2日目 3 宿代とお届け物《前》
BL要素が出てきたので小説情報に追記しました。
早朝――。
「さみ」
冬の足音がすぐそこまできている……どころかもう冬そのもの。
ずいぶん冷え込むようになった。
今年は冷え込むのが少し早い感じがする。
食堂にある暖炉に薪を組み入れて火をつける。
着火を確認してから水場に向かって顔を洗う。
昨夜は盛り上がって飲みすぎたか、少し頭が重い。
ぼんやりした頭を凍えるような水で叩き起こす。
冒険者を引退しここで働くようになってから、ずいぶんと暢気になった。
命のやりとりなんて物騒なことは遠ざかった。
こまごまごたごたしたことばかりが増えた。
忙しくなるは面倒だが愚痴を言っても始まらない。
ぼんやりしてはいられないと気合を入れるために、バシッと頬を両手で挟むように叩く。
同時に大きめの物音が聞こえたような気がした。
階段を駆ける音。
……思ったより早く目覚めのようだな。
気合を入れたつもりでも、くぁーと大きくあくびがでる。
締まらねぇなぁ……。
ボリボリと短く刈った錆色の頭を搔く。
「おはようございます」
「おはよーございまーす」
背後から声がかかる。
振り返ると乱れのない姿の詩人と、頬が真っ赤なアサギだった。
「おう、おはよう。早いな。寝れたか? ……って、アサギ、頬っぺたどうしたんだ」
「ヒナと横並びで歌を聴いてたら二人して寝落ちしたみたいで。目覚めて横に顔があったからってだけで悲鳴上げてぶん殴られましたよ。ついでに飲みすぎで頭痛いっす」
なるほど、さっきの物音は嬢ちゃんか。
「朝から災難だなそりゃ。ま、今日から働いてもらうから二日酔い覚ましにはちょうど良かったんじゃないか?」
「そりゃないですよ……いてて」
痛がるアサギを笑い飛ばす。
詩人君もアサギに気を遣ってか控えめにではあるが笑っている。
『では、大陸気象協会がお送りする今日の天気です』
宿のカウンターの方からかしこまった声が聞こえる。
「お、始まった」
「?」
突然の声に詩人が首をかしげ、アサギは猫目を見開く。
聞こえてくる声をより聴きやすくするため、宿の受付カウンターの下から両手に乗るくらいの四角い箱状のものを取り出す。
「オヤジさん、これもしかしてラジオじゃないですか!? すげー! この世界にあるんだ!」
「なんだ、アサギ知ってんのか。驚かせてやろうと思って黙ってたのに残念だな。まだ試作段階で、国の重要機関と一部の富豪にしかまだ行き渡ってないって聞いたぞ」
「俺の元居たとこじゃ一般的でしたね」
そうか、さすがは異世界人。
詩人がそれは一体何ですか? と不思議そうに眺める。
「んー。簡単に言うと遠くで話しているのが聞こえる機械?」
「会話ができるわけじゃなくて、一方的に話しているのを聞けるものだな。それも、この機械を持っていれば全員同時に聞けるらしい」
詩人の疑問にアサギが答え、オレが補足する。
『……地方、晴れ。文句なしの晴天。晴れる分朝晩の冷え込みが強いのでご注意……』
今日は天気の心配が無いようだな。
収穫祭と冬ごもりの準備が捗りそうだ。
「遠くで話しているのが聞ける、歌を流せば一度に多くの人に聴いてもらえるなんて、この世界じゃ便利ですよねー」
そんな貴重だというものがどうしてここに? という疑問はもっともだ。
「宿代代わりよ。これで一年のフリーパスだな。ずっと泊まり続けるわけじゃないが、期間内にいつ来てもどうぞと通す約束だ」
「フリーパス!? いいなー。オヤジさんにお宝献上すれば毎日せこせこ働かなくていいんだ……どっかにお宝眠ってないかな……」
「まぁ、そう言うな。こういう技術ってのは今は珍しくても、一年後には当たり前になっていたりするから価値は流動的なんだ。それに、渡してきたやつはここにあるのがバレたら首が飛ぶって言ってたがな」
『以上、大陸気象協会がお送りする今日の天気でした。つづきまして……』
オレたちの会話はお構いなしに情報を淡々と伝えてくるラジオの“中の人”。
「笑えないっすねー。やっぱヘタに盗むより地道に働くのが安全か。じゃ、顔洗ってきまーす。行こうぜ」
「お、よかったらこれ使え」
水場へと歩き出す二人を呼び止め、男の手のひらほどの長さの棒、その先端には垂直に複数の刃がついたものを渡す。
「大陸鍛冶協会刃物部門からの献上品、剃刀負けしない最新式の安全カミソリだ。剃り心地なめらかで、子供にほおずりしても嫌がられないくらい深剃り出来るから気持ちいいぞ」
頬ずり……。
オヤジさんがそんなことするんですか……という表情で詩人がドン引きだ。
そういうの流そうな。微妙に傷つくから。
「おー、ありがとうございます。でも俺まだそんなに髭生えないんで大丈夫っすよ」
え? アサギ君意外と生えてるよ。と詩人はすかさず言う。
一晩でずいぶん仲良くなったもんだ。
密度は少ないけど結構長くなってるのもありますね。
自分じゃやりにくいでしょうから私が剃ってあげましょうか? などと甲斐甲斐しい。
詩人のほうがアサギより背が低いためアサギを上目遣いで覗き込む構図になっており、言い寄られた側はタジタジだ。
思わぬ申し出だったからか恥ずかしいのか、嬢ちゃんに引っぱたかれた以上に顔が赤くなっている。
「いや、いいって、子供じゃないんだから、自分でやれるから!」
「よく剃れると言っても、自分でやると見えないから結構剃り残ししやすいからな? 丁寧にやってくれそうだしやってもらったらどうだ?」
うー、とさらに顔を赤らめるアサギ。
そんなに恥ずかしいのか。
詩人君はノリノリのようで、オレから剃刀を受け取りまじまじと観察したと思えば、さ、早く行きましょう! とアサギの手を引いて洗面所へと向かう。
「あ、ちょ、引っ張んなって!」
まるで玩具を得た子供だな、と二人を見送り台所へと移動、朝食の準備を始める……はずが、昨日の洗い物があった。
おい、明日片付けるから置いといていいって言ったやついたよな。
じゃあ片付いてていいんじゃないか、今。
……。あいつ、朝の当番じゃないことわかってて言いやがったな。
「私が」片付けるとは一言も言ってなかったか……。
流し台の端に両手をつき、頭をうなだれてはぁー、と大きくため息をつく。
……だりぃな。
一気にやる気が失せた。
数が多い。油ものがある。
時間が経ち、こびりついている。
面倒さこの上ない。
どうしようかとしばらく考え込んでいると。
「手伝いますか?」
髭を剃り終わった二人が戻ってきた。
綺麗に剃れたようでさっぱりしている。
妙につやつやしているように見えるのは何かあったのかと思うが、触れないでおこう。
「おう、助かる!」
オレが洗い、アサギがすすぎ、詩人君が拭き上げる。
乾かすのに置いておくと場所を取るため、人手もあることだし拭き上げまでしてしまうことにした。
冷たい水はオレの火魔法でごく弱く使いぬるま湯にすることで作業しやすく、汚れも落ちやすくなる。
お皿が温かい……、魔法ですか? と詩人君が感動したように言う。
「ああ、ごく初級の火魔法だ。現役冒険者だったころは使えなかったが、引退してここで働くようになってから便利そうだから学んでな」
使えるようになるんですか? と興味津々に食いつく。
「素質が大きく影響するらしいが、初級くらいなら使えるようになることが多いらしい。俺は大陸魔法協会の通信講座で、初級火魔法3ヵ月コースだったな。色々取り揃えてるから時間はあるし他も取ろうかと思ったが、料金設定がぼったくりだから一種類しかとらなかったよ」
学んで会得できるのでしたら私も何か使えるようになりますかね? と目を輝かせている。
魔法に強い憧れがあるのか。
「金はかかるがな。できなくはないんじゃないか?」
「オヤジさんよく喋りますね」
「ほっとけ」
男3人のわりにやいのやいのと会話が弾む。
こんなことも珍しいな。
洗い物を終え、朝食の準備にようやく取り掛かる。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体などとは一切関係ありません。
と念のため。笑
通信講座で魔法が会得できるなんてお手軽。
それほどに魔法が普及している世界です。