2日目 9 悩み事とエルフの誘惑
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冬の朝の凛とした空気を感じながら、浴室を出て渡り廊下をあたしはトボトボと歩く。
乾ききってない髪がひんやりした空気に冷やされていく。
湯冷めしちゃうかも……、なんてどうでもいいことが片隅に思い浮かぶ。
髪は長くないけれど、乾かし切るのが面倒でいつもタオルでがしがし拭いて終わりにしている。
ジーナとかサキちゃんみたいなサラサラの髪には憧れるけど、あたしは手入れができないし、これでいいやって思ってしまう。
そんなことより。
謝らなくっちゃ。謝らなくっちゃ。
そう考えているとどんどん食堂への足取りが重くなる。
ほんのわずかな距離を、恐ろしくゆっくり歩いてしまう。
起き抜けに勘違いからアサギを殴ってしまい……。
部屋を出た後にすぐ戻って謝ればこんなにもやもやしないで済んだのに、怒られたらどうしようってためらって後回しにしちゃったから余計に気まずい。
どうしよう、時間が経ってるぶん余計に怒ってるかな。
お風呂入ってさっぱりしたけど、そればっかり気になって、気持ちはちっともすっきりしない。
「はぁ……」
大きくため息をつく。
誰も聞いていないだろうけど、誰かに気付いてほしくてわざと声に出した。
人に相談するのって苦手……。
人からどうしたの?って聞いてもらえたら話しやすいけれど、自分から聞いて聞いてっていうのは厚かましく感じて言えない。
人がそうしてきてもなんとも思わないけど、あたしがそんなことしたら嫌われそうだし。
胸に両手で抱えている着替えた服をぎゅっと強く抱く。
下ばかり向いていてもいけないと思い、窓の外に目をやる。
澄んだ青空に朝日がまぶしい。
雲がちらほらとあるだけで、晴天といえる陽気ですごしやすくなりそう。
どこか出かけたいな……。
気分を変えるために通用口から外へ出ると、見知った顔とばったり会う。
「あら、ヒナじゃない」
雪のように白い肌と、消え入りそうな薄い緑色―白緑色の長い髪をした長命種。
チトセさんだ。
「チトセさん……? お、おはようございます!」
すっかり気が抜けているところを見られてしまったけど、取り繕って元気よく挨拶する。
「食堂で見ないと思ったら、こんなところにいたの。……元気ないのね」
「そ、そんなことないですよ! きのうも玄関壊しましたし! あは、あははは」
全くの無駄で見抜かれていると思うと気が気でないので無理やり誤魔化す。
笑いながらチラ、と顔を見ると吸い込まれそうな深い深い千歳緑の瞳と合ってしまったため、すぐに目を逸らす。
冒険者として生きていくには能力、特に戦闘技術の足りなかったアサギとあたしは、アカネおばさんの計らいで野ウサギと木漏れ日亭に着いた時から森に棲むチトセさんに魔術の稽古をつけてもらっている。
師匠というと大袈裟、……先生と言ったところかな。
付き合いがあるぶん色々とバレているような気がする。
面と向かって言われないので救われているような。
なんでもチトセさんとアカネおばさんとは古い知り合いなんだとか……。
おばさんには家を叩き出された感じだったけど、なんだかんだあたしのために動いてくれていると思うと強くならなきゃって思う。
そんなチトセさんにはジーナ、アヤメとパーティーを組んでからは稽古に行っていないから、会うのは数ヶ月ぶり。
「またアサギとケンカ?」
全てお見通しとばかりに目を細め、ため息交じりに言うチトセさん。
ばれてる……。
なんでそんなにすぐに言い当てられるのだろう。
そんなにいつもケンカしてるのかな。
そんなに表情に出てるのかな。
恥ずかしくて俯く。
「なんだ、図星なのね」
目線を下げて狭くなった視界が急に暗くなる。
チトセさんがぎゅっと抱きしめてきたのだ。
あたしより少し背が高い。
細くすらっとしていて顔も小さく、羨ましい体型をしている。
ちょうどあたしの鼻が白い首筋に当たり花のような甘い香りがする。
何か森に生えている花の香りだろうか。
以前会ったときとは違う芳香に思わずきゅんとする。
「いつも言ってるじゃない。男と女で分かり合おうなんて考え無駄なのよ。女の子同士のほうが心のことも体のこともわかるでしょう?」
優しい口調で諭しながら、慰めるように頭をなでなでしてくる。
頭を撫でられることは嫌いじゃないけれど、慰められながらだとあやされている子どもみたいであんまり好きじゃない。
「いつもいつも傷ついて苦しんでるヒナを見ていると私も苦しいの。もっと開放されて笑顔いっぱいのヒナが見たいの」
抱きしめる力が強くなり、腰にあったもう片方の手つきが怪しくなって下に下がってくる。
「わたしがいつでも慰めてあげるわよ……?」
耳元で甘く囁く。こそばゆい。
あたしは自分の匂いが染みついた服を抱きしめる手に力が入る。
チトセさんの手が臀部に辿り着き、さすってくる。
「ん……っ」
少し声が出てしまう。
スキンシップはいつもなら寂しい気持ちを紛らわせてくれるけど、今はどうも気分が沈んだままで不快感になる。
「……。お尻……、撫でないでください……」
顔を服にうずめたまま、何とかそう絞り出す。
ヘタにしゃべると泣いてしまいそうだった。
「あら、ごめんなさい」
チトセさんは何か察したのかすぐに手を離し、体も距離を取る。
「貴女のお尻、とっても形が良くて張りがあるからつい触っちゃうのよね。」
冗談なのか本気なのかわからないことを言う人だ。
もしかして言い方きつかったのかな、嫌われたかな……。
避けられた気がしてそんなネガティブな考えがぐるぐる巡ってくる。
「おはよーさん! なにしてるんだい??」
不意に元気な声がかけられる。
顔を上げると料理人のローシェンさんがいた。
もう出勤時間なんだ……。
「ローシェンさん……。おはようございます」
さっきチトセさんにしたように取り繕う元気がない。
顔もろくに上げられないまま挨拶する。
抱きしめられていたのを見られていたのかな……。変に思われたらどうしよう。
「あら、ローシェン」
チトセさんは何も気に留めていないようで、さらりと返事をする。
「やっぱりエルフっ子かい。大荷物があるからあんただと思ったよ」
「ええ。冬ごもりの荷物を持ってきたのよ。納屋借りるわね」
「はいよ、鍵はまだなのかい?」
「食堂にアサギがいたから鍵は借りたわ。それじゃあ、待たせているし、荷物の片づけしてくるわね。またあとで」
チトセさんがあたしの肩をポンと叩いて歩き出し、その先を見ると荷車いっぱいに荷物が積まれていて端に人が座っている。
ボーっと見ていると不意に目が合い、向こうがぺこりとお辞儀をしたのであたしもあわててぺこりと返す。
くすんだ黄色の法衣をまとった女の子のようだ。
遠目ではっきりは分からないけど年下……十二、三歳くらいかな。
法衣と似た色の肩までかかった少し癖のある髪が可愛い。
「ヒナが元気ないみたいだから話を聞いてあげて?」
ローシェンさんにはそう言い残し、軽やかに納屋のほうに向かっていく。
「あの法衣の子、知ってる?」
「いえ……、初めて見ました」
「そっか、新しい子なんだね。あんた本当に元気ないね。それじゃ厨房に来な。朝は食べたのかい?」
「まだです……」
「何やってんだい。くよくよしてないで働かないと! オヤジに叩き出されちまうよ?」
あたしの背中をポンポンと叩く。
チトセさんのか細い手とは違い、安心感のある手だ。
「それで、どうしたんだい?」
厨房に向かいながら、かくかくしかじかといきさつを説明する。
厨房の扉を開けると詩人君が洗い物をしていた。
ローシェンさんがありがとう、あとは任せてと言い、彼も察したのかお願いしますと手を止めて厨房を後にした。
「まぁ、いつものことかい」
適当な箱に腰かけて一通り話を終えると、ローシェンさんが作業しながらそう一言。
そんな一瞬でぶった切られると、ずっと悶々していたあたしが悲しいんですけど。
「あの子がそんなにあんたのことを怒ったり嫌いになったりすると思うかい?」
「わかりません……嫌われない自信が無いです」
「いままでそうなったことは?」
「……ないです」
「なら考えすぎじゃないかい? 長く一緒に行動してて何も言わないってことは、気にしてないんじゃないのかい?」
「……」
「すっきりしないなら体を動かしてくるといいんじゃないかい? さっき肉屋に顔出したらウサギの肉の在庫が少ないって言っててね。十羽くらい狩って肉屋に届けてくれないかい? 宿の仕事もあるだろうから、午後でいいからさ。みんなで行ってくるといいよ」
言いながら温め直したスープを器に注いで出してくれた。
ずっと抱えていたままだった服を膝に置き、器を手に取ると優しいぬくもりを感じる。
くよくよしていてもしょうがないとは分かっていても、なかなか踏ん切りがつけられない。
昨日帰ってきたばかりで体が動かし足りないなんて変な話だけれど、考えるより動くほうがあたしの得意分野だから、素直にアドバイスにしたがってみることにしよう。
みんなに相談しなくっちゃ……と思うけど、否定されるのでは、怒られるのでは笑われるのではないかとマイナスの考えばかり浮かぶ。
けど、やってみなくちゃ始まらないもの……。