5日目 18 アヤメとジーナ⑤ 長大な四肢と捻くれた精神
◇
一方その頃。
大小ふたつの、馬に乗った人影が街道を進む。
北――聖都から急ぎ足で、少々無理な旅程を辿ってきた。
これから峠に差し掛かろうとしている。
昨夜世話になった集落で聞いたところ、峠は既に雪がちらついているとか。
そんな状況で野宿は避けたい。
「何とか日暮れまでに宿場街に辿り着きたいけど……」
黒の法衣を纏った、小さいほうの少女が天使のような透き通った声で呟く。
馬が歩むたびに揺れる、藤紫色で内巻きの癖のある長い髪が特徴的だ。
麗しい唇から漏れる吐息は白い。
「野盗や野犬も出るという。急がないとな……」
大きいほう――重厚な全身鎧を纏った青年が、無表情で同調する。
その髪色は今の空模様に近い象牙色。
背の高い青年と小柄な少女の二人連れ。
そして……
「いざとなれば、我がサキを乗せて駆けよう」
「わぁ、頼もしいね“あーくん”」
“あーくん”と呼ばれ、少女の肩に居座るのは、彼女と同じ藤紫色の毛並みを持つウサギ。
馬が歩を進める、揺れる馬上ながら、和やかにウサギに頬ずりする、サキと呼ばれた藤紫色の髪の少女。
その無邪気な笑顔を象牙色髪の青年が横目で見惚れていると、向かう山の方角から地鳴りが聞こえた。
「む……!」
「どうしたの? アイボリー君?」
「何者かが、闘っている……?」
峠での異変を感知する、アイボリーと呼ばれた象牙色髪の青年。
修練で研ぎ澄まされた五感は、野生動物顔負けである。
二人は手綱をひき、一度馬を止める。
「そのようだな。障害は早期排除に尽きる。山の天気も心配だ。我が先へ行って偵察してこよう」
「あ、ちょ、ちょっとあーくん⁉」
サキが呼び止めるのも聞かず、藤紫のウサギが駆け出す。文字通り、脱兎のごとく。
「行っちゃった……」
「雲行きが怪しいからな……俺達も急ごう」
「う、うん……」
象牙色の髪の青年アイボリーに促され、藤紫色の髪の少女サキは艶やかな長髪と法衣をはためかせて、再び馬を速足で走らせ始めた。
◇
苔生した樹木の表面みたいな色の肌は艶やかさを失い、骨の浮き出た皮だけのように痩せ切っています。
太さを犠牲に伸びた手足は、その一本だけで人の背丈ほどの長さを持つ。
人の姿をしていた頃から特徴的であったギョロ目は一層存在感を増し、昆虫の複眼のソレに近く。
ギザギザの歯をむき出しにした口は大きく裂けて、間から覗く深淵を唾液が糸引いて区切る。
頭部は完全に逆三角形であり、その様相は人食い蟷螂。
その腕には鎌こそ無いものの、日常生活には圧倒的に不向きな伸び切った鋭い爪が両の五本指全てに備わっています。
禍々しくて、とてもそうは見えませんが、父なる神の加護によって体全体に聖性を宿し、加えて身につけた退魔の力で表面は魔族の術さえも受け付けません。
そんなギョロ目男は、隠し持っていた茶色い液体を体内に投与すると、私たちの倍以上の背丈がある乾燥大蜥蜴へと変貌しました。
備わっている魔力耐性の強さから私たちの使える手札は少なく、考えられる最も有効な撃退方法は、体内に直接アヤちゃんの闇の力をねじ込むこと。
問題は……
体内にねじこむ?
どうやって?
という点……。
◇
「うわ~趣味悪ぅ~」
大体のことは話半分で流しちゃうボクだけど、さすがにこの姿は見過ごせなかった。
「なんでパンツだけ穿いてんの……? 童貞のまま死んだことまだ引きずってんの? だっさ~。ボクがちゃぁんと筆おろししてあげたのにー」
「う、ウ、ううう、うルさぁい!」
ギョロ目が、それ自体が棍棒と化した己の腕を振るうと、身隠しにちょうどいいような大岩が木っ端微塵に粉砕された。
「言い返せないから暴力に訴えるんでしょ? 事務方上がりの癖に弁も立たないなんて恥ずかしぃ~」
「黙れェぇぇぇぇ‼」
挑発にうまく乗ってくれて冷静さを欠いているからか、一層大ぶりに腕を薙ぐ。
「うっひゃああ!」
軌道を読み違えぶつかりそうになったボクは慌てて空へと飛んだ。
動き自体は雑で、動きが大きく隙がある。
ただし、一撃が重く、避け損なうと危険。
「どうしてそんなに暴力に訴えるのです……? アヤちゃんも言うように、あなたは武才でなく知才で騎士となったのでしょう?」
ありゃりゃ、おねーちゃんが真面目に説得に入ってる。
「どいつもこいつも! 一方的に説教を垂れるばかりで! 俺の話を聞こうとしない! 何が対話だ!」
「少なくとも、あなたの上官は調査の際に対話から入ろうとしていました……!」
おねーちゃんが鎚で仕掛け、ギョロ目は腕で払い除ける。
衝撃をうまく呑み込んで、後ろへ飛び着地するおねーちゃん。
ボクはどうにか隙を見つけて鎗で突撃したいんだけど、これがなかなか難しい。
「どいつもこいつもおしゃべりなのだ! 他者と分かり合うなど夢物語だ! 現に俺様は、誰とも解かり合えていない!」
「そんなことはありませんわ……! 人と人だけでなく、いかなる種族であろうとも、思いやる心があれば理解し合い、共存することができるはずです!」
大上段から振り降ろされた腕をおねーちゃんは水平に構えた槌の柄で受け止める。
「私とアヤちゃんは……、体を重ね、語らい、見つめ合ってお互いのことを知ることで、人と淫魔という……種族を越えて、解かり合う努力をしてきましたわ!」
「ならば! 貴様は俺様とも交わり、子を為し、分かり合うことを証明してみせろ! フハハハハハ!」
最早表情を読み取るのも難しい異形の顔を歪め、恐らくは愉悦の貌を浮かべているギョロ目。
「「……それは」」
「お断りだよっ!」
「お断りですわ!」
おねーちゃんとボクは見計らったように同時に同じ言葉を発していた。
ボクはギョロ目の後頭部目掛け鎗を投げ、おねーちゃんは渾身の力でギョロ目を押し返す。
「ぐうっ!」
円錐形の頂点がわずかに刺さり、苦悶の声を上げるギョロ目。
鎗を引き抜き、打ち捨てた。甲高い音を鳴らして鎗が転がる。拾いに行かなきゃ……。
「そら見たことか! 綺麗ごとばかり! 口だけではないか!」
「だってさぁー、オマエみたいな独りよがりなヤツ……、キっモいんだもん……」
手甲を嵌めたまま両手を頭の後ろで組んで、ボクは呆れて言い放つ。
自覚が無いからそーゆー発言になるんだよね。
「分かってもらいたいと仰るならば……、言葉の限りを尽くしましたか……? 何も言わなかったり……、中途半端な言葉で分かってもらえるほど……人は理解力がありませんわ。これでもか、というくらい言葉を尽くしてやっと……、やっと少し伝わるのですわ……。」
おねーちゃんも肩で息をしながら、分からず屋に諭す。
「黙れぇぇぇぇぇ!!」
吼えた。
その口から熱閃が天に向かって吐かれ、雪を降らせる厚い雲に穴を開ける。
あれは喰らったら瞬時にあの世行きかな……。
「母は! 親族は! 俺の武才の無さを嘆いた……!」
腕を振るう。樹が薙ぎ倒される。
「売春婦は! 俺の体を! この年まで童貞であることを蔑んだ!」
足を踏み抜く。峠道に大きな窪みができる。
「貴様らは! そこの淫魔は! 俺のイチモツを憐れんだ!」
更に腕を振るう。切り立った絶壁が砕け、横転している馬車に大小さまざまの岩石が降りかかる。
「そして何より……! あの男……アッシュは……俺の容姿を、生い立ちを、これまで俺が受けた数々の辱めを嗤った……! 嗤ったのダ……!」
大地にめり込んだのと反対の足で、地団太を踏む。
「貴様らのせいで……あいつらのせいで……親のせいで……! ……ご自分のせいにはなさらないんですね?
「俺は何も間違ったことをしていない!」
「ほーら、結局そうやって自分の主張が一番で、聞く耳持たないじゃないか。自分の想い通りになるほど世の中甘くないんだよ。その歳になってもそんなことも分からねぇのか」
「うるさぁぁぁぁぁい!!」
一層の気迫。更なる怒りを解放するギョロ目。
圧に晒され身動きが取りづらくなる。
激しく繰り出される、長い手足による攻撃。
地が抉れようが、崖が崩れようが構わず、誰に語るでもないうわ言を繰り返し、八つ当たりのように無作為に振るわれる両腕、両脚。
枯れ枝のような見た目であるが、強靭。
おねーちゃんの鎚でも、ボクの鎗でも、傷つけることはおろか、はじき返される始末。
ギョロ目が口を大きく開けると、光が収束してゆく。
無詠唱で次々と法術を繰り出せるのに、あえて溜めの必要なもの。
さっきの熱閃の、更に力を蓄えている。
その威力がどれほどのものか、想像するだけで恐ろしく、何とか喰い止めようとボクは飛び掛かるけど、簡単に弾かれ止めさせられない。
そして、顔をボクに向け、一段大きく口が開くと放たれる熱閃――!
逃げられない、やられる――!
「久しいなぁ! レグ!」
目の前が真っ白になる眩い光。
ギョロ目の放つ強い光のために影しか見えないけど、ボクの前に、庇うように浮いて立つ、人の形。
見覚えのある――ボクそっくりの――つるぺた体型。
そいつはなんでか丸裸で、大事なところは後ろに一つ縛りで垂らした髪が巻き付くように覆って隠れている。
全裸仁王立ちでボクと熱閃の間に入って平気なのは、弧を描く防壁を張っているため。
「相変わらず非力よのぅ!」
盾になったまま、後ろにいるボクに不敵な笑みを浮かべた顔を向ける。
その髪色、その瞳の色は――藤紫。