6日目 27 狐に化かされる
「アヤちゃん……? 浮気は許しませんとあれほど言いましたのに……」
聖職者ジーナは笑顔を浮かべつつもこめかみに青筋を立てている。
自身といかがわしい契りを交わした幻術士アヤメが自称妊婦の水精霊へ目移りを見せたことに対して詰め寄っているのだ。
「ち、違うよー! 美味しいのかな、どんな味かなっていう……好奇心だよー」
普段は掴みどころ無くて自由にしてる幻術士アヤメが珍しく慌ててる。
姉妹と周囲には言いつつ、恋人同士みたいな関係性を人目を憚らずに出せるのは羨ましいところ……ってあたしは何を考えてるんだ。
いちゃつくのはせめて宿に帰ってからにしてほしものね!
「困りましたね……。この状況では水狐さまの手を借りなくては帰ることもままならないというのに……手掛かりになる水精霊に逃げられてしまいました」
そんな二人のやり取りそっちのけで考え込んでいるのはドルイド僧オーツー。
「そのスイコって?」
「水精霊より格上の水精霊……といったところでしょうか。狐の姿をした精霊さまです。比較的友好的ですし、話が通じる方です」
聞きなれない言葉にあたしは質問。
森の精霊って樹人だけじゃなかったのねー。
さすが【精霊の森】と呼ばれるだけのことはあるわけだ。
『何の用だ、人の子よ……』
「わぁ! またなんか出たぁっ!」
「水狐さまです!」
現われたのは宙に浮かぶ青白い……炎ぉっ!?
こ、声はどっから聞こえるのよっ!?
目も口も無い、ただ人の顔くらいの大きさの、メラメラと燃える宙に浮いた青白い炎が喋ってる……?
『む。樹人のところの新米守り人か……』
「ご無沙汰しています、水狐様」
ドルイド僧オーツーは青白い火の玉に向かい、膝をついて頭を下げる。
『不思議なことを言う。この前会ったばかりではないか』
「二月ほど経ちます……」
『些細なことでは無いのか? 人の感覚は分からぬ』
やっぱり長い時間を生きる精霊って時間感覚が違うのかしら。
話す速度は早いんだけど、言ってることが樹人に似てるかも。
膝をついたまま青白い火の玉と会話を続けるドルイド僧オーツー。
傷も疲労も回復してるわけじゃないと思うけど、あたしより若いのによくやるわね。
有能な年下にちょっと嫉妬を覚えるわ。
「それにしても……なーんか微妙に嚙み合わないわね」
「長生きしすぎてボケてるとかー?」
「失礼ね!」「失礼ね!」「失礼ね!」「失礼ね!」「失礼ね!」
「わ! 戻ってきた!」
散っていった水精霊がまた五体まとまってやってきた。
その山彦喋りをなんとかしてほしいものね。
『……構わぬ。して、何か用があるのだろう?』
「それが……、森を抜けようとしたところ道に迷ってしまいまして。魔力が尽き移動手段に乏しいので、できれば森の外まで送っていただきたいのですが……」
「図々しいっ」「図々しいっ」「図々しいっ」「図々しいっ」「図々しいっ」
『構わん。早く出て行ってくれる方が儂も助かるわい。こやつらが興奮するのでのぅ』
「あ、ありがとうございます……!」
案外さっくりと申し出を受けてくれた格上という精霊サン。
口ぶりから、水精霊には手を焼いているのかしらね。
「あとー、ついでと言っちゃなんだけどー」
「ちょっ……! 何をいきなり……っ!」
ドルイド僧オーツーが格上の精霊と言ったのを聞こえていたのかいないのか、馴れ馴れしく青白い火の玉に話しかける幻術士アヤメ。
ほんっと、怖いもの知らずよね……。
ドルイド僧オーツーはその言動に慌てる。
「アサギおにーちゃん……女の子になっちゃった男の人を元に戻す方法って無いかなー?」
「アヤちゃん……」
「アヤメさん……」
「男が女に……? フム。人のすることはよく分からん。生きておるのなら性別なぞ些細なことであろう」
心配をよそに、馴れ馴れしさには無頓着な水狐。
しっかし話が通じるんだか通じないんだか。
時間感覚だけじゃなく感性全般が違うのかもね。
「人間とは生きる感性が違うのはしかたないことですわね~」
「変異したのは、たぶんボクのせいなんだけど……」
方法がないと判断したのか、幻術士アヤメはしょげた表情を見せる。
そんな横顔をあたしは一瞬だけ見、気まずくて目を逸らした。
「そなた……魔族か。魔力によって変わった姿を戻す法ならば……。そのような薬に役立つ植物をお主らが持って帰りはしなかったか? そこの緋色髪の女よ」
火の玉が突然話を振るもんだからドギマギしちゃう。
「あ、あたし……? 水狐さまとは初対面だと思いますけど……」
「初対面よ!」「初対面よ!」「初対面よ!」「初対面よ!」「初対面よ!」
水精霊たちが必死に割り込んできた。
青白い火の玉姿で表情は見えない、仮に顔があったとしても表情を変えないのかもしれないけど、気まずげな声の水狐。
『そ、そうか。他人の空似か……。しかし前に森に入ったときのお主等を観察しておってな。連れの男が持ち帰った草があったであろう。たしか、マボロシスズクサという名であったか』
「あれ……!」
『効果があるやもしれん。ここに一株だけ残っておるから持っていくが良い。まぁ期待はせぬことだ……』
「は、はいっ!」
質問したのは幻術士アヤメなのに、あたしが返事しちゃった……。
途端、視界が歪み、目の前が暗転――!
……ワシも随分甘くなったものだ……。
という声が聞こえたような……?
目を開けると、そこはもう木々の連なりが途切れ途切れになり、丈の低い草の広がる平野となっていた。
この間森から抜けてあたしたちが気を失っていたのも同じ場所だったような?
さっきまでのは幻?
でも、手にはしっかり、マボロ……なんだっけ? マボロなんとかグサ!
透けて見えるほど薄い花弁をした、白色の花。
あのとき、今と同じみたいにここで目を覚ましたときに盗賊アサギが手にしていたのと同じ花なのは間違いないわ。
名前はわかんないけど……。
「あら~。本当に森の入口まで送ってもらえしたわ~」
「水狐様は話が通じると言ったではありませんか……」
聖職者ジーナの気の抜けた声が、さっきまでのことが現実だったことを確かにしてくれる。
「あたしの故郷ではこういうのを狐に化かされたって言うけれど……本当にそうみたいね……。はは……」
「ここまで来れば宿はすぐそこだよー。早く戻ろー」
「オーツー? 歩ける?」
「はい、なんとか……」
膝をついていたドルイド僧オーツーに手を差し出し、握り返された手を引いて立たせる。
「随分と陽が傾いてしまいましたね~」
「げっ!? もうそんな時間!?」
陽が短くなったとはいえ、出発したのは昼頃だったのに。
アサギ大丈夫かな……。
帰ったら、髪留めのこと、お礼言わなくちゃ。
ちゃんと声に出してお礼言うんだよ、あたし……!
「ヒナさん、どうしました?」
「ちいねーちゃん、はやくー!」
「うふふ、きっとアサギさんのこと考えていたんですわ~」
「うっさいわね!」
なんで分かるのよっ!
「髪留めのお礼はちゅーがいいと思うよー」
「するかぁー!」
「あっ! ダメです! お花をそんなに強く握りしめては!」
「あー!? もう! わかってるわよー!」
顔を合わせたら、またお互いにバカって言い合うんだろうか。
なんでもいいや。
早く会って、このなんとかグサで元の姿になってもらうんだから――!