって。その上一か所にとどまるのは性に合わなかったなんて抜かして運営俺に全部押し付けていきやがったんだ」
「冒険者を引退して腐ってたラストを生き返らせる算段よね」
チトセがクスリと笑う。
「バカ言え。嫌がらせだろ」
「じゃあ、どうして宿屋を続けているんですの?」
「そりゃ……放浪癖のあるアイツが、帰りたくなった時に帰れる場所があったほうがいいだろ」
「なーんだ、ラブラブじゃん」
「そいつが女なんてまだ言ってねーだろ!」
「女性なんですの?」
「う……」
「ええ、そうよ。とびっきりの美少女」
「チトセ、余計なこと言うな!」
「いいじゃない。あら、顔赤いわよ」
「ほっとけ!」
ケラケラと一同笑う。
うっせー。10年以上前の話だろーが。だから昔のことは話したくないんだ。
「さ、そろそろ行きましょう」
休憩とは名ばかりでどっと気疲れしたがいつまでも油売っているわけにもいかない。無駄話している間は誰も通らず人目に付かずに済んだがずっとそうだとも限らない。
立ち上がり裾の汚れを払う。幸いなことに地面が濡れていなかったので外套はそれほど汚れずに済んだみたいだ。
館へと歩みを進めるが、そこで異変に気付く。門が固く閉ざされていた。目の前まで来て確認するが完全に施錠されている。
「あれ?なんで開いてないんだ?ローシェンが開けておくって……」
「間違えて閉めて寝ちゃった?」
「ローシェンさんでそれは考えにくいですわね……」
しっかり者のローシェンだ。こんな重要な時についうっかりなど考えにくい。
どっしりと立ちふさがる重苦しい鉄製の格子門。
どうにか開かないものかと調べていると唐突に甲高い金属音が鳴り、噛み合わさっていたはずの鉄製格子門が中央で縦に割れ左右にゆっくり開いていく。
「え……?」
「鍵はしっかりかかっていたわ……」
「特に気配は感知しなかったよ?」
「……呼ばれてるのか……?」
全員目をぱちくりさせ、顔を見合わせる。
驚かせるための演出か、それとも何か異変が起きているのか。
見合わせた顔を引き締め互いに頷き、考えても始まらないと意を決して前へ進む。たとえ罠だったとしても。
門の先、石柱に住まうのは悪魔祓いの石像。ガーゴイル。
鋭い爪を持った両の手足で柱にしがみついていて今にも跳びかかってきそうだ。
「あれ……!目が赤く光りましたわ……」
すれ違いざまに石の悪魔を見上げたジーナが口に手を当て目を見開いて訴える。
「見られている気がするのは魔力が込められているからよ」
「普段は動くことはなく、非常時に警備兵代わりに賊を捕らえに動くんだ。動く石像。古くからある守り神だ」
ゆっくりと歩みを進めながら答えていく。
「そ、そうなんですね……それでも不気味ですわ……」
「ここはもともと礼拝堂だったの。古い女神信仰のね。今は礼拝堂としては開けてなくて墓守の住居として使われてるの」
「チトセさんとおじさまここにきたことはあるのですか?」
「あぁ、……最後に来たのは5年前くらいか?」
「あら、あなた随分来てないのね」
「なんで来ないのー?」
「まぁ、ちょっとな……」
濁してはぐらかそうとしたとき、耳をつんざき曇天を切り裂く雷鳴が轟く。
「きゃっ!」
ジーナが耳を塞いでうずくまる。
「今のは落ちたか……」
「おねーちゃん大丈夫?」
「え、ええ……ちょっとびっくりしちゃって」
大粒の雨がバラバラと体に打ち付けてくる。早足で庭を抜け玄関まで行くと背後で冷たい金属音が鳴る。
振り返れば門が再び閉ざされていた。
「ありゃま」
「た、たまたまですわよね!?」
ジーナに明らかな動揺が見える。
こいつ怖いの苦手なんだな。アヤメはさすが悪魔。通常運転だ。
退路を断たれた以上中に入らなければ埒あかない。
鬼が出るか蛇が出るか。玄関をノックする。
「おーい、ローシェン?着いたぞー!」
返事が無い。
「ローシェン!?いないのかー??」
やはり反応はない。
「中、開けてみるわ」
「気を付けろ、様子がおかしい。何かあるかもしれん」
チトセが扉に手をかけ引くと重い抵抗とともにゆっくり扉が開く。
ぎぃ……と不快な音がする。門とは違い施錠されていない。建付けの悪い玄関だな。うちといい勝負だ。
中は真っ暗、黴臭く埃っぽい。
明けた玄関から入る厚い雲ごしの薄い朝日が唯一の光源。窓もカーテンで遮られて光が入らない。それがまた薄気味悪さを増す。
「ホントにこんなところにいるのー??」
「いる、という話だが……?ローシェン!おーい!」
声に誘発されたように背後に強い光。数瞬後に地鳴りのような激しい音が響く。
「雷が近づいてやがる……」
急に雨脚が強まり土砂降りになった。中に降りこんでくるため全員一塊になって扉の内側まで歩みを進める。
扉が外れるのではないかと心配になるような大きな音。触れていないのに、風向きと逆なのに唐突に玄関の木戸が閉まる。
「きゃぁっ!?」
叫ばれた声ががらんとした空間にこだまし、視界が再び闇に包まれた。
「閉じ込められた……?」
ほんのちょっぴりホラー風、
ほんのちょっぴりラストの過去。
何がいいか分かりませんが手探りで色々試しています。
一言でも感じたことそのまま感想いただけたら幸いです!