5日目 16 衝動と借用
木枯らしが吹きすさび、真昼の空は曇天に覆われ、陽光が届かない峠の宿場街。
天道がもたらす温もりの恩恵を受けられず、冷え冷えとした空気では収穫祭の準備も活気が鳴りを潜め、静かに進められていた。
いつ雪が降りだしてもおかしくないほど底冷えしており、暖炉を焚いていても室内で寒気を感じるほどだ。
重苦しい天候は、「野ウサギと木漏れ日亭」の今の状況そのものだった。
ヒナたちの部屋に運び込んだ意識の無い浅葱色の髪の少女はベッドに寝かされ、ヒナの手当てをするから、とオレは詩人と二人、女性陣によって締め出されたために、宿の受付にいる。
交わす言葉は、少ない。
女性陣も、みんな黙り込んでいるようだった。
行方不明のジーナ、アヤメ。
そしてアサギまでも……。
荒らされていた墓守の館……。
アヤメの使役する魔物が――おそらくはアヤメの意思が――ヒナに巡り合わせた、浅葱色の髪をした、眠ったままの少女……。
時刻を告げる鐘が鳴る。
もう昼どきだった。
いつもなら食堂を営業し客で賑わっている頃だが、アサギとヒナのデート作戦があったためにローシェンは仕込みにまで手が回らず、食堂を臨時休業にせざるを得なかった。
もっとも、壊れたままの玄関から外の様子が見えるが、この寒さで道行く人は少ないから、営業したところで客が来ない可能性もあるが。
冷え込みがきついために詩人を宿の受付の中に座らせ、オレは右の靴底を壁に当てつつ、背中も壁に預け腕組みをしている。
詩人は竪琴《商売道具》を取り出し、ゆったりと奏で始めた。
やさしい、やさしい音色。
これは……。
詩人が演奏しているのは「風の勇者」の伝承の一節。「嘆きの乙女」。
勇者と旅し、その後共に暮らした少女が、病に倒れ帰らぬ人となる場面で奏でる曲だ。
心を痛めた勇者に、少しでも救いがありますようにという少女の祈り。
それを今詩人が奏でるのは、ヒナに向けて、の祈りだろうか……。
音色に耳を傾けながら、手持ち無沙汰なため、考えを巡らせる。
あの少女の服装は、オレンがアサギを仕立て屋へ連れて行き着替えさせたものと同じ男性物の礼服――白シャツに黒ズボン、黒ネクタイだった……。
それだけなら似た格好はいくらでもできるが、オレンによると、外套も襟巻も同じ色だという。
ならば……アサギがなんらかの力により、男から女になった、か……。
そんなこと、にわかに信じがたいが……。
仮にそうだったとして、その理由をアヤメが知っている?
そして、行方をくらませなければならない理由がそこに絡んでいる、だと……?
アヤメが何かしでかしたとして、保護者たるジーナが見過ごさない。
出頭させるはずだ。
二人揃って姿を消す理由はなんだ?
だめだ。さっぱりわからん……。
なにがどうなっている……?
……。
あぁ、もうだりぃな。
オレは左手の爪を立てて錆色の後頭部を掻きむしる。
ヒナの精神状態が気がかりだ。
アサギとの時間を相当楽しみにしていただろ、あいつ……。
それをデートどころか……。
散々な思いをして少女を運んできたんだろう。
何度も転んだか、服も体もボロボロだった。
騒ぎにならなかったのは、なんらか認識阻害がかけられていたらしい。
それもアヤメの仕業か。
そのせいで助けを求めることもできなかったとか……。
塞ぎこまないで同席してるだけマシ、か……。
大きくため息をつくと、その音で詩人が演奏の手を止め、こちらを向く。
「し、失礼します‼」
誰だ、こんなクソ忙しいときに……って、騎士じゃねぇか。
「こちらに、ラストさまという方――あーっ! 錆色の髪! 貴方がラスト様でしょう!?」
黒い髪の若い騎士が、騎士らしからぬ軽い言動で俺のことを呼ぶ。
指差すんじゃねぇと言いたかった
が、心なしか、安堵したような、明るい声色と表情で言われると怒る気も失せる。
んだよ。騎士隊長みたいなやつだな……。
「……何の用だ?」
警戒するに越したことは無い。オレは唸るような低い声で返事をする。
「アッシュ様が、行方不明なのです!」
「――――っ!」
絶句だった。なんでこう立て続けに事件が起きる。
「昨日、外に出たっきり……夜遊びのあるかたでしたが、朝になっても戻らず……。町で聞くには、騎士隊の紋章の入った馬車が、猛烈な勢いで峠に向かっていったらしく……。恥ずかしいことですが、隊長以外にも多くの隊員が行方をくらませて……「あんた、馬は?」う、馬ですか? 表に繋いで……わぁっ!」
「借りるぜ! 運が良けりゃ、帰す!」
考えるより先に体が動いていた。
確証はないが、ジーナとアヤメの行方不明に騎士隊が絡んでいるのはほぼ間違いないとオレの勘が言うから、衝動が押さえられなかった。
「ちょ、ちょっと!」
若い騎士と、詩人が遅れて表へ飛び出してくる。
オレはもう艶やかな栗色の毛並みをした馬に跨っていた。
よく訓練されている、大人しい馬だった。
「おう、詩人! ちょっくら峠まで行ってくるわ! あと頼むって皆に言っといてくれ!」
詩人は慌てながらも承知してくれた。
騎士が何やら文句言っていた気がしたが、よく聞こえなかった。
食堂は休業にしてたから助かったな。
「いくぜっ!」
手綱を引くと馬は前脚を上げて嘶き、駆け出す。
間に合え、よ……!