6日目 18 アヤメとジーナ 盗み聞きと利己主義
◇
【野ウサギと木漏れ日亭】の二階の廊下を、用を済ませたボクは突き当りのお手洗いから部屋へと戻る。
ふー。すっきりしたぁ。
【野ウサギと木漏れ日亭】から徒歩でも半日足らずで差し掛かる峠で、ジーナおねーちゃんを攫ったギョロ目騎士と対峙したボク。
加勢に入ったおねーちゃん共々闘いでボロボロになったものの、あのいけ好かないチトセとかいうアバズレエルフとその弟子のドルイドっ子が治療してくれたおかげで、ボクもジーナおねーちゃんも、体はすっかり癒えた。
相変わらずおねーちゃんを見る目がやらし―から気が抜けないけど、その実力は確かなのは認めておく。
ドルイドっ子のほう――名前覚えてないケド――はいつの間にやらちいねーちゃんに懐いてるみたい。
それはまぁいいんだけれど。
今の問題は、療養という名の外出禁止。
一応、傷は癒えても体力がまだ回復しないからだって言われてるケド……。
恐らくは、ヘタにボクが動くことで、また余計な騒ぎを起こされても困る、なんて思われてるんだろうなー。
ボクのせいで女の子になったアサギおにーちゃんの姿を元に戻すために、皆がそれぞれ動いている。
ボクがヘマしたとして、助けに向けるだけの人手が無い。
だから、留めておくしかないんだ。
でも――。
「療養ったって、もう元気なんだしさー。宿の手伝いも要らないって言うし……。暇だよねー……って、おりょ?」
独りぶつぶつと、頭の後ろで両手を組んで歩く。
そこに、隣の部屋――もともとはボクたち三人で使ってたけど、今は療養のために女になったアサギおにーちゃんとちいねーちゃんが使ってる部屋――から話し声が聞こえてきた。
なーに話してるのかなー?
えへー。盗み聞きしちゃえ。
ここの床板は簡単に軋むから、「浮遊」の幻術を使う。
誰かに見られても驚かれないよう、歩いているのと大差ない指一本分だけ体を浮かせて、入り口の側でそっと聞き耳を立てる。
え? 隠れ蓑使えばいいって? 見つかるかもしれないドキドキ感がいいんだよねー。
さてさて……。
「聞いて、アサギ君。あのね……。ヒナちゃん……、狙われているの」
――!!
◇
「おねーちゃん!」
「あら~どうしましたアヤちゃん? またお通じが出ませんの? お手伝いしましょうか~?」
部屋に飛び込んだボクを、こじんまりした卓に分厚い本を広げていたジーナおねーちゃんが顔を上げて迎えてくれた。
かけられた言葉に、数日前の出来事が頭を過ってお尻がきゅっと縮む。
おねーちゃんに飛び込もうと思ったけど急停止した。
「い、いや、いいよそれは間に合ってる!」
「残念ですわね~」
もともと下がり気味の眉と目尻をもっと下げて、本当に残念そうに言うから参る。
「そんなことより! ちいねーちゃんが狙われてるかもしれないって!」
「まぁ、どなたからかしら?」
「……。えと……、誰からだろね……?」
「ふふ。アサギさんからだったらいいですわね。」
「そだねー……って、ちがう、ちがう。ウィス……えと、魔術師のフジムラ……だっけ? 峠でボクたちを助けてくれたウィスタリアのご主人の女の人。あの人が、アサギおにーちゃんに向かって話してたから……!」
「まぁ」
「ねー、おねーちゃん。ボクたちでさ、そのちいねーちゃんを狙ってるとかいう悪者、とっちめちゃおうよ!」
「あらあら、わんぱくですわね~」
頬に手を当てて言う口ぶりは、本気で考えているように思えない。
「でも、私はもうアヤちゃんが危ない目に遭うのは見たくありませんわ……それがたとえアサギさんやヒナさんの為であっても……」
「え……?」
意外な答えだった。てっきり賛同してくれると思ってた。
「おねーちゃん、なんだか冷たくない……?」
「まぁ。アヤちゃんこそ、そんなに人を気にするなんて……欲を優先する魔族らしくありませんわね」
ドキリとした。
魔族なんてのは、もっと狡猾で私利私欲で動くんだろうか。
けれど、ボクにはそれよりも他に、ボク自身を突き動かす衝動を抱えているみたい。
「ボクはただ……、おにーちゃんとちいねーちゃんに仲良くなってほしくて……また四人で旅が出来たらって……」
「私がいればそれでいいではありませんか……? それともアヤちゃん……もしかしてアサギさんのこと……」
「え?」
「緊急事態とはいえ、一度交わったのでしょう? 情が移っても不思議ではありませんわ……前から興味があるようなことも言っていましたわよね」
「やめてよ! そういうんじゃないよ……ボクが好きなのはおねーちゃんだよ……でも……」
「でも?」
「四人で仲良くしてたいよ……。まだ一緒に行動するようになって短いかもしれないけどっ……! 力を合わせて冒険してきたじゃないかっ。困ってる……悲しい顔をしてる二人を見過ごして、ボクたちだけよければ……って、ちょっと違う気がする……。魔族らしくないって、そうかもしれない。だったら、魔族じゃなくたっていい。大好きなみんなと……一緒に居られない……ほう……が……嫌だ……って思う……」
涙がこぼれてた。
なんだか、ボクいっつも泣いてばかり。
変なの……。
おねーちゃんは本を閉じ、目も閉じて黙った。
「……。そうですわね~。アヤちゃんがそこまで言うのでしたら。私も神に仕えたものの端くれ、慈しむ心を持たなくては……」
「おねーちゃん……」
「そ、れ、に、またお二人をからかって遊ばないといけませんわね」
ようやく、おねーちゃんの笑顔を見た気がする。
「……うんっ! このままだと体がなまっちゃいそうだし!」
「ふふ。それもそうですわね」
「た、大変だよっ!」
突然の声に部屋の入り口を振り返る。
部屋に駆け込んできたのは橙色の髪を短く切った、いつも元気な給仕のおねーさん。
話し込んでて足音に気付かなかった。
普段は余裕があっておおらかなのに、様子がちょっと違う。
「どうしましたか?」
「も、森が……精霊の森が燃えてるらしい!」
「――!!」
精霊の森。ちいねーちゃんがドルイドっ子と一緒に向かったとかいう……。
「ボク、見てくる!」
「あ、ちょっと! 話はまだっ――!」
足はもう止まらなかった。
音を立てるのも構わず部屋を飛び出し階段を駆け下りる。
「アヤちゃん、私も行きますわ!」
「おねーちゃん……」
隣に並んだジーナおねーちゃんが真剣な眼差しで言ってくれた。
階段を下りきり、玄関を出ようとすると食堂から出てきた店主のおじさんが呼び止める。
「お、おい! お前ら療養ちゅ「もたもたしてたらちいねーちゃんたちが危ないかもしれないんでしょ!」
足を止めないで言い捨て、玄関を飛び出したところに、偶然キミとばったり。えぇーっと。
「あら、詩人さん!」
おねーちゃんが声をかけた。
そうそう詩人君!
近頃めっきり合わなかったね。
「おにーちゃんのこと、よろしくね!」
「お願いいたしますわ!」
ボクらはそう言ってキミの横をすり抜ける。
ボクが振り返りながら手を振ると、キミも振り返してくれた。
よし、飛ぶんだ! と集中。
服の生地がぱっくり開いていて丸見えの背中から、翼が広がる。
あ! 外套忘れた!
きっと寒いけど、引き返したら次はきっと止められて、外に出る機会無くしてしまうもの!
「おねーちゃん!」
「ええ!」
ジーナおねーちゃんの手を取り、引き寄せる。
そのまま反対の手でおねーちゃんの足元を掬い、お姫様抱っこにして、飛ぶ!
「きゃっ」
急上昇に驚いたのか、かわいい悲鳴。
「もう、アヤちゃんったら強引なんですから」
言いながら首に手を回して顔を近づけてくれる。
甘い香りが、ふわりと鼻をくすぐる。
嗅ぎなれたはずなのに、いつでも、何度でも、本人から嗅ぐとこんなにも幸せになれるなんてね。
「えへー」
「ところで、どうしていつもこの体勢ですの?」
「んー。抱えやすいのが一番なんだけどー。この体勢だとさ、おねーちゃんの匂いが嗅ぎやすいんだよねー」
「もうっ」
赤くなってるおねーちゃんがかわいい。
背後から宿のおじさんの声で何か言われたけど、聞き取れなかったから知ーらない。
「煙の方角、どっちなんだろ……」
森は宿の裏手から広い角度で広がっている。右にも左にも正面にも……。
「さぁ……。そもそも樹人さんとは、どのくらいの大きさなのでしょうね……」
「そういえば、はじめてこっちに来たときは樹人見当たらなかったかもー」
「何か魔法で隠されているのかしら……けれど、燃えていると誰かが伝えたわけですから、近づけばきっと煙が上がっているのが見えるはずですわ」
「そだねー」
ひとまず向かう方向は、初めてこの森に着いたときおねーちゃんを抱えたまま不時着した、開けた場所にする。
あそこにあのアバズレエルフが居たわけだし、ほかに目印になりそうなものは無いから……。
んー。
空高く飛びあがったものの、思うように速度が出ない。
体感的には、おねーちゃんが攫った馬車を追いかけたときの半分くらい……?
「ねぇ、おねーちゃん……」
「どうしましたの? アヤちゃん?」
「もしかして【野ウサギと木漏れ日亭】に来てから太っ「それ以上言うと晩ご飯抜きですわ」はい……」
速く飛べない心当たりはボクだけでなく、ジーナおねーちゃんも同じだったみたい。