5日目の終わりに~お願い事と静かな食卓~
四人分の寝台がある中、俺一人取り残された野ウサギと木漏れ日亭の客室内。
俺が、俺が……女の体に……。
それに追い打ちをかけるようにドルイド僧オーツーから放たれた「ヒナさんがかわいそうです!」という」言葉……。
俺のせいでヒナを苦しませてる……。
アヤメを助けるためにデートをすっぽかした時点でヒナに責められる覚悟はしているつもりだったけど、実際に訪れたのは叱責や暴力ではなく、拒絶。
外野からとやかく言われるくらいならまだいいが、本人から明確に距離を取られると辛いものがある。
「受け入れてもらえなかった、か……」
全身の力が入らず仰向けの姿勢のまま体を動かせない。
ベッドに横たわりながら悶々と考えていると静かに涙が零れた。
こんなに泣き虫だった覚えは無いんだが、弱っているからかやけに涙が流れる。
ちくしょう……。
寝台脇に置きっぱなしにされた燭台が、雫が伝う頬を無常に照らす。
ノック音がして、小さく軋みを上げながらゆっくりとドアが開く。
まずい。
泣き顔を誰にも見られたくなくて顔を隠したいけれど、窓に向けて身を捩ることも、腕で顔を覆うことも叶わない。
遠慮がちに人一人が入る分だけ開けられた扉。
廊下から差し込む灯りと共に現れたのは――脇に竪琴を抱えた君だった。
俺が目を覚ましているのが見えたのか、寂しげな微笑みを向ける。
扉を閉める音も足音も、できるだけ立てないようにと、そっとやってくる。
「悪いな……」
そんな言葉が零れた。
気を遣わせている……。
アサギ君なんですね? と問う君に、辛うじて動く首を縦に動かす。
驚くほどゆっくり、一度しかできなかった。
見つめる君は、無事でよかった……、と安堵した表情でぽつり。
お加減いかがですか、と続けて尋ねてくる。
「ありがとな……痛みなんかは無いんだが、どうも体が動かなくて……」
目を覚ましてから何人も見舞いに来たが、はじめて体を気遣われた気がする。
幼少から放置されることに慣れているからか気にならなかったが、そんな単純なことで心が軽くなる。
食べ物や、飲み物は? と暑かったり寒かったりしませんか? など、君はしきりに心配してくれる。
俺は首をわずかに横に振るばかり。
「心配してくれてありがとな……。……ただ、悪ぃ……、一人になりたいんだ……」
心配りはとても有難いのだけれど、気持ちの整理がつかなく、何もしたくなかった。
脳裏にちらつくのは涙を零すヒナの顔ばかり。
君に気を悪くされるかもな……と内心びくびくしていたが、君は微笑んで、わかりましたと答えてくれた。
おやすみなさい、と言い残し、何も聞かずに部屋を出ようとする君の背中を何も言えず眺めていると、不意にひとつの感覚が体を駆け巡った。
「あ、あのさ、ひ、ひとつお願い……」
咄嗟に呼び止めると、扉に手を掛けたところで振り返り、首を傾げる君。
気まずさしかないが、依頼するしか無かった。
「と、トイレ行きたいんだけど……できれば……その……誰か……女の人……」
いつも落ち着いている君が顔を赤らめ慌て、すぐ呼んできますね! と足音を立てて走り去る。
俺自身も恥ずかしさで顔が真っ赤になるのを布団で隠せないのがもどかしいながらも、体の感覚が生きていることにほんの少し安堵した。
◇
ほどなくして尿瓶を携えたローシェンさんとオレンさんがやってきた。
尿瓶は重傷者向けに用意があったらしい。
見えないように毛布で隠してくれる配慮が有難い。
チトセには絶対やらせないから安心しな、と橙髪のオレンさんに言ってもらえる。
本当に、それだけは勘弁です、お願いします……。
用を済ませた後、吸飲みでぬるめの白湯をもらう。
また、様子見に来るからね、と言葉をもらいおやすみ、と挨拶。
静寂が戻った室内。
聞こえてくる竪琴の音色……。
君の歌声を子守唄に、俺は再び、目を閉じた……。
◇
「そんなこと言ったの……」
「はい……」
頭を抱えるのは「野ウサギと木漏れ日亭」料理人のローシェンさんと給仕のオレンさん。
夜。私たちは野ウサギと木漏れ日亭の食堂で遅い夕食を戴いていました。
峠で分かれた宿の主、ラストさんに、騎士のアッシュさん、それに墓守の館へ様子見に行ったバンシェンさんは戻らず終い。
代わる代わるにアサギさんの様子を見舞い、私とアヤちゃんの手当てをし……ようやく一段落したところです。
私はすっかり動けるようになりました。人の生気を吸って生きているアヤちゃんは人間と同じ食事は必要ではなく、みんなと顔を合わせたくないと言って寝台に伏せています。
食卓の上にはいつも作り置きのあるレンズ豆のスープと固い生地で少し酸っぱみのある丸い黒パン。
野営時にもよく口にする、時間をかけず用意できる即席の食事ですわ。
今日の騒ぎの中では用意する時間などありませんものね。
皆慣れたもので、当然文句を零すものなど一人もいませんわ。
食事をしていると話題は自然と、伏せている二人――アヤちゃんとアサギさんを中心に……。
ヒナさんはアヤちゃんに、オーツーさんはアサギさんと思わしき青緑髪の少女に。
私はヒナさんに。
それぞれ辛辣な言葉を放っていました。
私は……後悔していません。
かわいいかわいい大切な妹の為なら、たとえ仲間を裏切るようなことになろうとも……知ったことではありませんわ。
ただ……気まずさはあり、同じ卓にいるのにヒナさんと目を合わせることはありません。
ヒナさんもまた、俯いたままでこちらに視線を移すことがありません。
「ヒナも辛いだろうけど、一番辛いのはアサギ本人だろうよ……。誰か犠牲者が出たわけでもないのに……いや、仮に犠牲者が出たとしても、弱ってるやつを責めるのはちょっとかわいそうじゃないか……」
ローシェンさんが慎重に言葉を選びながら話しています。
膝の上の拳をぎゅっと握る緋色髪のヒナさん。
「今から謝って――「待ちな」」
椅子から腰を浮かせた黄土色髪のオーツーさんを、腕組みしたオレンさんが呼び止めます。
「アサギを、もう休ませてあげな……。謝るのは明日でいい」
「はい……」
「さぁ、そしたら今夜はこのくらいでお開きにして。ヒナとオーツーはアサギのとこで一緒に寝てくれるか? チトセはジーナとアヤメの部屋で。警戒を怠るんじゃないよ」
「分かってるわ~」
ローシェンさんが各自の配置を示していきます。
ヒナさんは一応聞こえているようで、俯いたままですが頷いていました。
白緑色の髪のチトセさんからは気の抜けたお声で返事。
私たちの部屋にチトセさんが……アヤちゃんの【ゴハン】、どうしましょうか……。
「ラストのやつもバンシェン姉さんも帰って来ないから、私とオレンは見張りを兼ねて下で寝る。何かあったらすぐに呼んでくれ」
一つ結びのローシェンさんに橙毛短髪のオレンさんは頼もしい限り。
私も安心して疲れを癒せますわ。
「そういえば、あの方は……?」
「あの方?」
私の問いかけに反応するかのように、竪琴の音色が聴こえてきました。
心安らぎ、眠気を誘う心地よい音楽。
そちらにいらしたのですね……。
所在が分かり一安心。影が薄いんですもの。
食事を終えた私は、結局一度もヒナさんと顔を合わせないまま席を立ち、妹の待つ二階の部屋へと向かうのでした。
だいぶ塞ぎ込んでいるみたいですが、ご自分で何とかしていただきませんと、ね……。