3日目 2 闇夜を駆ける4つの影と走り抜ける荷馬車
いつもであれば遅くまで賑わっている歓楽街エリアさえ、ごく一部を除き営業を終えた。
人々は寝静まり、夜明けまで街並みは闇の中に沈む。
眠りに落ち束の間夢を見る街道沿いの宿場街。
街の設備投資は資金が潤沢にあるわけでもない。まだまだ整備の途中であるため比較的大きな通りの所どころにだけ申し訳程度にぼんやり街灯ランプが灯るのが現状。
夜遅くまで人の往来が多い歓楽街には治安面から優先的につけられているものの青白い火がいくら頑張ろうと明かりは薄暗く心許ない上、部分的に照らし出されるのがかえって不気味さを出している。
暗闇に浮かぶそれは鬼火のようであり、この時間に道行く人がいたならば設置された意図に反して不安や恐怖を与えることになると言える。
いっそ何も見えない暗がりのほうが精神衛生上はいいのかもしれないと考える者も中にはいる。
暗闇に光が浮かび続けるのは旅の中継地点以上の役割を持たない田舎町にとっては慣れない不自然な光景なのだ。
今夜の店終いが早いのは雨降りのせいもある。
本格的な冬の訪れより早く、夜更けにちらついて人の心を躍らせた雪は雨に変わったことで落胆させるのは十分だった。
月明りは厚い雲に覆われ届かず、闇夜に音色を奏でる梟もせわしく飛び回る蝙蝠も降りしきる雨を前にしてはだんまりを決め込んでいた。
聴衆のいない演奏会の如く町に好き勝手、不規則なリズムで音を奏でている。
言ってしまえば同じ水なのに見た目一つで天と地の差の反応をされるのは仮に雨粒に意思があるとしたらやりきれないものがあるだろう。
今宵の雨はへそを曲げた精霊のせいで一層冷たくされているのかもしれない。
晩秋……ほぼ冬と言っていいが雪になるには少しばかり早すぎたこの時期の雨は昏く冷たい。備えなく飛び出してその身に浴びればあっという間に風邪ひきの仲間入り。
雨除けの外套を羽織ったとしても手が濡れてしまえばすぐさま熱を奪われ指がかじかんでしまうだろう。
そんな誰もが進んで出歩くことを遠慮したがる宵闇の中、静かに駆け抜ける4つの影があった。その大きさ中小中大。列を横から見ると並びはこう見える。
全員が夜色の外套に身を包み頭巾を目深に被っているため表情は見えない。
訓練された兵士のように乱れ無く縦列を組んでおり、交わす言葉もなく黙々と駆け足で走り去ってゆく。
人目と雨露を避けるように、他に行き来するものなど無いというのに遠慮しているかのように道の端、建物に沿って駆ける。
立てる音はその身を覆う外套が雨の滴をはじく音と、足の踏み込みで跳ねる水溜まりだけ。
外套には撥水を施されておりひっきりなしに降りかかる雨を綺麗に弾いて内側に浸み込まない。浸みてこようものなら冷たさと不快感で歩みが鈍ったかもしれない。
防水処理を施された布は打ち付ける雨から水の侵入を許さず中にいる者を優しく守る繭。
長靴もまた同じ夜色の素材でできており雨と冷えから足元を保護している。
市場に出回ったとしたら飛ぶように売れるに違いないが、あいにくごく少数の生産しかされない、庶民は知る由もない夢のような品である。
4つの影は背丈にばらつきがあるものの歩幅も駆けるぺースも一定に進行を続けていたが、斥侯役と思わしき先頭が不意に立ち止まり左腕を少し開いて伸ばし後続を静止させる。合図と同時に全員がごく滑らかに立ち止まる。
雨音が若干煩わしく、匂いに至っては雨でかき消されてしまいがちだが少しでも遠くの気配を感じ取るように目と耳と鼻に神経を集中させる。
その間後ろに並ぶ3人は木立か小岩のように微動だにせずじっと待つ。端からでは呼吸しているかどうかさえ判別がつかない。外套の覆いはそれほどしなやかで厳重なものであった。
「……お願い」
神経をとがらせていた先頭が張り詰めた、それでいて雨音に消えそうな小声で言う。一瞬間があり4人の姿がスーッと吸い込まれるように闇に紛れていく。
ほどなくして、雨音しか響かなかった街にけたたましい音が迫る。
雨粒より激しく打ち付ける蹄鉄とぬかるんだ道を走るのにはおよそ適さない緩衝装置の無い木製の車輪が付けられた荷馬車。勢い余って横転するのではないかと心配になるほど馬車は大きく揺れている。
通るものなどいない前提の速度。栗毛をした痩せ気味の馬が一心不乱に泥道を踏み鳴らす。
朝市に間に合わせるべく出荷された作物を運ぶ夜行だ。鞭で叩かれるより悲惨なこんな雨の中に夜通しで走らなければならない馬が不憫である。
ついさっきまでそこに4人が立っていたのが幻であるかのように、いや馬車の側からすれば視界に入る前に消えているのだから初めからそこには何もいなかったかのように通り過ぎる。
仮になにかがいると認識できていたとしても通行の妨げにならない限りは進む速さを変えることなく突き進んでいたであろう。馬車を操る御者にとって、時間までに荷を届けることこそが命題なのだから。
そして雪からの雨降りで思うように進めずその期限は刻刻と迫っているのだから。
もし仮に気付いていたとすれば驚いて手綱を引いてしまいいきなり引っ張られた馬もまた暴れてしまったかもしれない。
勢いを殺すことなく、水たまりの泥水を容赦なく飛び散らかせながら荷馬車は一目散に宿場町の中心部にある市場へと向かう。
もう目と鼻の先。急ぎ過ぎてぬかるみにはまり脱輪さえしなければ……。見ず知らずの相手ではあるがほんのわずかな時間、斥候役は目を閉じ無事の走行と到着を祈る。
祈りを終えた頃には馬車は視認どころかその音さえも確認できないほど離れていた。
暗闇に紛れ見えなくなっていた4つの外套姿がじわじわと浮かび上がってくる。紙に書いたインクの文字が水で滲むように、染め液に触れた布が一気にその色を吸い上げるようにゆっくり、それでいてあっという間に。
「……さ、行きましょう」
先頭の斥候がそう呟く声には少し疲れが見えるがいつまでも足を止めているわけにもいかないため再び外套姿の4体は縦列を作り走りはじめる。
距離は特別仰々しいものではない。小さな街の端から端まで縦断するだけのこと。
道中に魔物や獣が出るわけでもなく野外の旅に比べれば安全そのものであり道程は既に半分以上すぎた、憂慮するべきことはそう多くはない。
それでも神経を研ぎ澄ませながら先頭を切って進むことへの自身の負担は大きい。
一人であれば、また自分と同じくらいの察知能力を持つ者がいれば幾分楽であろう。
連れの安全までも一手に引き受けながら急ぎで進む重圧は相当なものであった。
この天気では簡単には明るくならないだろうから、あと一息、夜が明ける前に人が動き出す前には辿り着いておきたい。
焦りすぎると周囲への警戒が疎かになるため急ぎつつも慎重に行かなければならない。
降りしきる雨のせいで音も匂いも光も疎ましい……五感がことごとく鈍る。
それでも精一杯神経を研ぎ澄まさなければ、自分がそれを行わなければ全員が立ち行かない。援助は望めない。頼れるのは己の力だけであった。数えるのも思い返すのも億劫なくらい久しぶりに出す本気。
ここまでは順調だったが、この先もそうとは限らない。いつどこで待ち伏せがあるかもしれない。相手は未知数。用心するに越したことはない。
そのためにわざわざこんな時間に強行軍を行っているのだ。
汗などほとんどかくことが無い己の額にじわりと滲むものがある。こんな寒い時期に。
それほどの集中を要するのだ。到着までこの身が持つか。近いようでまだまだ遠い。
街の中心から離れていくため街灯ランプの数が目に見えて減り、間隔も広く、この次が最後かもしれない。
そうなったらあとは夜目と聴覚嗅覚だけが頼りだ。
何事もないように―――。
荷馬車を見送ったときより何倍も強く願わずにはいられない。後続たちも同じ想いを秘め、一行はさっきの荷馬車とは正反対の方角、南から北へと進みやがて深い闇へと消えていった―――。
ホラー的な、おどろおどろしさ出したかったけど、出てないですね!!難しい!