6日目 28 聖都から来た二人と枕を濡らすアサギ
安宿【野ウサギと木漏れ日亭】二階の一角。
四人部屋の窓際東側、寝台の上で目を覚ます。
あぁ、眠っていたか……。
緩慢にしか動かせない体に力を入れてどうにか上半身を起こしたが、その姿勢のまま俺は動けないでいた。
夕刻近くなり西へ傾いてきた陽の光に照らされ眩しいが、それさえお構いなしだ。
旅仲間でもある幻術士―-もとい夢魔――アヤメに生気を分け与えた際にどういうわけだか女の姿になってしまい、変化に体がついていけないのか物理的に動けないのもあるんだが。
それとは別に、ついさっき魔術師フジムラと僧兵アイボリーから告げられた言葉に理解と感情が追い付かない。
舞剣士ヒナが、狙われている……。
狙うって…………、何を?
恐らく、命だとか、身柄だとか、そういうことなのだろう。
何のためだろうか。
あんな暴力女、歩く凶器と言ってもいいくらい……。
どう見積もっても頭はあんま良くないし……。
刻々と傾きが深くなる西陽の、窓から射し込む光がきつくなり目を細める。
移動するか帷幕を閉めればいいのだが、寝台の上で上半身を起こした以上に動く気力もない。
狙われていると聞くだけでも穏やかでいられないのに、追い打ちをかけるようなことも言われた。
そのために舞剣士ヒナを聖都に連れて帰る――。
◇
「ヒナを連れ帰る? なんで?」
告げられた言葉に対し、反射的に俺は聞き返していた。
なんでも何も、理由を知ったところでどうにもならない。
ただ旅に同行していただけの俺に、舞剣士ヒナがどこかへ行くのを引き留める権利は無いのだ。
俺の無意味な問いに魔術師フジムラは律儀に答えてくれた。
「……アカネさん――覚えてるかな、ヒナちゃんの叔母さんで私やボリー君の師匠なんだけど、その人の所に、ヒナちゃんの一族の郷から遣いが来たの。その人の話によると、ヒナちゃんをつけ狙う奴らがいるみたいだって……」
「なんで、ヒナが狙われるんだ? それに、故郷はもう関係ないんじゃないのか?」
魔術師フジムラに抗議したってどうにもならないのは分かっているのに、それでも苛立って聞いてしまった。
彼女はもちろん困った顔をして話を続ける。
「それがね……ヒナちゃんが郷を出されたのは、ヒナちゃんを郷から遠ざけるためだったらしいの……。ヒナちゃんは元々、郷の神事を司る巫女の役割を与えられる立場だったみたいで。巫女になったら自由に生きることは叶わず、郷の中の、その中でも更に窮屈な世界で暮らすことになる……。そんなしきたりに疑問を感じていたヒナちゃんのお母さんは、ヒナちゃんが幼いころに起こした事件をきっかけに追放したように見せかけて郷から離したの。郷の外で暮らす妹……アカネさんに後を任せて……」
「ヒナはそのことを……?」
魔術師フジムラは首を横に振る。
それって……。
「ヒナなら、みんなの幸せのために自分を犠牲にしてくれるかもしれない。いや、自分のせいでみんなが幸せにならないなどと考えて耐えられないんじゃないか」
続きを躊躇った魔術師フジムラに代わり僧兵アイボリーの紡いだ言葉に容易に想像がついた。
「だがそれは人の命の上にしか成り立たない、仮初めの幸せだ。いくら巫女が神事を行い、最悪人柱となったとしても、それでも干ばつや飢饉は起こる……だったら、そんなくだらない幸せのために人柱を捧げる必要なんて無い。自分の代で終わらせるんだというのがヒナの母親の願いだそうだ」
「じゃあ、なんで追われるんだ??」
「その方針をよく思わない勢力があるということだ。人柱を立ててまで、伝統を守りたいというな……となると、どんな手を使ってくるか分からない。周りに被害が及ぶ前に此方で保護をする。そういう方針だ」
「ヒナちゃん親衛隊として、ね」
救いも何もなく事務的に話し終えた僧兵アイボリーの言葉に、いたずらっぽく添える魔術師フジムラ。
「し、親衛隊って、冗談じゃなかったのかよ……」
「最初は冗談だったんだけどね~」
「はは……。なんだよそれ……。釘を刺されるまでもねぇよ……。オレは、あいつを……もう守れないんだから……。…………二人とも、頼んだぜ……?」
そう、元々腕っぷしが強いわけでもないのに、この体になったことで一層貧弱になってるわけで……。
「アサギくん……?」
親衛隊というのは、場を少しでも和ませようという魔術師フジムラなりの気遣いだったんだろう。
気丈に笑い飛ばし、魔術師フジムラを心配させたくなかった……が、誤魔化そうにも体は正直で、俺は顔を上げられなかった。
「悪ぃフジムラ、俺の世話係なんだろうけど、ちょっと外してくれないか……?」
「う、うん……、わかった……」
魔術師フジムラは戸惑いながら答えると部屋の扉へ向かう。
途中、二、三度チラチラ振り返っているのは俯いたままでも分かった。
僧兵アイボリーは何も言わずにさっさと部屋を出て行っている。
そのくらいさっぱりした対応のほうが今は有り難かった。
魔術師フジムラが部屋を出て扉を閉めた音が聞こえると、張りつめた糸が切れた。
せっかく力の入るようになった両手も、堪え切れず零れ落ちる俺の涙を無言で受け止めてくれる掛布団を握りしめることにしか役に立たなかった。