5日目 15 アヤメとジーナ③ 解放と標的変更
『百の触手たち』
同時に展開された複数の魔法陣から現れた数多の触手が次々とギョロ目男に襲い掛かります。
雪崩の如き猛烈な勢いで叩きつける大小さまざまな触手の衝撃に大地が揺れます。
舞い上がった砂煙は凄まじく、視界を塞がれ、どうなったのかわかりません。
私やアッシュさんが埃でむせ込みます。
「ん~」
靄の向こうで、アヤちゃんの声が聞こえます。
あまり納得がいっていないようですわ。
「手ごたえ無いなぁ~……」
「ククククク……」
アヤちゃんの言葉通り、気味の悪い笑い声が聞こえてきます。
徐々に砂煙が収まり、現場の様子が見えてきました。
片膝をついて両腕で頭部をかばう姿勢を取っていたギョロ目が、ゆっくり立ち上がります。
白かった服や鎧はところどころ土汚れや擦り切れがあるものの、体はかすり傷程度。
「あはー。頑丈だなー。……っ!」
当てが外れたと人差し指で頬を掻くアヤちゃんに、今度は正面から光の矢がまた五本刺さります。
「が……は……っ!」
「アヤちゃんっ!!」
「隙を見せるからこうなるんだよぉっ! クソ悪魔がぁっ!」
ギョロ目男が矢を放った姿勢のまま耳障りな高音で喚きます。
矢が刺さった傷口から血飛沫が舞い、アヤちゃんは受け身も取れず背中から地面に倒れます。
腕を拘束され動かせず、地面に這いつくばったままなのがもどかしいですわ!
ふと、縛られていた手首が軽くなり、左右の手が離れました。
「嬢ちゃん、外れたぜ! 行きなっ!」
「は、はいっ‼」
アッシュさんが枷を外してくださり、私は解放されました。
声に後押され、自由になった両腕を思い切り振って走り、傷ついたアヤちゃんの元に向かいます。
「てめぇ!! 何してくれんだよぉ!」
また突き出した手のひらから光の矢を飛ばすギョロ目。
その矛先は走る私ではなく――
。
「ぐうぅっ!」
「アッシュさんっ!」
「構うなっ!」
呻き声に振り返ると、矢は枷を外したことで怒りを買われたアッシュさんの、体の前で交差させた両腕に刺さっていました。
立ち止まりそうになった私を、アッシュさんは毅然とした声で制します。
「戻ってどうする! 好機を逃すな! 大事なものを守れ!」
私は前に向き直り膝から崩れた妹に駆け寄ります。
「目障りなんだよ~っ! いっつもいっつも! 貴様がいい加減なせいで、私ばかり尻拭いをさせられて~~!!」
「そうか……それは、済まなかったな」
ギョロ目男はアッシュさんに近づき、緩慢な動作で顔面を殴りつけます。
アッシュさんはそのまま倒れ込みます。反撃も防御もせず、やられるがままです。
「何笑ってんだてめぇ!」
殴られているにも関わらずアッシュさんは不敵な笑みを浮かべます。
その表情は優勢のはずのギョロ目男の癪に障るらしく、細身で力のなさそうな副隊長は、倒れ込んだ隊長さんの、筋肉質の腹を蹴ります。
「ぐっ!」
いくら非力とはいえ、蹴りに対して体を折り、痛みに耐えるアッシュさん。
馬車が横転した際にできたと思われる頭部の傷と、矢の刺さった両腕から血が吹き出ます。
「貴様のせいで私まで笑いものだ! 貴様さえいなければ! こんなことにはならなかった!」
ギョロ目は恨み言を言いながら、執拗にアッシュさんを蹴りつけます。
そちらにばかり気が向いていて私たちには目もくれません。
「アヤちゃん……! もう大丈夫よ……」
私は仰向けに倒れたアヤちゃんの傍らに膝をつき、五本刺さった光の矢を抜き去ります。取り除くたびにアヤちゃんの悲鳴が耳に届きます……。
あぁ……甘美な声と表情ででゾクゾクしてしまいます。いけません、こんなときに……!
幸い傷は浅いようですが、こんな痛ましい姿になるなんて……。矢を抜き終え、すぐさま治癒の法力をアヤちゃんに……。
「ボクより、あの人を助けてあげて……!」
「アヤちゃん……?」
ギョロ目男は我を忘れているのか、「クソッ! クソッ!」と繰り返しながらただ蹴り続けています。
「ボクは大したことないから、平気……っ! うぅ……っ」
人《私》に痩せ我慢するな、なんて言いながら、自分だって我慢しようとしてるじゃないの……!
「アヤちゃん! やっぱり無理ですわ!」
「えへー。痩せ我慢はよくないね……。ねぇ、おねーちゃん。……ちょっといい?」
「え……? ~~!!」
何が、ちょっといい? なのか、聞き返す間もなく。
私の口をアヤちゃんの唇が塞いでいました……。
僅かな時間でお互いの顔を見られる距離まで離れるアヤちゃん。
呆気にとられる私に向かって微笑みます。
「えへー。これで我慢できるから、あの男を助けてあげて。ボク準備するから」
「え、ええ……」
全くの不意打ちに呆然としてしまいます。
「片付いたら、続きしようね。『ク・リ・ス』♪」
悪戯を思いついた、悪~い笑顔の追い打ちに胸を貫かれました。ずるいですわ、その呼び名……!
雪のちらつく寒空なのに顔が熱くなり、耐えられず私は顔を背けてしまいます。
「な、なな、生意気な妹ですわね~。 おねーちゃんにそんな口を利く子は、あとでお仕置きですわ!」
背を向けたまま、そう告げますと、吹き出し、ケラケラ笑う声が聞こえます。
私も口角を上げ、後にできた“お楽しみ”を思い浮かべながら揚々と言います。
「さぁ、アヤちゃん。……早急に片づけますわよ……っ!」