6日目 29 暴魔の持ち込む広告紙
◇
魔術師フジムラと僧兵アイボリーに部屋を出てもらい一人になった後。
俺は寝台で泣きながらいつのまにか寝ていたようだ。
窓から差し込む西陽の眩しさに目が覚めた。
空のてっぺん近くにあった陽が傾くくらいの時間は経ったらしい。
汗ばむ陽気では全くないのに枕が湿っぽい。
濡れている位置から随分涙を吸ってくれたみたいだ。
ずる、と洟をすする。
遠慮がちに扉を叩くする音が聞こえた。
魔術師フジムラたちが戻ってきたのだろうか。
「……どうぞ」
そっと遠慮がちに扉が開く。
そこに居たのは吟遊詩人の君だった。
「ど、どうしたんだよ急にっ!」
泣きはらした顔を見られた!?
急に恥ずかしく思え、慌てて首を窓のほうへ向ける。
俺は誰に向かって話してんだ……。
君はただ静かに、歩み寄る靴音だけが聞こえる。
「み……見舞いなんて……、気ぃ遣わなくたって平気だからっ! そんな心配すること無いって!」
また窓を向いたまま言い放った。
何をしているんだろうか俺は。
君の足音が止まる。
心配してきてくれただろうに、怒らせたかもしれない。
そう思うと益々顔を向けられなくなる。
「……ね、寝違えたみたいでさ! そっち向けなくて悪いな! そ、そこに椅子があるだろっ!? 座ればいいんじゃないか!?」
気配だけを頼りに話すと、少しの間の後に数歩の靴音がし、続いて椅子の軋む音と布の擦れる音が聞こえた。
座ってくれたようだが、それはそれで困った。
何を話したらいいんだ……。
さっきまで色んなことが渦巻いていて、できることなら誰かにぶちまけたいと思っていたのに全部引っ込んだ。
窓へ顔を向けたことで西日の眩しさからは逃れられた。
しかし今度はこの見舞客からどう逃れたらいいんだ……。
君は、何も語らない。
俺が何か話さなければ……。
と考えるものの、気が焦るばかりで話題など浮かんでこない。
ふと、背中越しに動く気配がした。
何をされるわけでもないだろうに、体を硬直させていた。
一音、美しい音が気まずい空気を震わせ打ち破った。
――君の竪琴だ。
琴線が奏でる優しく耳心地よい音楽を、君が指先で紡ぐ。
君はまるで口下手であるのに、竪琴を持てば饒舌だ。
警戒していた心がほぐれると、一度止まった涙が再び目から溢れてくる。
情けないな、泣くしかできないなんて……。
己の無力さに打ちひしがれながら、体に掛けていた布団を握りしめる。
顔は君からそっぽを向いたまま、音色に合わせて体が自然に揺れる。
君の奏でる音楽に身も心も預けるような心地で居たところ、何やら廊下が騒がしい。
と、いきなり扉が勢いよく開け放たれた。
その音に驚き、決して振り向くまいとしていたのをあっさり破ってしまった。
幸い君も扉の方を向いていて、泣き腫らした顔を見られずに済んだ。
こんな乱暴な開け方をする奴はきっと……
「おいキサマぁーっ!」
入ってきたのは期待した緋色の髪では無かった。
舞剣士ヒナでなければ、髪を紫に染め直した幻術士アヤメ……に瓜二つの魔族。
魔術師フジムラにくっついてる……アイリスとか言ったか。
現れるやいなや、いきなり怒鳴られ指差された。
「ダメだよあーくん! アサギくんは病人なんだから!」
続いて同じ髪色の魔術師フジムラが入ってくる。
「ええぃ離せサキ! キサマぁ! レグが居ないとはどういうことだ!」
「は⁇」
俺に掴みかかろうとしている紫髪の魔族アイリスの腕を、魔術師フジムラが掴んで必死に抑えている。
状況が把握できない。
「何故レグとその主の姿が見えぬのにキサマはのうのうと寝ておるのだ! あやつらは狙われておるのだぞ! あの緋い髪の女も! キサマ守らんか!」
喚き散らす紫色髪の魔族。
同じ顔でも俺たちの旅仲間である幻術士アヤメはこういう騒ぎ方をしないから、物珍しく不思議な感覚で見てしまう。
レグ……って誰だっけ。
つーか、人の感情お構いなしに土足でずかずかと入り込んできやがる……と怒りが湧いてくる。
「レグって誰だよ……」
イライラを抑え、やっとの思いで言葉を絞り出す。
「アヤメ=レグホーン! キサマ仲間の名も把握しておらんのか!」
「アヤメって言えよ……」
「なんだその腑抜けた態度は! 呼び方なぞどうでもいい! なぜ目を離した!」
「知るかよ……」
「何たる体たらく! 女の体になったことがそんなに悲しいか!」
なんなんだこいつは。
寝台に臥せってるやつがチョロチョロ動き回ってるやつの監視なんかできるかよ……。
姿が変わり、思うように体を動かせないことで俺がどれだけ悔しい思いをしているか、微塵も想像してやいないじゃねーか。
……心配しないわけねーだろーが。
腹立たしいのは不躾に言葉をぶつける魔族アイリスへの怒りか、それとも動けない俺自身に対してか。
言い返してやりたくて、けれど返した言葉も自分自身に刺さりそうで。
唇が震えているのを自覚しつつ何も言えないでいると、視界の端に眉を下げた詩人の顔が入った。
……そうだよな、ここで怒り任せに言葉を返したところで別の誰かを傷つけるわけだ。
「あーくん。言葉遣い」
「む」
俺に向けて罵声を浴びせ続ける紫髪の魔族アイリスを同じ髪色の主――魔術師フジムラが諫める。
舞剣士ヒナのやつが魔術師フジムラの声のことをよく天使の囁きと言ってたけど、それには同感だ。
だからこの魔族にもよく届くのか。
「アサギ君はまだ動けない体なんだから……そんなに声を荒げてはダメですよ? レグちゃんもジーナさんも給仕さんから森が燃えてるって聞いて飛び出したみたいだから、たぶんヒナちゃんたちを追いかけたんだよ。もう火も煙も見えなくなったらしいし、……みんな無事だよ、きっと」
魔術師フジムラは目を閉じ胸に両手を当て、自身に言い聞かせるかのようにゆっくり言葉を紡いだ。
何一つ確証の無いことを言っているのに、不思議と怒気を削がれる。
「あと、そんなに怒るとお肌によくないですよ? せっかくスベスベのお肌なんだから」
魔術師フジムラが「めっ」と怒ると、魔族アイリスは耳を下げる。
「む。サキがそう言うのであれば……。うぉっほん。」
(なんなんだこのウサギは……)
「で? ただ不在を責めに来たわけじゃないんだろ?」
「おおそうだ、聞くところによるとキサマら金に困っているのだろう? 街を偵察しておったら、こんなものを見つけたぞ。」
「なんで金が無いこと知ってんだよ……」
「一目瞭然じゃ。宿の者も良く話しておるしな。喉から手が出るほど欲しいものに違いあるまい」
「……! これって……! アサギ君! 見て!」
魔族アイリスの持つ広告紙を先に覗き見た魔術師フジムラが声を上げると、魔族アイリスからひったくるように広告紙を奪い、俺に突き付けた。
その紙に書かれたもの――。
「あぁ? ……! これは……!」
書かれていたものは賞金首や魔物討伐ではなく――。
「踊り手の募集!?」
「収穫を祝う踊りの担い手が一人、足をくじいたらしくな。代役を捜しておるそうだ。その代役選びを祭りの目玉企画にしてしまえという動きのようだ。あの女が出れば選ばれるのではないか?」
「そうだよ! ヒナちゃんなら間違いないよ!!」
魔術師フジムラは親衛隊を名乗るだけあり、優勝を疑わないのか目を輝かせている。
実力は折り紙付きだろう。
地が出無ければ……という不安要素はあるが。
「本人にやる気があるかどうか、な……」
俺は再び西陽の射す窓を向いた。