1日目 16 ヒナとアサギ④ 鞭打ちと脱獄《後》
一晩でも過ごしたら体に黴が生えそうな地下牢の、ところどころ錆付いた鉄格子の向こう側で、どーしよ、どーしよとあわあわしている少女。
金属同士がぶつかり合うやかましい足音が高いところで響いているが、湿っぽい石組みの階段は滑りやすく降りづらいのか、足取りは遅いようだ。
「あ! そうだわ!!」
何かを閃いたようで、俺の居る鉄格子とは逆側の壁に向かう。
暗くてよく見えないが、掛けられているものを取り外しているようだ。
そうこうするうちに軽装鎧を身につけた番兵がやってくる。
一人だけだ。
やっぱ警備ザルだなここ。
「なにをしている!」
「あ、お邪魔してまーす。賊のお仲間はどこに行ったのか、ちょっと尋問をしようかなーって」
男が叫ぶと、少女は何事もないかのように、明るく少しおどけた口調で返事をする。
「尋問だと? はっ。ご主人様のようなお方ならともかく、お前のような小娘がか?」
番兵が鼻で笑う。
「小娘……ですって!? 口の利き方に気を付けなさい!!」
突如口調と声の張りが変わり、手にした棒状のものを突き付けると、手首のスナップを効かせて振るう。
しなる革の音が地下の岩壁に響く。
「はぁんっ!」
打たれたらしい男が、気色悪い悲鳴を上げる。
苦痛のうめきではなく嬌声。
え、こんなん見たくない……。
「どう、かしら? こんな気持ちよさそうな声をあげながら、あたしには無理だとまだ言うのかしら!?」
「そ、それはっ……あっ! ひっ!」
男が弁明するより先に、乾いた音が鳴る。
鞭で叩いているようだ。
悪趣味……。
「どうなのって聞いてるのよ! 答えなさいよ!」
少女は鞭をふるい続け、空を切る音と皮膚が打ち付けられる音、それに聞くに堪えない男の喘ぎが耳に届く。
こんなんじゃ答えるに答えられなさそうだ。
耳をふさげないからせめて視覚だけでも遮りたくて、俺は黙って牢屋の岩肌に生えた苔の観察をする。
「はぁっ!? ふぅん! うひゃぁっ! し、失礼いたしましたぁ。貴女様も立派なご主人様ですぅ」
息を荒げ、なよなよとした声で男が答える。
さっきと別の意味で気持ち悪い。
長いよ。愉しんでんじゃねーよ早く終われ。
「わかればいいのよ! さぁ、ご褒美よ! 受け取りなさい!!」
響き続けた軽い音から一転、鈍い音がし男が崩れ落ちる。
腰に下げている短剣の柄で殴ったようだ。
哭き声はもうない。
「あんしんせい、みねうちじゃ」
どこで覚えたその言葉。
そしてそこは峰ではない。
と二つ突っ込みたいのを飲み込む。
少女は倒れた男をまさぐる。
あぁ~ご主人様ぁ~だめです~と番兵の男はうわごとをのたまう。
「ほら、こいつ鍵束もってたわよ! ここのカギもあるんじゃないかしら? あたしのお手柄ね!」
探り当てた鍵を高らかに掲げると、鉄格子に寄ってきた。
近づいてわかったのが手に鞭を持っているだけでなく、目元を隠すマスクまでつけていたこと。
え……。
「アンタもそういう趣味なのか……??」
見た目はかわいいが中身に難ありだというのか。
警戒してしまう。
「ち、違うわよ!! 油断させるための作戦よ!!」
ああそう。
全力で否定してくるのでそういうことにしておくよ。
もういいから外せよ、と言うと、わかってるわよ、と恥ずかしそうに仮面を外し、鞭とともに投げ捨てる。
おいおい雑だな。
「全然分かんねぇんだけど、あんたは何しにここに来たんだ ?」
「あのオバサンに一泡吹かせてやるためよ! なーにが賊を捕まえたら報酬アップよ! 報酬2倍よ! 全員捕まえられないなら報酬ゼロだなんて後から言い出して! あったま来るわ!!」
何か揉めたらしい。
後出しはずるいな。
「だから辞めてやったの。でもお給料ナシで辞めるのも癪だから、貴方も連れ出すことにしたの。どう? いい作戦でしょ!」
作戦とは言わない気がする。ってか、立てついていいのかよ、あんなんでも有力者だろ。
「立場がまずくなるのは分かってると思うが……ここを無事に抜け出したとして、後どうするつもりだよ」
「旅に出るのよ! あなたはあたしのお供! 助けてあげたお礼にあなたはあたしの盾になるの! こんな可愛くてか弱い女の子を一人で放置するなんて、できないでしょ?」
まぁ、可愛いは許容するとして、か弱いには疑問符だし唐突な話だな。
ふふん、と自信たっぷりに胸を張ってるが、いくら頑張ったところで丘ですらないよくて坂道。
「また失礼なこと考えてたでしょ」
ドヤ顔一転ジト目。なぜわかる。
貧乳センサーでもついてるのか。
「当てはあるのかよ」
「目的ならあるわ! わたしは風の勇者様に会いたいの! 探す旅に出るのよ!」
は……?
「風の勇者様だぁ? おとぎ話じゃねぇか」
スラムにいた俺ですら知っている、超有名なおとぎ話の登場人物の名が飛び出してくるとはさすがに思わなかった。
この子やっぱり頭おかしいのかなぁ。
「違うわ! 実在するの! あたし助けてもらったことがあるんだから!!」
目をキラキラと輝かせている。これは話聞かないやつか。
「とにかく! 急がないとまた誰か来るかもしれないわ! さ、来るの? 来ないの? オバサンの玩具にされてもいいわけ!?」
付いていくには不安しかないが、このまま牢屋に繋がれているのも、下水臭の接吻も好きに弄ばれて貞操奪われるのもごめんだ。
いや……鞭といい仮面といい、ここにある道具からして待ち受けているのはそれ以上の……。
うぷ。
考えていたら残り香が臭ってきた。
そうだ早く口を洗いたい。
「いいぜ、のってやるぜ……」
吐き気を我慢し、冷や汗を流しながらそう答える。
「決まりね!!」
早速鍵を開けようとし、少女は手を止める。
「……そっか。鍵はあなたに見てもらったほうが早いわね。縛られている手をこっちに向けてくれる?」
言われたとおりに身をよじって両手首を少女から見えるようにする。
「じっとしててよ」
目を閉じて集中する少女。
いや、この姿勢結構きついんだけど。
「縁」
小さく呟いてる。おーいまだなの?
「延」
早くしてくんない?
何か唱えているのか。
空気が揺らぐような感覚を肌で感じる。
「……。燕!」
短剣を一振りすると明らかに届かない距離、それも鉄格子越しなのに手錠だけが切れる。
まるで燕が飛んできたかのように。
「すげーな」
「ふふ、すごいでしょー♪」
続いて足の鎖も一振りで切断。
鼻高々といった調子でドヤ顔する。
褒めておけばチョロそうなので「すごいすごい」と感嘆もそこそこに、俺は鉄格子に近寄り赤髪ヘソ出し奇術少女の持つ鍵を見て、あたりを付ける。
「これかな」
少女が頷き鍵穴へ差し込む。手首をひねり鍵を回すが、回らない。
……。
念のため反対方向に回す。
「開かないけど」
「じゃあこれ」
……。
少女は持ち替えて同じ動作を繰り返す。
「違うみたいだけど」
「……これかもしれないな」
再度持ち替えて鍵を差し込み捻る。
……開いた。3個目で成功。
「微妙な腕前ね……」
不満げな顔をされる。
悪かったな。
誰も腕がいいなんて言ってない。
盗賊だからって期待したら負けだ。と心の中で言い訳。
「いいわ、とりあえず出るわよ!!」
大雑把な奴で助かるぜ。
少女は階段を駆け上りだし、俺も開いた鉄格子をくぐりあとに続く。
足元よく見てなかったので番兵の背中を思いっきり踏んでしまい、ふぎゃっと声がする。
あーすんません。
こうして俺は謎の頭の弱い少女に連れられて牢屋を出て、風の勇者様とやらを探す壮大な冒険にでたのだった。
めでたしめでたし。
「ちょっと!! なんで締めてんのよ!! まだ終わらないでしょうが!!」
いーじゃねーか、めんどくせぇ。
この屋敷は変態の巣窟のようです。。。