2日目 23 ヒナとアサギ⑤ 水狐とマボロシスズクサ
『人の子よ……驚かせたな……こやつはいつも悪戯が過ぎる性格でな』
「ゲーホッ! ゲッホッゲッホッゲッホッ!」
水を飲んでしまい、ちょっと気管に入ったみたいで俺はむせ込みまくっている。
『悪気はないのだ……。許してやってほしいのだが……、どうだ?』
「ゲホッ……! ゲホゲホゲホッ! すーーっ…… ゲッホ! ゲホゲホゲホッ」
落ち着くまでひたすら咳込むしかないのに、問われても困る。
これすげー体力持っていかれるわけで……。
どっからか音が聞こえるけど、姿は見えないからひとまず無視……。
『なんだ、許してくれぬのか。よほど怒らせてしまったのか……ニンフ……』
「そんなぁー! アタシそんなに悪いことしてませんってばぁ~~」
「ってぇオイ!! 勝手に話進めんなぁーーーー!! むせ込んで苦しんでんの!! 返事したくてもできないわけ!! ちったぁ話し相手の様子くらい気にしろよ!!」
なんでこんな話通じない奴らばっかなんだよ!! って、魔物相手に何求めてんだ俺……。
『む。そうか。それはすまなかった、貧弱なニンゲンよ』
「うっせーわ!!」
貧弱とか人が気にしてることをっ!
呼吸が落ち着いた俺は水流で飛ばされた帽子を拾い、濡れた頭に被せる。
とても気持ち悪いが、載せておかないと失くしそうで。
これには結構愛着あるんだ。
「許すとかどーでもいいんだけど。こっちがそちらさんの縄張り?ん中勝手に入ったワケだし……。つーか、あんた誰すか」
音だけの主相手に、どっち向いて喋ったらいいのか全く掴めなかったから、とりあえず川のほう向いてみたが、完全に一人でぶつぶつ言ってる頭のおかしい奴だよな……。
『私はこの先の泉に棲まう“水狐”じゃ』
偶然にも、視線の先、川の流れの上に青白い炎の玉――俺の居た世界じゃ人魂なんていったっけな――こっちじゃ“ウィル・O・ウィスプ”なんて呼ばれるものが、うすらぼんやり現れた。
あー、名乗りはするけど姿は見せないワケね。
墓地や暗がりだったら驚くんだろうけど、白昼堂々、それもニンフなんかが出てきたあとじゃ驚きも何もあったもんじゃない。
「それじゃ、水狐サン?連れの二人を解放してもらって帰りたいんですけど」
『そこにいる者たちじゃな。いいだろう……ふむ。そうか、そなたら……』
「なんかあんのかよ」
『……記憶を読ませてもらった。こやつは地の蛇と縁があるもの……。こやつは……なるほど。ここには純粋に迷い込んだようだな』
ああ、やっぱそーゆーのわかるのね。
二人の頭上を青白い鬼火が踊るように回る。
敵意はなさそうなので放置するしかない。
『そなたも幾分変わっておる。今すぐ、というわけではなさそうだが、運命の歯車は動き出したら止まらんからな。その時は覚悟されよ……』
「ぼんやりした忠告どーも。一応覚えとくぜ」
『したらば戻るがよい。森の入り口まで送ってやろう。ただ、ここでのことは、悪いが記憶から消させてもらうぞ……』
もう帰られればなんでもいいやと思って、目を閉じようとした、その瞬間。
視界の端っこに、見えた。
いや、見間違いかと思ったが、勘がホンモノだと、呼んでいた。
「あー!! ちょっとタンマっ!!」
『なんだ?』
こんな瞬間で、俺はなんてものを見つけてしまったのだ。
「そこに生えてんの! マボロシスズクサ!! それだけ採らせて!! それだけあったら借金チャラにできるっ!!」
許可を得るどころか、自分が言い終わらないうちから身を乗り出して、ギリギリ届くかの位置に生えていた野草に手を伸ばす。
出来るだけ多く……っ! 間に合え……っ!
「っさい!! 図々しいゾニンゲン!! ダーリンにならない奴なんか、とっとと帰れ~~っ!!」
ニンフの怒鳴り声がしたかと思えば、また水を浴びせられた。
それもバケツをひっくり返したみたいな野太い流れ!
その水流に、冷たいなどと感じている間もなく、今日何度目か……、気が遠くなる……。
◇
……ギ……! ……サギ! ……サギ!!
「アサギ!!」
煩わしい高音に瞼を押し上げると、顔を覗き込んでいるヒナの、目尻に光るもののある緋色の瞳と目が合った。
瞳と同じ色の髪が、風に撫でられて、揺れる。
鼻の頭がくっつきそうな距離……。
「わ「きゃぁぁぁぁ!」
俺の悲鳴はかき消された。
「い、い、い、いきなり起きるなぁぁぁ!!」
何故か顔だけでなく耳まで真っ赤にして怒鳴る緋色髪少女のヒナ。
なんで俺怒られてんの……?
「起こしたのそっちだろ!」
詩人が少し離れたところで、お腹を抱えて笑っている。
おーい仲裁してくれ……。
っと。ここは……?
ヒナがやんややんやと騒ぐのを聞き流しつつ、あたりをよく見渡す。
見覚えのある樹木。
これは……最初に罠にかかった場所……?
「なんか魔物に追われて走ってるうちに、戻ってきちゃったのね」
俺の視線に気付いたのか、暢気にヒナが言う。
そうだったか……? あれは……夢だったのか。何かと話していたような……。
いや。手許に一掴み、薬草があった。
薄く紫がかった透き通った青色の茎をし、白い鈴のような花がいくつも付いた仄かにツンと鼻に突く香りのする野草。
幻の薬草……幻惑消しの、マボロシスズクサ。
たしかに、あった。細かいことは……、まぁいいか。
なんだか変な時間だったが、全員無事だし……。
薬草が傷まないように、荷物入れの一番上にそっと置く。
「帰ろうぜ」
俺は立ち上がる。
詩人が頷く。
「あ、ねぇ! ちょっと待ってよ! アサギ、収穫はいいの―⁉」
「あぁ、十分採ったさ!」
「なんなのー! いつの間に―!!」
後ろからヒナが一拍遅れて立ち上がり、駆け寄ってくる。
俺達は森の入口へ向かう。
昼寝ができたせいか、その足取りに疲れが無い。
さ、あちらさんは首尾よくいったかな。
加筆部分最後です~~