1日目 18 ヒナとアサギ⑥ 無計画と天の助け《後》
「やだぁ☆ バイオレット、よ☆ 名前呼んでくれなきゃイヤン☆ ……坊や、逃がさないわ~☆ 徹底的に可愛がってあげるわねぇ☆」
バイオレットの周囲の空気が澱む。
透明な川の流れに泥水を流したような濁り方をし、髪の毛がその澱みを絡めとるように波打つ。
波紋のような静かな揺らぎから、その流れは大きく波打つ。
魔力によるものなのか髪の量が明らかに多くなってる。
ただの波から意思のある蛇のように変貌したバイオレットの髪が、鎌首もたげ獲物と認識したこちらをしげしげと眺めている。
と、そのうちの一束がこちらへ向かって先端を振った!
「しゃがんで!」
あたしは反射的に叫んだ。
視認できるギリギリの速さで何かが飛んできた。
コソ泥君はとっさに反応してあたしを負ぶったまましゃがんだ。
背後にあったもの、耳を塞ぎたくなる音を立て閉じた重厚な門に飛来物がめり込む。
しなやかな動きの鞭を思わせる髪の動き。
ちらりと見てその威力に心が縮む。
「ふぅん☆やるじゃない」
なにあれ、反則じゃない。
あんなの当たったら木っ端微塵だわ。
やられるわけにはいかない、けどどうしろって言うのよ。
「さっきの魔法みたいなやつ! なんかできねーのかよっ!?」
「で、できるはできるけど……」
あんな力ずくなのには歯が立たないよ……。
あたしは舞剣士だから舞いながらじゃなきゃ本領発揮できない。
なんて言い訳が次から次へと湧き上がってくる。
「なんかできるんならなんかやってくれ! 旅立つ前に野垂れ死んじまうぞ!」
うぅ、怒られた。
びくっと委縮してしまう。……でも、この子の言う通り。
「なーにごちゃごちゃ言ってるのかな☆ まぐれは一度きりよっ☆」
「円っ!!」
背負われた体勢のままあたしはとっさに右手で腰の短剣を抜き、コソ泥君に当たらないようにできる限り振るった。
円状に炎の壁(といっても限りなく薄いんだけど)が生み出されるものの、襲ってきた蛇状の髪とぶつかり消失する。
衝突した拍子に髪は引き下がってギリギリ防げた。
「やれるじゃねぇか!」
「同時に2本以上来たら無理だよぉぉぉ」
「もっと強力には!?」
「やったことないよぉぉぉ」
がむしゃらにやって精一杯。半ベソかきながらあたしは答える。
そんな期待されても困るの!
「うふ☆ 少しは楽しませてくれるのかしらね☆ そらそらそらそらっ☆」
次々と繰り出される鞭のごとくしなった髪の毛。
それぞれに意思があると思わせるような不規則な動きで向かってくる。
動体視力はいいから、なんとか軌道は見えるけど……。
「ひっ!! え、円! 円! 円! 円っ!!」
「お!? あっ! ぶねっ!! ちょ! おいこら!」
防ぐため、無茶苦茶に短剣を振るう。
炎の壁が現れては消え現れては消えキリがない。
彼に当たろうが何だろうが知ったこっちゃないわ。
だって命がかかってるんだもの!
どうやら紙一重でコソ泥君を切り裂くことは免れたようで、攻撃が止みあたしも手を止める。
「あはははははは☆ やるじゃないの小娘! いいわ! じわじわ嬲ってあげようと思ったけど、一思いに殺してあげる!!」
やだやだやだやだ死にたくないわ!
あたしまだ何もしてない!
どこかにいる運命の人と……きゃー!
「おい!! ボーっとすんな! 来るぞ!!」
は? え? なになになに??
いっぺんに向かってくる、いくつもの腕くらい太い鞭。
何も見いだせなくあたしの思考は止まってた。
やられる。
炎の壁を一枚も張ることができず、迫りくる大蛇を見つめることしかできない。
おぶってくれてるコソ泥君が何か叫んでるけど聞こえない。
ごめんね、道連れにして。
あんたと一緒ならあの世の旅も寂しくないかも。
やけにゆっくり向かってくる。
ああ、これが死に際ってやつなのかな。
あたしは、あたしは――。
「ヒナちゃん!!」
頭上から一生懸命に振り絞ったであろう透き通った声で、誰かがあたしを呼んだ。
分厚い透明な防壁があたしたちの前に現れ、バイオレットの大蛇をすべて跳ね返す。
それでも砕けず、まだそこにいてくれている。
見上げると、塀の上に女の子。
先端がウェーブがかって胸のあたりまである長い髪をなびかせ、杖を持った修道服姿の美少女が立っている。
「サキちゃん!?」
天使のご登場じゃない!
まだあたしたちは天に見放されてなかったわ……!!