2日目 21 ヒナとアサギ③ 森の中の逃走劇と溶岩液
威嚇射撃を躱し一安心……となるはずが無く。
粘液を飛ばしてきた“何か”が繁みを突き抜けてくるのか、低い木の枝葉が大きく音を鳴らす。
「……っ!」
詩人君が大急ぎで体を起こし、あたしの方まで走る。
あたしはもう一度「燕」を飛ばせるよう、短剣を鞘に戻す。
彼があたしとすれ違うと同時に、粘液の主が繁みから姿を現す――!
出てきたのはあたしの膝下くらいの大きさ、黒光りで丸みを帯びた外殻と、そこから生える三対の節足を持つ下半身に、物語に出てくる人馬みたく人型に近い、同じく黒色の上半身が生えた魔物。
頭部もまた黒く鉄球のようで、複眼に大きな鋭い顎と直角に折れた触覚を一対もつ、蟻のも……の……。
「虫ぃぃぃぃぃぃ!!」
あたしは術を放つことも忘れて思わず飛び上がり、拍子に何かが地面に落ちて鈍い音を立てる。
そういえば何か膝に乗ってたっけ? そんなことより虫よ虫! それも巨大な‼
「炎! 遠! 延! 円! 宴! 演!」
あたしは咄嗟に、思いつく限りの術を短剣に込める。
繁みから次々と奴らは出てくる。
ドン引きなんだけど……、歩いて火に入るなんとやら!
広範囲に術放って一気に殲滅してやるわ!
あたしのむき出しの殺気に気付いたのか、大蟻は前傾姿勢になり、そこだけ溶岩の様に赤く膨れ上がっているお尻を高く上げる。
これはさっきの粘液の発射体勢……? やられる前にやらなきゃ……!
右手は左に左手は右に、腕を交差させ両腰に差した短剣の柄を握り、大蟻に向かい駆け出す姿勢を取る。えへへ、見せ場ね!
「危ないから下がっててね! 『炎神全……っ!』
「アホかぁぁぁ!!」
突然の怒鳴り声とともに横から何かがぶつかってきて、あたしは短剣の柄を握ったまま抱きしめられた格好になる。
「え? え?」
自分で跳躍していないのに足が浮く。
走り出したアサギに抱えられていた。
え? やだ、ちょっと、こんなところで大胆……!
意図が分からないけど状況に顔が熱くなる。
「森を焼く気かよ!! ずらかるぞ! 君も走って!」
アサギはあたしをお姫様抱っこして走りつつ詩人君に声を掛けると、真っ赤な顔で今度はあたしを見る。
「アサギ⁉ 起きたの⁉」
「あのなぁ……。あんな風に放り出されたら、目ぇ覚めるだろ……。せっかく気持ちよかったのに……」
「……は?」
「……え?」
聞き捨てならない。
顔が赤くなると同時に、こめかみにはきっと青筋が浮かんでる。
「眠ってたのなら放り出したのわからないわよね。それになによ、気持ちよかったって! あんた……とっくに気が付いてたのね⁉」
「わー! 悪い! お前が優しくするなんて滅多にないから、つい膝枕を堪能したくて‼ ってか、お前だって言ってたじゃねーか! もう少しこのままでいいかって!」
「~~~~~~~!!」
どこまで聞いてんのよ、こいつ‼ もう! 信じらんない‼
ぶん殴ってやろうと振りかぶったけど、アサギはその前に降参してきた。
「ダメだ、ヒナ、……やっぱ重い! 自分で走ってくれ!」
「なぁんですってぇ!」
違う意味で顔に熱を持つ。
乙女に向かって重いとか許さんッ!!
言うが早いか、拳を放つより早くあたしはすぐさま下ろされる。
着地と同時に走り出したけど、アサギの背中はもう十歩も先にある。
あいつ~~! 逃げ足だけは早いんだから!
全速力で追いかける。
詩人君はあたしの二歩ほど先を走る。
背後からは大蟻が追ってくる。ん~! しつこいなぁ!!
「ねぇ! 退治しちゃダメなの⁉」
「お前の術は火が出るだろ! 森が焼けたら終わりだぞ!!」
「術無しでも倒せるでしょ⁉」
「数が多すぎる!!」
いやいや、さっき見た限り十匹いるかどうかでしょ。そんなの余裕で……!?
走る速度を弱めない程度に後ろを覗くと、駆け抜けた道の地面という地面が真っ黒に埋め尽くされている!
「な、なんなのこれぇ!」
思わず足が早まる。
立ち止まったら一巻の終わり。
蹂躙され、あいつらの餌にされるわ!
鬱蒼とした森の中、道なのかどうなのか分からないところをひたすら走る。
他の魔物に出くわしてないのが救い。
どこをどう走ってるか、方角がどうとか一切分からず、とにかくアサギの背中を追いかける。
途中で脚がもつれそうだったり、蔓やぬかるみに足を取られそうになるけど、その度に足で思い切り大地を踏みしめ、崩れたバランスを安定させる。
幸いなことに奴らの粘液は止まった状態でしか放てないみたいで、こうして走っている間は追いかけるばかりで攻撃してこない。
「こっちだ!」
先頭を走るアサギが急に右に曲がる。
詩人君とあたしはそれに続く。
「跳べっ!」
曲がったと同時、言われるがまま大きく跳ぶ。
斜め前方、放物線を描くよう飛び上がったあたしは自然落下が始まったタイミングで、今度は腕を引っ張られる。
「きゃあああっ!!」
この日何度目かの悲鳴を上げ、勢いそのまま地面にぶつか……らなかった。
「ぐふぅっ!」
あたしはアサギのお腹の上に落下していた。
クッションになったほうは苦悶の表情を浮かべている。
「あ、ごめ……っ!」
大慌てで退く。って、あれ? 蟻は?
振り返ると、小川のせせらぎがあり、大蟻は水が苦手なのか川向うで立ち止まっている。
飛び越えたのはこれだったのか。
ど……どうにか、助かったみたいね。
大きくため息をつくあたし。
と、大蟻たちの姿勢が変わる。
一斉にお尻を突き出してって、発射体勢!?
そりゃそうよね……。川幅なんて蟻が渡れないだけで、あたしが両手を広げたより狭いんだし。
あたしが一番川に近いんだから、狙い撃ちされるのは――当然あたし。
「ヒナ! こっちに!」
って。アサギいつの間にそんなに遠くに。悶絶してるんじゃないの?
置いてくんじゃないわよ!すぐに追いついてやるわよ……って、ありゃりゃ。
「何してんだよ! 早く! 狙われてんだぞ!」
「分かってるわよ! 分かってるんだけどさぁ……腰が抜けちゃって……」
「はぁ!?」
とても他所様には見せられない呆れ切った表情を向けてくる。
ほーんと腹立つわね!
「あたしのことは構わず逃げて! なーんてね……」
「お前……あいつらの粘液、麻痺毒あるから死ぬほど苦しむぞ」
暗い笑顔でアサギは言い放つ。
「待ってぇーー!!置いてかないでぇぇぇ!!」
「落ち着いたころに骨は回収してやる。じゃあな」
「裏切ものぉ―!!」
そんなやりとりをする間にも蟻はどんどん寄ってきており、次々に粘液の発射しようと構える。
うう……一思いにやってよ……。
あたしは観念し両手を組んで女神様に祈りを捧げる。
(ああ、短い人生でした。せめて憧れの勇者様に人目お会いしとうございました……)
心の中でそう唱えていると、川のせせらぎに混ざって楽器の音色が聴こえてきた。
―――♪
詩人君だ。
商売道具の竪琴を手に、心地いい音色と歌声を森に響かせる。
今にもお尻の火山を噴火させようとしていた蟻たちが、一匹、また一匹といきり立った姿勢を解き、その場に崩れていく。
「すごい……」
詩人君の歌には眠りの魔法がかかっているみたいで。
あたしも昨日、風の勇者様の冒険譚を聴きながら寝ちゃったのよね。
一面の溶岩が一転、黒鉄の絨毯になる。
「た、助かったぁ~」
今度こそ、本当に……。
あれれ、なんだか意識が遠く……。そっかぁ~、あたしも術にかかって眠く……。