2日目 6 朝食と来客
少し間が空いてしまいました。久しぶりに執筆できたので投稿です。
――朝。
小鳥がさえずる中、平民一家の亭主モーブさん――四十五歳、道具屋の販売員、中年太り――は、勤め先である道具屋に向かいながら小躍りしていた。
冷たい木枯らし何のその。その理由は末娘である。
昨夜、帰りを待てずウトウトしてしまっていたところに、娘が泣きながら家に飛び込んできた。
怖い目にあっていたところに、姿の見えない何かが助けてくれたのだという。
得体が知れず声だけが聞こえたため、怖くてその場から逃げてしまったらしい。
収穫祭の近づく今、神様や精霊さまもお祭りに集まってくるため、この時期は不思議なことが起こりやすいというのはこの宿場街では古くから囁かれる噂の一つだ。
特に今年は四年に一度の閏。
この年にのみやってくる十三番目の月は、冥界との境界が薄くなるため例年に比べ精霊さまも多く集まるという。
そのため、いいことも悪いことも特に起きやすい。
という話を死んだばあさんが言っていた。
モーブさんはそう娘に伝え、きっとお前のことを守ってくれたのだろう、感謝なさいと話した。
そして朝、午後にしか起きなかった娘が起きてきたのだ。
仕事を探し昼間に働くようにするという。
改心したようだった。
大事な収穫祭の前に心配事が一つ減ったのは喜ばしいことだった。
悩みが減ったら薄毛の進行が少しは治まるかもしれない。
と強い青紫色の髪をなでて思う。
娘を助けてくれたのは何だったのか、本当に精霊さまや神様だったのか。
そんなのはどうでもよく、ただその事実に心が躍り勤め先に向かう足取りが軽くなるのだった。
浮かれすぎて石畳の凸凹に躓いてしまったのはここだけの話。
これも精霊の仕業だとか、そうでないとか……。
◇
「ごちそうさまでした」
疲れ果てたアヤちゃんをベッドに休ませ、私が一人部屋を出るとそんな声が聞こえました。
静かな朝。
野ウサギと木漏れ日亭は入り口から宿の受付、食堂、階段から二階の廊下まで、仕切り無くひと続きのため音や声が良く届きます。
今の声の主はアサギさんでしょう。
私たちがもたもたしている間に、朝食を済まされたというところでしょうか。
手摺をなぞりながらゆっくり階段を下りていきますと、食器を片付ける音、お湯を注ぐ音が聞こえます。
食後のお茶でも入れるところでしょうか。
アサギさんは盗賊ですが、それ以外にも薬草師としても修行しているそうで、治療以外にも、癒し効果のある植物の使い方など心得ていらっしゃいます。
旅に出ていた間も、野営した側で野草を見つけてきては煎じてお茶を振舞ってくれたものでしたわ。
私たち女性陣が揃いも揃って料理ができないものですから、彼が居なくては旅は成り立たなかったかもしれませんわね。
「おはようございます~。お早いですね~」
一歩ごとに軋みを鳴らす階段を下り終えて、すぐ左手に広がる食堂へと足を進めます。
「お、ジーナ、おはよう」
「爽やかなお茶の香りがしますわね~」
言葉を続けながら同じテーブルに歩みを進め、詩人さんと挨拶をして空いている席に座ります。
「薄荷草のお茶だ。スーッとして眠気も二日酔いも飛ぶんだ。ジーナも飲むか?」
「いただきますわ~」
私が答えるとアサギさんが茶筒から茶葉を二匙ポットに入れ、調理場と食堂を仕切る戸棚から陶製のカップ&ソーサーを取り出し、調理場から湯の沸いた薬缶をもってきてカップに湯を注ぎ温め、続いてポットに注いで茶葉を躍らせます。
なんとも手際よく支度をしてくれます。
うふふ。
旅の途中も食事は彼に任せきりでしたけど、こうやって一対一で美少年に給仕してもらえるのは悪くありませんね。
「何かいいことあったのか?」
不意にアサギさんが問いかけてきました。
あら、私としたことが顔が緩んでいましたわ。
「ええ、色々と」
「ほんとにアンタらは……なんつーかさぁ……」
はっきり言わないで匂わせておきますと、食事と薄荷草のお茶を乗せたおぼんを持ってアサギさんがやってきました。
その目は泳いで顔が赤くなっています。
ああ、そういうことですの。
「らぶらぶ、ですか~?」
「ああ……人目を憚らないっていうかさぁ」
言いながらテーブルに食事を置いてくださるアサギさん。
今顔が綻んでいたのは彼を眺めていてのことなのですが、どうもアヤちゃんとのことと勘違いされているようです。
覆すほどではないので話を合わせてしまいます。
「あら、そちらは憚りすぎだと思いますけども~。お互いに気が無いわけでもありませんのに二年も一緒にいて何も進展しませんとは。もっとお二人とも素直になってくださるとこちらも嬉しいですわ~」
「誰があんな奴と!」
「ふふふ」
挑発する言葉を並べると、見事に乗ってきます。
恥ずかしがって直球で言えない方はからかい甲斐がありますわね。
遊ばせていただいたところで、冷めないうちにいただくことにしましょう。
今朝のメニューはマスタードを利かせたハムとレタスのサンドイッチと、昨日のレンズ豆スープ。
軽めでちょうどいいですわ。
食事をしていると、今日は服が違うんですね、と詩人さん。
よく見てらっしゃるのですね。
昨日のようなかっちりした修道服ではなく牧師の服をからアレンジした黒のワンピース。
ウィンプルと呼ばれる頭巾も被っておらず昨日とはずいぶん印象が違って見えるのでしょう。
「それで、ほかの二人は?」
少し機嫌を直したアサギさんが尋ねます。
「アヤちゃんはまだ眠いって横になってますわ。ヒナさんはお風呂で汗を流して来るそうですから、まだ間に合うかもしれませんよ?」
「間に合うって何がだよ」
「またまた~。アサギさんがむっつりなのは承知していますわよ?」
「誰がだよ!」
「ふふふ」
もう一度アサギさんをからかって遊んでいると、不意に扉の無い玄関から窓に向けて頬を撫でるように風が通り抜けました。
「失礼するわ。ラストは居るかしら?」
話しかけながら誰かが入ってきます。
スラリと長い体に、遠目でも分かる透き通るような白い肌、特徴的なとがった耳、サラサラな白に近い薄い緑の髪の奥に覗く瞳は深淵のように濃い濃い緑。
人の形をしながら人とは違う気配……儚げな美しさは幻のよう。
あぁ、この方は……。
「チトセさん! おはようございます」
アサギさんが緊張したように姿勢を正し挨拶をします。
そう、私〈わたくし〉とアヤちゃんが廃村から逃げ延び、逃げ込んだ森で出会ったエルフさんですわ。
チトセさんと呼ばれたエルフさんが、こちらを向き微かに笑みを浮かべます。
「あら、アサギ。ラストはいるかしら?」
「誰です? それ」
直立の姿勢を崩さないまま、顔だけきょとんとするアサギさん。
「ここを切り盛りしているあの斧マニアの大男よ。名前……知らないの?」
「オヤジでいいから、と通してたっすね……。オヤジさんならもう少しすれば帰ってくると思いますよ」
「そう、名乗らないのは彼らしいわね。そしたら伝えておいてもらえるかしら?冬の間の荷物を一部持ってきたから納屋を借りるわって」
「わかりました。昨日ちょうど噂をしてたとこなんです、そろそろじゃないかって。あ、納屋の鍵要りますよね」
そう言うとアサギさんは小走りに受付カウンターへ向かっていき、鍵を一つ取りだしてチトセさんに渡しました。
素早い身のこなし、慣れたものですね。
「運ぶの手伝いますか?」
「ありがとう。でも連れがいるから大丈夫よ。……そこにいるのはいつかの修道女さんかしら。お久しぶりね。そちらのあなたは……はじめましてかしらね?」
「おはようございます。その節はお世話になりましたわ。ジーナと申します」
噂に聞くような人間嫌いとは思えない振る舞いです。
私〈わたくし〉も食事を中断して立ち上がり、握手をしようと玄関へと歩きます。
近づいたことでよりくっきり見える人形のような整った容姿、朝日に照らされて光に同化してしまいそうな白緑の長い髪と、対照的にどこまでも深い千歳緑色の瞳。
「改めて自己紹介するわ。森に棲むチトセよ。森が封鎖される冬の間はここで暮らすことになるわ。寒くてたまらないですもの。ご一緒されるようでしたらよろしくお願いしますね、修道女さん。ところで淫魔さんはいないのかしら?」
「はい、まだ部屋で休んでいます……」
握手した手は小川のせせらぎのような心地よい冷たさ。
微笑まれると、千歳緑の瞳に魂を持って行かれるような感覚になります。
ふいに空いているほうの手で頬に触れられました。
さっきから食事の手が止まったまま、チトセさんのほうばかり見ています。
「そう……、ふふふ。見れば見るほどきれいな顔ね」
チトセさんはそう言いながら私をうっとり見つめ、顔に触れたての人差し指をそっと唇までなぞる。
パンの小さなかけらが付いていたようで、掬い取ってご自身の口へと運ばれました。
「うふふ……案外お茶目さんなのね」
恥ずかしさのあまり頬が熱くなります。
「またお会いしましょう、修道女さん」
言い残し、チトセさんは玄関をくぐります。
私は頬を赤く染め、催眠にかけられたように立ち尽くして、誰もいなくなった玄関をしばらく眺めていました……。
ついさっきあれだけイチャイチャしていたのにもう目移りしちゃうなんて、いけない子ですね。
ただサキュバスにエルフと、どちらも人外。